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第2話
「でもさ。そのおっさん……ええと、石場さんの言うとおり、腹が減ったな。飯ついでに、必要なもんの買い出しするか」
「買い出しをするなら、どんな道具があるか確認してから出ないとね」
斗真が言って翔太が腰を上げると、全員が立ち上がり厨房に入った。古いが手入れの行き届いた立派な厨房に立った悟は、なつかしくなった。中華料理の厨房とはいろいろと違っているが、厨房は厨房だ。家庭用ではない調理場に目を細めて、あれこれ道具に触れてみる。
「あるものは、きちんと片づければなんでも使っていいって言われてる」
契約書類を見ながら和臣が言って、食材はどうなのかと冷蔵庫を開けながら斗真が問うた。
「お酒以外なら、使っていいって言われているよ。残り物だからって」
それを聞いた悟も冷蔵庫をのぞき込んだ。
「全部、使い切ってかまわねぇってことか?」
「その日に使うものは毎朝、業者から仕入れているらしいんだ。だから日曜に冷蔵庫に残っているものは、使わなかったものって認識でいるらしい。それらを使うことも含めての契約だよ」
和臣の手元を充がのぞいて、どこに書いてあるのか確かめる。
「ほんとだ。冷蔵庫にある食材も含めたレンタル料金って書いてある。あとは……俺たちが買ったジュースとかは、大きい冷蔵庫の右下に入れておけばいいって」
「ふうん。なら、それを入れておくプラスチックケースか棚を買ってこようか。きちんと片づけをしておかないと、店主にいやがられるかもしれないしね」
「翔太はきっちりしてんなぁ。端に置いとけばいいんじゃねぇの?」
「まあでも、ケースか棚を用意しておけば、取り出しやすくもなるし」
「どんな大きさのを買う?」
「というか、その前にメニューだろ」
わいわい相談する彼等の声を耳に受けながら、悟は冷蔵庫に入っている食材を確かめた。野菜類はたしかにちょっと鮮度が落ちるが、問題になるほどではない。残り物なら使ってもいいという表現ならば、冷凍庫の肉は使わないほうがよさそうだ。その代り、冷蔵庫にある肉は思い切り使わせてもらって、簡単な食事を提供するのはどうだろう。
(カフェっつっても、飯も出すしな)
和臣たちがどう考えているのかは知らないが、せっかく使っていいと契約金のなかに含まれている食材を、使用しないのはもったいない。
「なあ、カズ」
「ん?」
「今日からもう、これらを使ってもいいのか」
料理人だったころの経験と腕がうずいた悟は、なにか作りたくなった。
「ああ、うん。使っても大丈夫だけど」
「調味料とかも、なんでも使っていいんだな」
「そういう契約になってるよ。……なに?」
「いや……必要なもんを買い出しに行ってる間に、俺が飯を作っとこうかと思ってよ。準備とかで金がかかるだろ? だったらもうすでに金払ってるもんを使えばいいんじゃねぇか」
「石場さん、料理できるの?」
目をまるくする充に、おうよと悟は胸を張る。
「調理師免許、持ってるからな」
「へえ、意外……ああ、だから和臣は悟さんに手伝いを依頼したの?」
さらりと下の名前を呼んだ翔太に、和臣がわずかにまぶたを硬くしつつ「ああ、まあ」とあいまいな返事をした。
「なんだ、そうなのか? そうならそうと言えよなぁ。なんでも作れるってぇワケじゃねぇけど、そこそこならできるからよ」
「知ってるよ」
「そうだったな」
ぶっきらぼうな和臣を、悟は照れくさいのだと判断した。いつも頼りないだの、しっかりしろだの言っている相手に、頼みごとをするのは気恥ずかしいものだ。
わかっているぞと示したくて、悟は和臣の背中を軽く叩いた。それを翔太が推し量る瞳で見ている。充と斗真は冷蔵庫の中をガサゴソやって、肉や野菜を確かめていた。
「おかずは石場さんにお願いするとして、ご飯はいまから炊かなきゃいけないよね。主食は買い出しついでに、どこかで買ってくる?」
「ああ。その必要はねぇよ」
冷凍庫を開けて、悟は一膳ぶんずつ小分けされた冷凍ご飯を取り出した。
「冷凍してある肉とか魚はさすがに気が引けるけど、これなら使ってもかまわねぇだろ」
