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第20話 て
衣澄はただ無表情のまま目の前にある廊下の先を見つめるだけ。何も言わないようだ。怒っているのだろうか、高宮は「ごめん」と小さく呟くように言った。
「重ねているうちに、きっと一固体としてしか見られなくなるさ」
衣澄の視線が高宮に向く。けれど高宮自身は見られているという感じはしなかった。衣澄の見ているものは自身だけれど、自身ではない。
「そうだよね。まだ日が浅いから・・・・」
この日はそれが最後の会話になった。5時限目と6時限目の合間も話さず、帰りのSHRが終わるとすぐに衣澄は部活に行った。教室の前の混雑した廊下に有安がいた。教室や人数の割りに廊下が狭いのかもしれない。そして廊下を塞ぐようにいる周りの男子が有安の方を見てひそひそと話している。すぐに向かおうとしたところで誰かに腕を掴まれる。目の前に有安がいるのに。けれど混雑や背丈のせいか有安は高宮には気付いていない様子だった。
「高宮君!」
大きな黒い瞳が吸い込むように高宮を見つめている。名前を思い出そうとして、食堂で最後に言われたことを思い出す。樋口侑だ。
「・・・・・ユウ・・・・」
混雑の中で立ち止まると行き交う人々の荷物が四方八方からぶつかった。
「高宮くん・・・・っ!」
樋口も誰かに引っ張られているようだ。
「ユウ・・・・どうしたの?」
大きな黒い瞳が歪む。そうして表情も。
「高宮く・・・・」
引っ張られていく小さな身体は人込みに飲み込まれていく。掴まれていた腕にまだ感覚が残っている。掴まれた腕をぼーっと見ていた。
「明日、待ってる」
頭上に何か温かいものが乗って、背後から耳元で囁かれ首筋に息がかかる。ミントの香りがした。はっとして振り返る。黒い髪の少年がそいつに引っ張られて歩かされているのが、人と人の肩の間から見えた。きっとそいつのルックスや声はいいものなのだろう。けれど高宮には記憶のせいか、そうは思えず、寧ろ恐怖の対象でしかなかった。
「けいた」
生まれた不快感を打ち消すような声が耳に入る。
混雑のなかを割り込んで有安がやってくる。
「待たせちゃってごめんなさい」
そう言って高宮は笑いかけたが、有安は不安そうな顔をする。そのまま会話もないまま寮へ着いた。有安と高宮の部屋へ別れる廊下で有安が高宮の胸に納まるように抱きついて、見上げた。
「神津に・・・・また会うの・・・・・・?」
「聞こえてたのか・・・・」
情けない笑みを浮かべ、心配そうな有安の肩を叩く。
「けいた・・・・・大丈夫なの・・・・・?」
「大丈夫だよ」
くしゃっと制服を握られる。どきっと胸を鷲掴まれたような感覚がした。反射的に上げた腕を下げずに、有安のさらさらの髪を梳いた。綺麗な髪だ。質も艶もいい。けれど色素が薄い。
「大丈夫だよ」なんて口先だけだ。本当は怖い。心配だ。助けて欲しい。けれど誰にそれを言う?求める?そう考えたときに高宮には当てがなかった。
「有安さんが、心配することじゃないよ」
流石に命を失ったりはしないと思う。それでも怖い。得体の知れない恐怖に胸が詰まる。有安といるのも苦しくなる。そして衣澄といるのも。考えないようにしていただけで、本当は怖くて、嫌で、逃げ出したい。逃げ出せるのなら。
「行かなくて、いいよ。行かないでよ!行くことないよ!!行っちゃ嫌だ・・・・・っ!!!」
握る手に力が籠もったのか、制服に寄った皺がより鮮明になる。高宮は髪を梳く手を止めた。
――大切なんだ。有安さんが。
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