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第4話

綺麗な夜景が見渡せる雰囲気の良いバーだ。 カウンターに目を向けると音羽社長が座っていた。 意を決して近付き声をかけた。 「音羽社長、お待たせしてしまいすみません。」 音羽社長が振り向いて俺を見た。 あの目だ… 「良かった。もう来てはもらえないと思ってたよ。俺は貴方に嫌われてるみたいだからな。」 「そのような事は…」 「同年代なわけだし、折角こうしてオフで会ってるんだ、砕けていこう。さぁ、座って座って。」 音羽社長はそう言うと俺を隣に座らせた。 オフだと言うその言葉通り音羽社長はスーツではなかった。 「音羽社長…お約束は守っていただけるのですか?」 「違う違う。もっとこうフレンドリーな感じで。」 「はぐらかさないで下さい。」 「…どうやら貴方の仮面を外すのは難しいらしいな。」 音羽社長が苦笑して見せた。 「仮面…おっしゃっている意味が分かりませんが?」 「…貴方を見てると、ぶち壊してやりたくなるって話だよ。」 「恐ろしい事を…」 このようなつまらない話をする為にわざわざ呼び出したのだろうか… それならば帰らせてもらいたいが、目的がまだ果たされていない。 はぐらかされたままだ。 「同じものでいいか?」 「お酒は…結構です。」 「折角だ、一杯くらい付き合ってくれよ。」 馴れ馴れしい… 友人でもあるまいし… しかし、そう言われてしまっては、断るわけにもいかない。 「…分かりました。」 そう答えると、音羽社長はバーテンダーに同じお酒を頼んだ。 正直、飲みたくはない。 疲労困憊の今の状況で、お酒などを口にすればどのようになるかは明白である。 それに、お酒は得意な方ではない。 「…で、携帯の話だったっけ?」 「えぇ。」 「消すつもりはないって言ったら?」 「困ります…」 呆れすぎて、思わず溜息をついてしまった。 「ほう、貴方も溜息をつくんだ?」 「私も人間ですので…」 「確かにその通りだ。」 くだらない話をしていると俺の前にグラスが置かれた。 それと同時に氷が音を立てて崩れた。 電話番号を削除してもらい、このお酒を一杯飲んだら帰ろう… 俺はグラスに手を伸ばした。 汗をかいたグラスの中の氷がまた音を立てた。 「音羽社…」 「社長は禁止だ、八神さん。」 音羽社長の人差し指が俺の唇に触れた。 「おふざけがすぎますよ、音羽社長。」 俺はその手を軽くはらった。 音羽社長とはこの先も親しい関係になるつもりはない。 俺にとって、音羽社長はただの取引先の人間であり、その社のトップであるというだけの存在だ。 この関係はこの先何があろうとも変わる事はない。 「徹底されてるわけか…。それは貴方自身の考えなのか、あの有能な秘書にそう育てられたのか…」 「…どういった意味でしょうか?」 「有能な秘書がいなければなにも出来ないお坊ちゃんなのかと思ってな。」 カッと頭に血が上っていく… ここで我を失いでもすれば相手の思う壺だ。 俺は誤魔化すようにお酒を口にした。 「…私の秘書よりも、音羽社長の秘書の方が有能ですよ。」 「…それはどうも。」 俺に音羽社長と話をする意思がないせいなのか会話が弾まない。 いや、あえてだ。 会話が弾んでしまえば、それだけ滞在時間が延びてしまう。 なんとしても避けたい。 「音羽社長、そろそろ…」 「そこまで俺とは話したくないという事か。…ではそのお酒を飲み干したら…というのはどうだ?」 「…分かりました。」 「…まぁ、飲み切れればな…」 「…」 音羽社長の唇が動き、ボソボソと何かを言った。 俺はこの場を離れたい一心でピッチを上げた。 飲めば飲む程頭が上手く回らなくなっていく… グルグルと目の前が回り始める… ぼやけた聴覚… 耳鳴り… 「一つお坊ちゃんに教えてやろう…強い酒はゆっくり飲むもんだ。薬入りなら尚更…」 その様な言葉を聞いた気がする。 重くなった瞼が落ちて、俺の思考は停止した。

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