「人数分、足りる?」
「どんだけ食うのか知らねぇけど、まあ……足りるんじゃねぇか。嫌いなもんがなけりゃあ、適当に作るぞ」
「無駄な金を使わないでいられるんなら、俺は賛成」
斗真が言って、俺もと充が同意する。
「悟さんの手料理、楽しみです」
にっこりとした翔太にうなずき、悟は和臣に「おまえに異論があるはずねぇよな」と確認っぽく断定した。
「まあ、助かるけど」
「よっしゃ。そんなら適当になんか作っておくから、おまえらは買い出しに行ってこいよ」
言いながらガチャガチャと調理器具を準備する悟に、それじゃあよろしくと斗真が言って、和臣以外の三人は買い物に出かけた。
「カズは行かないのか」
野菜を切りながら悟が問うと、和臣が微妙な顔で首を縦に動かした。
「俺がひとりで残るのが不安か」
「そうじゃない。信用していないとか、そういうことじゃないから」
「じゃあ、なんだよ」
「うん」
「はっきりしねぇな」
料理の手を止めることなく、けれど和臣を背中で気にしながら、悟は手早く調理をしていく。
「手が空いてんのなら、冷凍のメシを解凍しといてくれ」
「うん……わかった。あのさ」
「ん?」
「いや、その……翔太のこと、どう思った」
「は?」
「ああ、うん……なんでもない。忘れて」
「なんだよ。ケンカでもしてんのか」
「そういうことじゃないけど」
「なら、意見の食い違いってところか。まあ、なんかをするってなったら、そういう衝突もあるもんだよなぁ」
じゅわっとフライパンが悟に同意した。慣れた手つきで野菜炒めを作る悟の横に和臣が立つ。
「まあ、そうだね」
「なんにせよ、本気で取り組んでるって証拠だからいいじゃねぇか。グチなら聞くし、相談なら乗るし、遠慮せずになんでも言えよ」
「う……ん」
醤油とかつお節で味つけをして、野菜から出た汁に溶かした片栗粉を混ぜてとろみをつける。火を止めた悟は解凍されたごはんをどんぶりに入れて手を止めた。
「あとは、あいつらが帰ってきたらする」
手が空いたぞと遠まわしに告げた悟は、和臣を見下ろした。
「どうした? なんか言いたいんだろ」
「そうだけど、なんていうか」
「言いづらくなっちまったのか」
「まあ、そう……かな。そうかも。言わなくてもいいかなって」
「ふうん? まあ、俺はどっちでもいいけどよ。モヤモヤするんなら、言っちまったほうがいいんじゃねぇか。いまは、ふたりだけなんだしよ」
「ん……そう、だね。ああ、えっと……カフェのことなんだけど」
「ん?」
翔太のことはどうなったんだと思いつつ、悟は突っ込まないで聞く。
「コンセプトカフェってことで、衣装を作るんだ」
「衣装? 作るって、手縫いってことかよ」
「手縫いというか……まあ、手作りだけど。市販のものでもいいかもしれないけど、どうせならってことで充が作ってくれるんだ」
「へえ。あのひよこは裁縫ができるんだな」
「ひよこって」
吹き出した和臣に、ようやくこわばりが解けたなと悟は頬を持ち上げる。
「ひよこみたいだろ? ふわっふわの髪な上に、目がクリクリで顔もまるいし。斗真は猫みてぇだから、なんか仲良くしてる姿は不思議に見えるな」
「翔太は?」
「ん」
「翔太は、動物に例えたらなにになる?」
「ああ、うーん」
腕を組み、翔太の姿をまぶたに浮かべる。
「動物……ねぇ、動物、動物かぁ」
ぶつぶつ言った悟は、下唇を突き出した。
「動物っつうより、なんか花とかそっちっぽいな」
「花?」
意外だと声を高くした和臣に、おうっとうなずき「花だな」と自分に向けてつぶやいた悟は、天上を見上げた。
「自分から動かずに、獲物っつうの? なんか、待ってる感じするんだよな。甘ったるい匂いのする、でっかい花って感じだなぁ」
「なるほど。たしかに、そうかも」
「そんでカズは、犬っころだ」
「は? なんで俺が犬なんだよ」
「いっつも俺についてまわるだろ」
ニシシと悟は歯を見せた。
「子どものころの話だろ」
「いまでもけっこう、俺の後をついてまわってんじゃねぇか」
「いつ」
「なんだかんだで、俺の居所を見つけて声をかけてくるだろう。この間だって、よく俺が公園にいるってわかったな」
