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第7話

 狂おしくうめく和臣の唇が、悟の嬌声をふさいだ。悟は口内でくぐもる自分のあえぎを頭蓋に響かせ、想いを打ちつけてくる和臣の熱に身をよじる。 「んふっ、ん、むぅ……うっ、ううっ、んっ、う、うう」  ギシギシとベッドがきしみ、揺れるごとに手首の戒めがゆるくなる。悟は手首を回して指を曲げ、帯を外すと和臣を抱きしめた。もう泣くなと気持ちを込めて、和臣の背中をさする。 「んっ、んぅ、う……ふ、んはっ、んぅう、う、はぅ、んむぅ」  舌で口内を乱暴にまさぐられ、体の奥を熱く激しくかきまわされて、悟の腰は情欲に弾けた。 「ぐっ、んぅうっ」  ビクンと跳ねた悟の秘孔が引き締まり、和臣の熱にすがりつく。圧迫された和臣は、グンと深い場所をえぐって己を開放した。 「くっ、ふぅ……ぅ」  ビクビクと震える和臣の劣情を受け止めた悟の裡で、乱暴なほどに激しい感情が爆ぜた。 「カズ」  かすれた声で呼ぶと、涙で顔をぐちゃぐちゃにした和臣が悟の胸にしがみついた。 「ふっ……ぅ、うう」  嗚咽をもらす和臣の髪を、悟は慈しみを込めた指先で梳いた。繋がったままで泣きじゃくる和臣を、とがめる気持ちはさらさらなかった。 「カズ」 「っ、悟……っ、悟」  首を伸ばして髪にキスをした悟は、好きなだけ和臣を泣かせた。寝間着の胸に和臣の涙がにじむ。それを心地よく受け止めながら、悟は窓の外に目を向けた。  青空がしずしずと夕茜に侵食されていく。  自分の心も空と同様、茜色の感情に支配されはじめている。  悟は和臣の質量とぬくもりを抱きしめながら、意識の変化を認識していた。  体を拭われ、着替えをさせられながら、悟はどう言葉をかけようかと考えていた。和臣はもくもくと手を動かして、なるべく目を合わせないように性交の後始末をしている。  すべてが終わっても、和臣は顔を上げない。体はさっぱりしたものの、尻にはまだなにか入っている感覚のある悟は「あー」とうめいた。 「喉、渇いた」 「じゃあ、なにか買ってくる」 「おう」  うつむいたまま出ていく和臣の背中に、緊張がのしかかっている。怯えているのかもしれないと、見送りながら思った悟は息を吐いて目を閉じた。 (どうすっかなぁ)  ベッドに沈む体は重い。腰のあたりがだるい上に尻がムズムズしている。体は拭いてもらったが、頭はしっとりと汗ばんだままだ。  泣きながら必死に体を揺らしていた和臣の額に、汗で前髪が張りついていた。溺れている人間が必死に酸素をむさぼるようにキスをされた。 「はじめてだってのに、容赦なくガツガツしやがって」  悪態をついた悟の口許は、ほころんでいる。胸の奥がやわらかなものにくすぐられて、ニヤつきかけた唇を軽く噛んだ。 (悪い気はしねぇな)  むしろよろこんでいる自分がいる。理由はわからない。ふつふつと浮かんでは弾ける気持ちを静かに味わう。  どこからこの気持ちがやってきたのか考えて、来たのではなく生まれたのだと気がついて、もともとあったものが風船のように空気を入れられ大きく膨らんだだけだという結論に至った。 (なんだかなぁ)  よくわからない。  よくはわからないが、優越感に似た快さがある。 ――さとにぃを、お嫁さんにする。  あの戯れ言を、和臣はずっと本気で胸に抱え続けていたのかと、悟はクックッと肩を揺らした。 (まったく、かわいいヤツだ)  そして自分はどうしてしまったのかと首をひねる。男に――しかも赤子のころから知っている相手に犯されたというのに、まったく悪い気がしない。それどころか愛おしさを抱えている。 (俺はいったい、どうしちまったんだ)  泣きながら想いを打ちつけてきた和臣は、ちいさな体でせいいっぱい悟を抱きしめようとしていたころのままだった。 (ちっとも成長してやがらねぇ)  図体ばかりが大人になって、中身はすこしも変わっていない。 (あいつはガキのころから、どこか生意気っつうか、えらそうだったつうか……しっかりしてたな)  まっすぐで、裏表がなくて、あやういくらい正義感にあふれていた幼少期の和臣をなつかしんでいると、成人をした和臣がお茶のペットボトルを手に戻ってきた。 「ほら」 「おう」  起き上がりながら受け取って、半分ほどを一気に飲んだ。