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第1話

 キンと冷え切った空気の中を、ゆらゆらと紫煙がくゆっている。公園の外灯に照らされるそれを見るともなしにながめながら、石場悟はベンチに座ってぼんやりしていた。  足音が近づいてきてもそちらに顔を向けることなく、ぷかぷかとタバコをふかしている。 「こんなところで、なにをしているんだよ」 「ん?」  男にしては高音な声に顔を向けた悟は、あきれた顔で見下ろしてくる青年に視線を置いた。 「おう、和臣」 「おう、じゃないっての。なんでこんな寒い日に、わざわざ外でタバコ吸ってんだよ」  そう言いながら、松村和臣はコートのポケットに入れていた手を出した。缶コーヒーが握られている。差し出され、ニヘラと口元をゆるめた悟はそれを受け取り、携帯灰皿にタバコをねじこむとプルタブを開けた。  ズズッと音を立ててコーヒーをすする。 「ふはぁ。あったけぇ」  目じりをゆるめる悟の手の中で、紫煙の代わりに湯気がくゆった。やれやれとため息をついた和臣が悟の横に座る。ベンチの冷たさに尻がキュッと緊張した。 「家に行ったら、真っ暗だったからさ」 「そりゃあ、俺が外に出てたら暗いだろう。誰もいねぇんだからよ」  目を細めてコーヒーを飲みながら、なにがおかしいのか悟はクククと喉を鳴らした。 「なんで、こんなクソ寒いのに外でタバコを吸ってんだよ」 「大人にゃあ、夜風が恋しくなるときもあるのさ」 「なに、カッコつけてんだよ」  フンッと鼻を鳴らした和臣に、悟はまたクククと笑った。和臣は猫のように肩をまるめてコーヒーをすする悟の、男らしい角ばった頬を見つめる。あきれに彩られた目の奥には深い親しみがあった。  和臣の視線を頬に受けつつ、悟は缶コーヒーから指先に伝わる熱を楽しんでいた。そしてふと思いつき、和臣に顔を向ける。 「なあ、和臣。ちょっと金、貸してくれ」 「は?」 「千円でいいんだよ」 「競馬でスッたのか」 「競馬じゃねぇ。競艇だ」  なぜかいばって胸を張る悟に、どっちでもおなじだと和臣が鼻を鳴らす。 「なあ、いいだろう。俺とおまえの仲じゃねぇか」 「さっき大人がどうとか言って、子ども扱いした相手に金をせびるな」 「それはそれだ。成人したばっかのおまえと比べたら、三十路を過ぎた俺は大人だろう?」 「大人なら、大人だと思わせる態度を取れよ」 「なんだ。貸してくんねぇのか」  唇を尖らせた悟は、チェッと子どもみたいに拗ねた。 「貸してくんねぇと、オッサンの干物ができあがるぞ」 「どんな脅しだよ」  吹き出した和臣は腰を上げて、帰ろうと無言で悟をうながした。缶コーヒーを飲み終えた悟は立ち上がり、ベンチ傍のゴミ箱に空き缶を入れる。 「悟の仕事、日祝が休みだったよな」 「おう。それがどうした」 「いままで貸した分も併せて、体で返してくれるんなら貸してもいい」 「体ぁ?」  すっとんきょうな声を上げて、悟はまじまじと和臣を見た。男にしては背が低く華奢な彼は、がっしりと肉厚な悟と比べると弱々しく見える。だが、これがいまはやりの男なのだと悟は知っていた。テレビに映る若手の俳優などは、手足がすらっと伸びていて身幅も細い。無骨な和臣とは対照的すぎる、中性的な卵型の和臣の顔には冗談の色は浮かんでいなかった。 「なんだ。筆おろしなら、女を紹介してやるぞ」 「なんでそうなるんだよ」  パッと満面を朱に染めた和臣に、ニシシと悟は歯を見せる。 「体で返してっつうからよぉ」 「ったく。働けってことだよ。日曜と祝日。仕事のない日に手伝ってもらいたいことがあるんだ」 「ほうん?」 「まあ……休みの日に仕事をするなんて、疲れているだろうから無理にとは言わないけどさ」 「詳しい内容を聞かねぇことには、どうとも答えられねぇなぁ」  家に向かって歩きながら、悟は空をあおいだ。外灯が明るすぎて星がかすんで見える。それでも月はしっかりと存在を主張して、冴え冴えと輝いていた。 「平日しか店を開けていない定食屋が、土日と祝日に店舗を貸してくれるって話があるんだ。そこで仲間たちっていうか……まあ、趣味が合う連中っていうか、そういう奴等とカフェをしょうってことになって。それを手伝ってくれるんなら、時給を払う」  へえっと悟は眉を上げて破顔すると、無骨な手でクシャクシャとミディアムショートの猫毛をかき回す。 