「あれは……用事があったから行っただけで、べつに悟を追い回しているわけじゃないよ」
「公園にいるってわかった理由は?」
「付き合いが長いから、それくらいすぐ思いつくってだけだろ。あの時間に家にいなかったら、公園か呑みに行ってるかのどっちかしかないからさ」
「まずメールか電話か、よこしてから来ればいいのに」
「そんなことをしなくても、悟はつかまるって思ってたから」
「嗅覚で俺を見つけられるからだろ」
和臣の鼻をつついた悟の指が、乱暴に叩き落される。
「いつまでもガキ扱いすんなよな」
「そんなつもりはねぇけどよ、そう感じるんなら長年のクセのせいだろうな。なんせ俺は、おまえが生まれたときから知ってんだからよ」
くやしそうににらみ上げてくる和臣の頭をクシャクシャとかき混ぜて、悟は厨房を見回した。
「そんで。カフェをするっつってたけど、コーヒーとか紅茶とかジュースとか……あとは、どんなものを出すつもりなんだ? いまのうちに、そのへん教えといてくれよ」
「ああ、うん。そう……ここの設備で出せそうなものを、いっしょに考えてほしくて呼んだんだ。悟はお店で働いていたことがあったから」
「つっても中華屋だけどな。それを言うなら、おまえは菓子の学校で勉強してんだろ? 設備のこととかも、わかってんじゃねぇのか」
「まあ、そうだけど。やっぱり経験者がいると安心するっていうか、心強いだろ。値段設定のこととか、いろいろあるし」
「ふうん。まあ、そうだな。そういうことなら俺もせいいっぱい、ない知恵しぼってアドバイスしてやるよ」
「知恵熱を出さない程度にしてくれよな」
「はっはっは」
笑いながら、悟は厨房を見回した。
(コーヒー……なんて、あるわけねぇか)
店主が休憩中に飲むこともあるのではと思ったが、ぱっと見てそれらしいものは見当たらない。すると和臣が奥に行き、悟からは死角になっている場所に入った。
「コーヒーマシーン、あるけど」
「え」
「飲みたくなったんだろ。淹れるよ」
「そんなもんがあるのか」
へえっと感心しながら近寄ると、なかなか立派なコーヒーマシーンが一台あった。
「ちかごろは、こういう店でもコーヒーを出すんだって」
「これも使っていいってか?」
「そう聞いてるよ。というか、これがあるからここを借りようって話になったんだよ。インスタントコーヒーを出すより、ずっと上等だろ」
「たしかになぁ」
てきぱきと準備をする和臣を見ながら、いろいろ考えているんだなぁと感慨を深めた悟は、尻ポケットからタバコを出した。
「この店って、禁煙なのか?」
「客席に灰皿がある」
「なら、表に出てるわ。コーヒー持ってきてくれるだろ」
ひらひらと手を振りながら、悟は厨房から出てすぐのテーブルに着いて灰皿を引き寄せた。タバコの尻をテーブルでトントン叩き、葉を詰めてから火を点ける。
しばらくのんびりふかしていると、コーヒーの香りが漂ってきた。出汁の匂いにコーヒーの香りが混ざるというのは、なんとも不思議な感じがする。
(けどまあ、そんなもんなのかもなぁ。食後の一服とコーヒーがいるってヤツは、俺のほかにもいるだろうし)
チェーンの回転寿司屋でもコーヒーやケーキを提供しているから、あるのが当たり前という客も増えていそうだ。そういうニーズに応えて、ここの店主はコーヒーマシーンを導入したのか、自ら進んでメニューに取り入れたのか。
なんとなくメニュー表を開いた悟は、最後のページに記載されている“お茶だけでもお気軽にご利用ください”のひと言に苦笑した。そのページには団子やあんみつなどのほかに、カステラの文字もある。コーヒーはそのために導入したのかと、駅からここまでの間に目にした看板を思い出した。買い物の途中に、ちょっと休憩したいという客を狙っての表記だろう。
(喫茶店がわりに定食屋に入る客もいるってことか)
それなら定食屋をカフェにするという案も突飛ではないなと考えていると、和臣がコーヒーを両手に持って悟の前のイスに落ち着いた。
「おう、さんきゅ」
タバコを灰皿に押しつけてコーヒーを受け取った悟は、メニュー表を和臣に見せる。
「ここ、カステラとかも出してるらしいな。団子とかあんみつなんかもあるけどよ。そういう路線でやんのか?」