ふうっと息を吐きながら、悟は枕元の棚に置かれた紙袋に手を伸ばす。 (翔太のヤツには腹が立つが、土産に罪はねぇもんな)  そう思ってスナック菓子を取り出した悟は、「食うか?」とひとつを和臣に差し出した。 「いらない」 「そっか」  落ち着かなさげな和臣だが、帰る気振りはない。なにか頼める用事はないかと紙袋の底をゴソゴソやった悟は、リンゴを見つけた。 「なあ、これ剥いてくれよ」  差し出すと、顔を上げもせずに目先だけでリンゴを確認した和臣は、それを手に取り自分が持ってきた紙袋の中から果物ナイフを取り出した。 「おう、用意がいいな」 「あると思って言ったんじゃないのかよ」 「ん? まあ、なくてもなんとかするだろ。どっかから借りるとかさ。……つか、なんで果物ナイフを持ってきたんだ」  和臣が無言で、紙袋の中からリンゴを取り出した。 「なんだ。おまえもリンゴかよ」 「みかんもあるけど?」 「あー……うん」 「なんだよ、その反応」 「いや。みかんもいいなって」 「どっちも食えばいいだろ」 「まあ、そうだけどよぉ」 「どうすんだ」 「じゃあ、どっちも剥いてくれ」 「は? みかんくらい、自分で剥けよ」 「いいだろ。俺はケガ人なんだし」 「手は無事だろうが」  腕を持ち上げた悟は、自分の歯形がクッキリついている手首に気づいた。体を拭いていたときに、和臣も見たはずだと腕を伸ばす。 「ほら、ケガ」  険しく顔をゆがませた和臣の瞳に悲しみが広がる。青ざめた和臣は舌打ちをして視線を外し、みかんの皮を剥きはじめた。 「カズ」  呼んで口を開けた悟に視線を合わさず、和臣はみかんを差し出す。悟は手を出さずに口を開いて待った。しばらくしてから、和臣はまた舌打ちをして房をちぎると、悟の口にみかんを入れる。 「ったく」 「ん。うめぇな」 「自分で食えよ。ガキじゃあるまいし」 「弱ってるときは甘えていいんだろ?」 「なんだよ、それ」 「カズが言ったんじゃねぇか」 「いつ?」 「おまえが学ラン着はじめたとき」 「……よく覚えてんな」 「さっき思い出したところだ」  和臣がお茶を買いに行っている間に、ふわっと浮かんだ記憶を掴むとズルズルといろいろな思い出が引き出された。その中でも強烈な出来事と、意識をする余裕のなかった時期のやりとりとを手繰り寄せた悟はニンマリとする。 「なに、へらへら笑ってんだよ」 「昔は、俺の世話をしたがってたよな」 「ああ……上が姉ふたりだから世話をされるばっかで、世話をする側になりたかったんだよ」 「それで、手近な俺の世話を焼こうとしてたってわけか」  ムッとして、なにかを言いかけた和臣の口が閉じる。出てこなかった反論を待っても、みかんしか差し出されなかった。  しかたがないのでモグモグやっていると、あっという間にみかんはなくなった。無言のまま和臣がリンゴを切る。四つに分かれたリンゴの皮にナイフが入った。手際よくリンゴがウサギになっていく。 「なんで、ウサギ?」 「イヤか?」 「なんでかなってだけ」 「皮にも栄養があるんだよ」 「ふうん」  ふたたび口を開けた悟に、やれやれと和臣はリンゴを入れた。ムグッとうなった悟は、シャクシャクと口からはみ出たリンゴを引き寄せ咀嚼した。 「とっとと退院してぇなぁ」 「まだ二日目だろ」 「たった二日で飽きるぐれぇ、ヒマなんだよ」 「もうちょっとおとなしくしてろよ。治らないと困るだろ」 「まあなぁ」  とりとめのない会話をしながら、悟は和臣の手からリンゴを食べ続けた。その間、視線はすこしも合わない。 (ちゃんと目を見て話をしてぇんだけどな)  どんな話がしたいのかは、視線が重なったら勝手に出てくるはずだ。いまはただ、きちんと和臣の目を見たい。 (俺の目を見て、向き合えよ)  心の中で伝えても、和臣には届かない。そうとわかっていても言葉にすれば責めていると感じられそうで、悟は言えずにいた。強要しても和臣にその気がなければ会話にならない。だから彼が呑み込んだ言葉を取り出すのを待っていたのだが。 「それじゃあ、俺……そろそろ帰るから」  リンゴがなくなると、和臣は立ち上がりカバンを手にした。ふたつめを剥いてくれと言うのは不自然で、ちょっと言いづらい。 「帰るのか」 「うん」 「そっか」  なにか言いたいのに言葉が見つからない。