「商売をはじめるぐれぇ、デカくなったのかぁ」  顔どころか声までほころばせた悟の手を、てれくさくなった和臣はぶっきらぼうに払った。 「やめろよな」 「はっはっは。そうかそうか、おにいちゃんの手助けが必要なもんで、俺を探しに来たんだな。なるほどなるほど」 「なにが、おにいちゃんだよ」 「しょっちゅう遊んでやっただろうが。さとにぃ、さとにぃって俺のうしろを追いかけてきてよぉ。あのガキが店をやるぐれぇにまでなったのか」  感慨深げに腕を組んだ悟の後頭部を、和臣は軽くはたいた。 「俺の小遣いが半分は目当てだったんだろう。しょっちゅう駄菓子屋でおごらされた気がするんだけど」  ジト目を向けられても、悟は意に介さない。まったくもうと吐息で示した和臣は、それでと腰に手を当てた。悟の家は目の前だ。 「やるの、やらないの?」 「そうだなぁ。ヒマがなくなりゃあ舟遊びもしなくなるだろうし。なにより金がもらえるってのは、ありがてぇな。その上、こぉんなチビのころから知ってるヤツの商売はじめだ。手伝わないわけにはいかねぇだろ。いっちょ、手助けしてやるよ」 「寒い財布の手助けをするのは、こっちのほうだよ」 「まあ、そうとも言えるな。つうか、資金とかそのへんは、どうすんだよ。いつからはじめるんだ」 「詳しい話はまだ……これから。とりあえず場所が決まって、細かい話をつめている最中ってところかな。おおまかな部分は決まっているんだけど」 「ふうん」 「まあ、きっちり決まれば連絡をするよ。それじゃ」  悟の家の前で別れを告げた和臣の横に、悟が並ぶ。 「なに?」 「ん。暗いからな。送ってやるよ」 「なんだよ、それ」 「夜道は怖いし、さみしいだろうからなぁ」 「俺はもう、二十歳の大人だ」 「それでも、さ」  ニッと歯を見せる悟に、和臣はやわらかく口許をゆるめた。 「さみしがりやは、どっちだよ」  悟は否定も反論も肯定もしなかった。  外気と変わらぬ冷たい空気がただよう倉庫の中。  石油ストーブの前でパイプ椅子に座り、缶コーヒーをすすっていた悟のスマートフォンが着信音をひびかせた。 「お」 「なんだ。彼女か」  悟の斜め前でタバコをふかしていた年配の同僚がニヤリとする。 「そんな上等な相手じゃないですよ。かわいい弟分ってところです」  画面を見ながら答えた悟に、そんなヤツがいたのかよと軽口が飛んだ。 「そんなヤツがいたんですよ」  言いながら文面を黙読する。送信者は和臣で、日曜日の午前十時に迎えに行くから、出かける準備をしておけという内容だった。 「なんだ。ニヤニヤして」 「いやぁ。なんか、近所のガキが店のまねごとをやるってんで、手伝ってほしいって言われてるんですよね」 「なんだ、そりゃあ」 「定食屋の定休日に店を借りて、なんかやるとか言ってるんです」 「へぇ。どこでだ」 「さあ。くわしくは聞いてないんで。たぶん、次の日曜にいろいろ聞かされると思うんですけどね」 「ふうん? そんで。荷物運びにでも呼ばれたってのか」 「なにを手伝うのかはわかんないですけど、まあ、そのへんでしょうねぇ」 「なんだよ。手伝いを頼まれたってのに、なんにもわからずじまいってか。のんきなヤツだなぁ」 「変なことを頼む相手じゃないんで。信用してんですよ。なんせ、そいつの生まれたころから知ってるんで」 「ほう。そりゃあ、まあ信用できるだろうが。知らないところで危ないことをしてるって場合もあるからな。気をつけろよ」 「はは。まあ、気をつけます」  受け流しつつ、わかったと返信メールを送った悟は「店かぁ」としみじみつぶやいた。 (あいつ、ガキのころから店をやりたいって言ってたよなぁ)  あまりにも繰り返し言っていたので、だんだんと和臣の夢が自分の夢のように思えてしまった。俺がケーキを焼くから、悟は料理を作ればいいと和臣は言っていた。いっしょにお店をすればいいと勝手に決めていた和臣の言葉を受けて、悟は調理師学校へ進路を決めた。そのとき和臣は小学生で、夢はいくらでも変わってしまう年頃だった。それなのに勝手に彼の夢に自分の夢をよりそわせたのは、なりたいものなどなかったからだ。  もともと悟は手先が器用で、成長期には多くの男子学生がそうであったように、常に空腹を抱えていた。インスタントラーメンでは物足りず、外食をするほど小遣いが多いわけではなかった悟は、冷蔵庫にある食材で適当に料理をするようになった。それがけっこう楽しくもあり、学校が休みの日に家でゴロゴロしていると遊びに来る和臣に、手料理を食べさせてほめられるのもうれしかった。  