「いや……和風のスイーツを中心にしようとは思っているけど、俺は洋菓子の勉強をしてるから」
「だよな。んじゃあ、どんなふうにするんだ」
「日持ちのしない、凝ったものをはじめから出すのは怖いから、パウンドケーキとか日持ちのする、種類も用意できるものにするつもり。客足がそこそこ見込めるようなら、生クリーム系もしたいんだけど」
「はじめはリスク回避で手堅くいくってことか」
「潤沢に資金があるわけではないからね」
「まあ、学生のバイト代で貯めた金なら、そうだろうな」
「悟がいいなら、厨房はまかせたいんだ」
「ん?」
ズズッとコーヒーをすすった悟に、和臣が固い表情を向ける。
「パウンドケーキなら前の日に準備をしておけるから。厨房を悟にまかせて、俺たち四人で接客をする。認知度を上げるためにチラシ配りもしたいし、そうなると四人だけでは手が足りなくなると思うんだ。せっかく冷蔵庫の中の食材を使ってもいいって言われているし」
「どうせなら飯も提供できたらいいなってことか」
「そう。けど、そうなると悟は休日がなくなるだろう。だから、無理だと思ったら遠慮なくそう言ってほしい」
「料理をまかせるってなったら、気まぐれで手伝ったり手伝わなかったり、なんてできねぇしな。店の信用的に」
「できればランチタイムだけでも、厨房に立ってくれるとありがたいんだけど」
だんだん顎をうつむけて、目だけを持ち上げ気弱になっていく和臣に、ふうむと悟は鼻先でうなった。
「日曜と祝日と、どっちも店を開けるのか」
「日曜だけだよ」
「なんで」
「なんでって……俺たちだって用事はあるし、それぞれの交友関係とかもあるから。祝日くらい開けておかないと、困る場合もあるだろう」
「たしかにな」
「だから、日曜だけって決めているんだ。土曜も使っていいって言われているけど、大学があるヤツもいるしさ」
「おなじ学校じゃねぇのか」
「斗真と翔太は普通の大学、充は洋裁の学校」
「それがなんで、いっしょに店をやるってことになったんだ」
「それは……まあ、なんか、話の流れで」
言いよどむ和臣に、なにか隠しているなと察する。
(まあでも、言いたくなったら言うだろ)
聞きださなきゃいけないことでもないしなと、悟は詳しい説明を求めなかった。
「ふうん」
「それで、どうなんだ」
「そうだなぁ」
腕を組んでもったいつけた悟は、ニヤッとして案じ顔の和臣の鼻をつまんだ。
「うっ」
「そんな顔すんなよ。手伝うに決まってんだろ」
「休みがなくなってもいいのかよ」
「頼んだクセに、その聞き方はねぇだろう? だいたい、借りた金のぶん体で返せっつったのはカズだろうが」
「そ……うだけど」
「心配ねぇよ。厨房に立つのは好きだし、金が入るのはありがてぇしな。ヒマがあるから舟券を買っちまうわけで、やることがありゃあ散財もしなくなる。いいことづくしじゃねぇか」
それに、と悟は前にのめった。
「おまえの長年の夢の端っこだ。言われなくとも勝手に手伝いに来る」
「長年の夢って」
「そうだろう? ガキのころから、店をやりてぇっつってたじゃねぇか。そのための菓子作りの学校で、これは店をやるための実地練習なんだろう」
なんでもお見通しだと目顔で伝えれば、和臣の顔が赤くなった。
「なんだよ。照れるな」
「て、照れてなんてねぇよ」
「じゃ、なんで顔が赤いんだ?」
「コーヒーが熱かったんだよ」
「ま。そういうことにしといてやらぁ」
ニヤニヤしながら座り直した悟に、むくれながら和臣が書類を見せる。
「いろいろと準備がいるから、開店は再来月にする予定なんだ。どんなものを出すのか具体的には決まっていないし、値段も決めなきゃいけないし。ホームページってほどじゃないけど、ブログかSNSかで事前に情報発信もしておきたいから。あと、みんなの給料とかも考えなきゃいけないしさ」
「責任者は誰なんだ」
「俺だよ。だから、会計処理とか事務手続きとか、そういうものも店舗を紹介してくれた人に相談しながら――」
「ただいまぁ」
元気な声で、三人が帰ってきた。
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