和臣はこのまま帰って、考える時間を持ってから会話をするつもりなのか。 (俺もいろいろ整理したいし)  それがいいかもしれないと思った悟に、ドアに手をかけた和臣が背中越しに言った。 「あやまらないからな」 「え」 「抱いたこと」  飛び出した和臣がドアに遮られて見えなくなるまで、悟はポカンとしていた。  しばらくぼんやりしてから、ボリボリと頭を掻く。 「どうすっかなぁ」  自分に問うた悟の網膜に、泣きながら必死に体をぶつけてくる和臣のゆがんだ顔が焼きついていた。  居間で大の字に寝転がって、悟はぼんやりしていた。病室で口癖のように「退屈だ」と言い続けていたら、苦笑した医師に「無理をしないのであれば」と退院の許可を出されて、手続き上の関係で金曜日の午前中に退院となった。  入院手続きをしてくれた事務員がやってきて、あれこれと退院の手続きをしてくれた。病院の前で「ひとりで大丈夫なんで」と断り、慣れない松葉杖を駆使しつつタクシーを拾って家に戻った悟は、荷物を放り出してゴロリと横になった。  そのままずっと、天井を見るともなしにながめている。 (あれから、来なかったな)  あの日から和臣の見舞いはなかった。着替えは充分な量があったし、職場の人間が見舞いに来てくれたので間食の差し入れに不足はなかった。しかし気持ちが物足りなくて、いつ来るかいつ来るかと待っていたのだが、とうとう和臣は姿を現さなかった。 (まあ、気まずいってのはわかるけどさ)  平気な顔で見舞いに来られてもとまどう。別の意味で翔太が来ないかとドキドキしていたが、こちらも顔を見せなかった。それはそれでホッとする。 (けど、日曜……店、どうすんだ)  悟は店の厨房に立つつもりでいる。そのとき和臣はどんな顔をするだろう。翔太は? 翔太と和臣はあれからなにか話をしたのだろうか。和臣は店の責任者だから休むことはないだろうが、翔太は出勤しないかもしれない。そうなるほうがおだやかでよさそうだ。しかし続けばどうなる? 翔太を目当てに来ている客は離れるだろう。 (それはそれで、いいかもしんねぇな)  店の客というものは新陳代謝が必要だ。でなければいずれ衰退してしまうから。  店員の手が足りないわけではない。店は回せる。しかしなにか、わだかまりが彼等の中に生まれやしないか。 (つうか、あいつらってどんな関係なんだ)  おなじ趣味の仲間なのだと聞いている。夢の話をして、いっしょに店をしようとなったのだから、それなりの仲のはず。その中のひとつが欠けたら、関係がいびつになりはしないか。 「うーん」  うなると、腹の虫が鳴った。横目で壁掛け時計を見ると、昼すこし前だった。 (グダグダ考えてたってしかたねぇ) 「とりあえず、なんか食うか」  よいこらしょっと立ち上がり、時間をかけて冷蔵庫の前に立つ。 「ロクなもん、入ってねぇな」  フンッと鼻を鳴らした悟は、買い物に出ることに決めた。  いつもの倍ほど準備に時間がかかってしまう不自由さに、うんざりとして家を出る。  ノロノロと道を行く悟の頬を、凍った空気が撫でてくる。顔をしかめて白い息を吐きながら、なにを食べようかと考えた。 (料理すんの、めんどくせぇな)  どこかの店に入って食べるか。 (けど、厨房に立つんなら、この足に慣れておかないとな)  やっぱりなにか作ろうと寒空の下、スーパーに向かった。その間に、つらつらと脳みそが問題を読み上げる。  和臣はどうしているのか。  翔太と和臣は会話をしたのか。  ほかのふたりは和臣たちの問題を知っているのか。 (俺のことは和臣が連絡したって言ってたけど、あいつら店のほかでも会ってんのかな)  いつどこで知り合って、どんなふうに仲良くなったのかを悟は知らない。彼等が女装趣味であるという共通点のほかは、なにも知らなかった。 (そもそも、カズはいつから女装してんだ)  子どものころにふたりの姉の着せ替え人形にされていたのと、自主的に女装をしているのとでは意味が大きく違っている。しかしそれがきっかけで、女装を楽しむようになったとも考えられる。 (あんなにイヤがって、泣きながら俺んとこに逃げて来てたのにな)  クックと肩を震わせながら、悟はスーパーの自動ドアをくぐった。 (泣いてるあいつを連れて、よくここに来たな)  なんかうまいもん作ってやると言って、遊びに来た幼い和臣の手を引きスーパーで食材を物色した。とは言っても、そのころの悟が作れるものは限られていた。なんだかんだ言いながら、和臣のリクエストに応えている態で自然に自分の作れるものに誘導し、食材を購入した。 (そうだ。クッキーだかケーキだかを作ってくれって言われて、そんなもんは作れねぇって答えたんだったな)  そうしたら和臣は、それなら自分が作れるようになると言った。そりゃあ楽しみだと返したはずだと、白菜を手にしながら悟はなつかしがった。 (もしかして、あれがきっかけなのか?)  それをずっと、十数年たっても胸に抱えて夢にして、仕事にしようと決めたのだとしたら。 (どんだけまっすぐなんだよ)  フッと笑った悟の横を、初老の女性が不審な目をしながら通り過ぎた。  白菜を買い物カゴに入れ、豚肉を物色しながら思い出をたぐりよせる。 (あいつの母親、いっつも甘い匂いをさせてたよな)  あれこれ家で洋菓子を作っていたから、和臣はお店屋さんになるのだと言っていた。そう認識していたのだが、違っていたとしたら――?  口許がニヤけて、悟は片手で鼻の下を隠した。 (俺の言ったことを気にしてたんだったら、めちゃくちゃかわいいじゃねぇかよ)  クックッと喉を鳴らしつつ発泡酒を買い物カゴに入れて、つまみを物色していると声をかけられた。 「あらぁ、悟くん?」  不安交じりのほがらかな声が聞こえて、顔を向けた悟は「ああ」と納得しながら破顔した。 「おばさん」  栗色に染めた髪をシュシュで結んでいる中年女性が、親しみと心配を顔にのぼせて立っていた。 「和くんから入院したって聞いていたけど、もう退院したの?」 「入院生活が退屈なんで今朝、退院してきたんですよ」 「まあまあ、そうなの」  眉を下げた女性の目じりに上品なシワがある。 (この人も年を取ったよな。五十代だっけ)  息子の和臣が成人をしたのだから、母親である彼女が相応の年を取るのも当然だ。 (俺も、そのぶん年食ったってことだよな)  ふいにしみじみと歳月を感じた悟の心が、ギュウッと切なく絞られる。 「これから、お昼ご飯を作るの? ケガをしていると大変でしょう。それなのに、えらいわねぇ」  彼女からすると、自分はまだ子どもに見えるのかと苦笑する。 (まあでも、俺もカズをガキのころとおなじに見るときあるしな)  ほめつつも心配だと顔中で言ってくる和臣の母を見ていると、妙案が浮かんだ。 「あのさ、おばさん。ちょっと、頼みがあるんだけど」 「あら、なあに?」  頼られるよろこびに頬を染めた彼女に、悟は申し訳ない表情を作って遠慮がちな声を出した。 「いろいろとさ、不便なんだよ。とくに、風呂がさ。だから、カズをしばらく、うちによこしてもらえると助かるんだけど。――いいかな」 「あらぁ。そんなことでいいなら、いくらでも泊まらせるわよ」 「いや、泊まるまではしなくていいんだけどさ」 「遠慮しないの。なにかをするにしたってギプスは重いし、大変でしょう? 退院したばっかりで、まだ気がつかない不便がいっぱいあるはずよ。家は近いんだし、和くん昔からしょっちゅう悟くんの家に行ってるんだから、大丈夫よ」 「はあ」  予測以上の快諾に気の抜けた返事をすると、そうだと彼女は手のひらを打ち合わせた。 「ひさしぶりにケーキを焼こうかしら。日持ちする、朝ごはんにもできるもの。お買い物に行くのも大変だものね。口さみしい時に、ちょっと食べられるものがあるといいわよね」 「ああ、ええと」 「うふふ。娘ふたりはダイエットだって言って、あんまり食べてくれなくなっちゃったし、和くんは学校で作って食べてるからいらないって、作り甲斐がなくなってたのよ」 「あー、おばさん」 「なあに?」 「アップルパイがいいな」 「あらっ、そう? まあ、日持ちするものね」 「ついでにミートパイもあると、うれしいんだけど」 「そっちが本命ね。いいわ、あとで和くんに持たせるから、楽しみにしておいて。お昼ごはん、おばさんの家で食べる? 作るの大変でしょう」  カゴの中をさりげなく確認されて、悟は「大丈夫」と答えた。

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