そういう下地も手伝って決めた進路先は肌に合って、まじめとは言い難かったが調理師免許を取得して、ついでに食品衛生責任者の資格も取った。強要するつもりはなかったので和臣には言っていない。 (俺を気にして、あいつが進路を決めるのはイヤだからな)  小学生のころの夢なんて、けっこう変化するものだ。悟は模型屋になりたいとか警察官になりたいとか、コロコロと夢を変えていた。中学に上がるころにはだんだんどうでもよくなって、高校時代は“いま”が楽しくて仕方がなくなり、将来の夢だとか進学に有利な大学がどうだとか言っている連中のことがわからなくなった。そのままフラフラしていた悟は、口癖のように和臣が言っていた「お店屋さんをする」が耳にこびりつき、進路希望の三者面談で「調理師になりたい」と言ってしまった。  ただそれだけで決めた進路で、その程度の資格取得だった。  卒業してから中華料理屋に就職し、いろいろあって店を辞め、契約社員として運送会社の倉庫で働くようになってはいるが、料理は好きなまま、毎朝せっせと弁当を作っている。 (まあ、あいつはずうっと夢を変えずに製菓学校に通っているけどよ)  本人からではなく、和臣の母親からその話を聞いた悟は彼の一途さに感心した。フラフラしている自分とは違い、しっかりした真面目なヤツだとなぜか鼻が高くなった。  そんな和臣からすれば、ずいぶんと適当な人生を歩んでいるように見えるだろうなと悟が苦笑していると、出荷伝票と出荷のピックアップリストが事務所から届いた。 「そんじゃ。いっちょ働きますか」  ひと声かけて、悟はフォークリフトへと歩いて行った。  食後のコーヒーをすすっているとインターフォンが鳴った。時計を見ると午前十時ぴったりで、几帳面なヤツだと悟はニヤリとした。 「はいはーいっとぉ」  ジャンパーを羽織ってマフラーを巻きながら玄関に出ると、和臣が立っている。 「おう。おはよう」 「おはよう」  靴をつっかけた悟は、どこに行くのかとも聞かずに和臣の横に並んで駅に行き、指定された金額の切符を買って電車に乗った。 「どこに行くのかとか、いろいろ聞きたいことはないの?」 「ん? そうだなぁ。まあでも、行けばわかるんだろ」 「そうだけど」 「説明したいってんなら聞くけど」 「興味がないのか」 「そうじゃねぇよ」 「じゃあ、なんだ」 「二度手間になるだろうって話だよ」  どういうことかと和臣が首をかしげる。 (男でもきれいな顔だと、上目遣いで小首をかしげられたらドキッとしちまうもんなんだなぁ)  他人事めいた感想を浮かべつつ、悟はまじまじと和臣を見た。 「なんだよ」  ムッとする和臣に、いやぁと悟は声をもらした。 「ずいぶんとキレイな顔に育ったもんだと思ってよ」 「は?」  もともとかわいらしい顔立ちをしていると近所で評判だった和臣は、そのまま美麗な青年に育っていた。 「俺とは大違いだ」  子どものころは誰でもかわいいと言われるものだが、和臣のそれは特別な意味が含まれていた。 「モデルにでもなれるんじゃねぇか」  ニカッと歯を見せた悟に、バーカと和臣が半眼になる。 「最近の女には、カズみてぇな細っちろくてキレイな顔した男が人気なんだろう」 「なんか、ほめられてるっていうより、けなされてる気がするんだけど」 「なんでだよ」 「そりゃあ、俺は悟みたいにガタイがいいわけじゃないし、男らしい顔つきをしてもいないけどさ」 「ひがむな、ひがむな。俺はほめてるんだぜ?」 「ほめてるように聞こえないんだよ」 「そりゃ悪かった」  じゃれあいに似た軽快な口喧嘩をしていると、目的の駅に到着した。名前を耳にしたことはあるが縁のなかった駅に降り立った悟は、改札を出てすこし歩くとギョッとした。  電気街として有名な長洲橋のビルのあちこちに、アニメのキャラクターを描いた巨大な看板がある。路上ではミニスカートのメイド服を着た女性たちが、かわいらしい声でチラシを配っていた。  ぽかんと立ち尽くした悟の袖を、こっちと和臣が平気な顔で引く。 「お、おう」  キョロキョロしながら和臣にくっついて歩く悟は、いったいどんな定食屋に連れていかれるのかと不安になった。  どこもかしこもキャラクターのイラストやプラモデル、フィギュアなどが店の前にある。そうでない店の前にはメイド服や、アニメの中に出てくるような制服を着た女性が立っていた。 (定食屋ってのも、なんかそういう……よくわかんねぇ店なのか?)  どうして和臣は平然としていられるのかと疑問を浮かべた悟は、案内された店が昭和レトロな雰囲気の定食屋だったので胸をなでおろした。 (こういう店もあるんだな)  ホッとしてから周囲を見回せば、アニメの看板などに目を引かれていただけで、見慣れたチェーンのコーヒーショップや牛丼屋、ふつうのラーメン屋の姿がちらほらあることに気がついた。  インパクトの強いものに意識を奪われ、昔からあるものに気づけなかっただけかと、悟は定食屋の中に入った。 「おまたせ」  和臣が声をかけた店内には、三人の青年がいた。 (へえ)  どの青年も和臣とおなじく、整った顔立ちをしている。背もそれほど高くはなく、身幅は薄い。はやりの容姿をしている彼等がアイドルグループだと言われても納得できそうだ。 「これが言ってた、手伝いを頼める人」  和臣に雑に紹介された悟は、ヘラリと彼等に笑いかけた。 「悟。こっちが一緒にカフェをするメンバー」 「なんだ。定食屋を借りてカフェをすんのかよ」 「なんの説明もしていなかったの?」  ふわふわとひよこみたいな髪をした青年が目をまるくする。 「説明をしてなかったっつうか、俺が聞かなかったんだよ。行けばわかると思ってな」 「そんな適当に手伝いを引き受けたのかよ」  いたずらっ子がそのまま成長したような、猫目の青年がニヤニヤと悟に近づいた。 「まあ、ヒマだったしな。カズのことは生まれたときから知ってるし」 「ヒマって……お仕事はしていないんですか?」  美少女とみまがうほどに中性的な青年が、わざとらしいくらいに目をぱちくりさせた。 「ちゃんと働いてるっての。でもまぁ、日曜と祝日は仕事が休みだからな。かわいい弟みてぇなヤツに手伝いを頼まれたら、よっしゃ、いいぜってなるもんだ」 「調子のいいことを……本当は違うだろ」  和臣の険しい流し目に、ハハッと悟は頭を掻いた。 「カズに金を借りてんだよ」  さらっと理由を白状した悟は、よろしくなと右手を差し出した。その手を美少女のような青年が握る。 「僕は翔太。霧島翔太です。よろしくおねがいします……ええと」 「石場悟だ」 「俺は平山充」  ひよこ頭の青年が自己紹介をすると、猫目の青年も名乗った。 「松井斗真だ」 「おう。よろしくな」  それぞれと握手を交わした悟は店内を見回した。どこからどう見ても、どんぶり飯を食べるために入る定食屋にしか見えない。 「ここをカフェにするってのか」  店の壁にはカツ丼や天ぷらうどん、生姜焼き定食などと書かれた短冊が並んでおり、どこをどう飾りつけてもカフェになどなりそうにない。 「カフェって響きには程遠い店内だけど、それはそれでやりようってものがあるんだよ」  言いながら和臣は奥の座敷席へ向かった。全員がついて行く。  四人掛けのテーブルをかこんで座ると、和臣たちはそれぞれノートを取り出して広げた。  あれこれと必要な物を考えてきたと話し合う彼等の中には入りづらく、けれどのけ者にされている気はおきなくて、悟はぼんやりと彼等の声を聞くともなしに聞きながら頬杖をついていた。  あくびをしても、誰も悟をとがめない。熱中している彼等のいきいきとした姿に、青春だねぇと他人事めいた感想を浮かべつつ、悟は古めかしい店内のあちこちに視線をさまよわせた。 (どう見ても、カフェなんてしゃれたもんにはなりそうにねぇんだけど)  話し合いの中にちらほらと、和風の制服とか和風ケーキだとかが聞こえてくる。なるほどなぁと悟は目を閉じ、ほのかに香る出汁の匂いに鼻をうごめかした。 (腹、減ってきたな)  昼飯はどうするのだろうと、店内に入る前に目にした飲食店を思い浮かべて、どこで飯を食おうかと考えていた悟は「寝るなよ」と和臣に肘でつつかれた。 「寝てねぇよ。腹減ったから、どこで飯を食おうか考えてたんだよ」 「話し合いの最中だってのにか」 「そう言われてもよぉ。俺は手伝いだろ? あれこれ口出しするよりも、決まった仕事を振られた方がいろいろとうまくいくんじゃねぇの。おまえらのカフェなんだからよ」 「そうだよ、和臣。そんなに怖い顔しなくてもいいじゃない」 「下手にでしゃばられるより、ずっとやりやすいだろ」  充と斗真に後押しされて、悟はニンマリとした。和臣が不服そうな顔をしながら「それもそうか」と納得する。翔太はニコニコとやりとりを見ていた。
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