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第二話『 邂 』- 01 / 02
――大丈夫。私はいつでも貴方の傍に居るから。私が離れていても、もう一人の私が、ずっとここに居るからね
その声は、心地よい眠りを妨げるようにして、彼の脳内に腰を据えた。
(……うるせぇんだよ)
そんな無遠慮な声に対し、彼は目を覚ますなり悪態をついた。
― 第二話『邂』―
「おはよう。水、持ってきたけど、飲むかい?」
悪態をついて目を覚ました彼に声をかけたのは、彼が一晩を明かしたこの家の主だ。
そんな家主の問いに対し、彼は頷いた。
「ん゛……」
しかし、その声は酷く枯れていた。
家主は、そんな彼の声を穏やかに笑いながら言った。
「ふふ、凄い声だねぇ」
彼は、そんな家主に対し、
(誰のせいですかねぇ……)
と視線のみで訴えながら、家主に差し出されたグラスを受け取った。
そんな彼は、名を豪阪綺刀 と謂 う。
その年、――2018年8月に21歳となる、民俗学を専攻する大学生だ。
そんな綺刀だが、その容姿は独特で、襟足の長い赤髪に、左目は金、右目は赤と、一見しても分かるほどに派手な外見をしている。
とはいえ彼は、血筋により先天的に肌や毛髪の色素が薄い体質なのだ。
それゆえに、髪は赤く染めているが、左右の瞳の色も先天的に違い、金も赤も地の色なのである。
そんな事から、一見して派手な外見をしているだけのごく普通の学生に見えるが、その実態は、外見に反して非常に勤勉で、その血筋や体質についても、“かなり特殊な青年”なのだ。
また、その綺刀が“声を枯らすほどに濃厚な”一晩を明かしたこの家の主は、綺刀の三つ上の先輩にあたる院生で、その名を満月禰琥壱 と謂う。
その禰琥壱もまた、民俗学を専攻とする学生だ。
そして、その変わった名と、“かなり特殊”な綺刀と大層親しくしている先輩である事に遜色なく、この禰琥壱も“かなり特殊”な青年である。
まず、外見はといえば、これもまた綺刀に劣らず目立つもので、深緑に染まった肩にかかるほどの長髪は、襟足に暗い紫のグラデーションが入っており、前髪の右側には銀のメッシュカラーを入れている。
更に、人目に触れるところでは、右の鎖骨下、そして左腕の上腕に刺青が入っており、黒縁のグラスも、彼の印象を強めている。
そのような容姿に加え、内面は非常に穏やかな反面、非常に浮世離れしている面もある為、内外共に独特な雰囲気を持ち合わせているのだった。
そんな、特殊同士の彼らが、――恋仲ではないが、非常に強い信頼関係にある――という独特な関係の上で、いつも通り濃厚な一晩を過ごした翌朝。
喉を啼かす側であった綺刀は、そういった朝に来る事後特有の体の気怠さを感じながら、グラスに口をつけつつ何気なく禰琥壱を見た。
そして、
(相変わらずいいカラダしてんな……)
と思いながら、やんわりと昨晩の事を思い出した。
綺刀がそう思う通り、禰琥壱の独特さは、その体格の良さにもあった。
ややすらりとしたシルエットながら、ほぼ190ほどある身長で、体格もなかなかとなれば、より目立つのも頷ける。
そんな禰琥壱は、朝方かつ夏という事もあってか、ボトムはしっかり穿いているものの、上は真っ白なワイシャツを軽く羽織るのみという状態で、その髪を肩口で緩く結っては、甘い香りのする煙を燻らせていた。
そして、今は部屋の入口に立ち、その戸口にもたれかかるようにしながら、スマートフォンを弄っている。
恐らく、何かしらの電子文献にでも目を通しているのであろう。
彼の瞳は、文面を追うように左右に動き、親指は一定の感覚で画面を上下に擦っている。
(まさに眼福……)
そして、その禰琥壱の色を堪能するなり、綺刀はまたひとつ、グラスに口をつける。
すると、それにより、綺刀の身体には再びほどよく冷えた水分が沁み渡った。
また、それに次いで、柑橘系の香りやハーブの香りがふわりと香る。
禰琥壱は、そんな綺刀をふと見るなり、ひとつ微笑んでは言った。
「もうちょっとそこに居る?」
綺刀はそれに頷く。
「ん……もうちょっとグダる」
すると、禰琥壱はそれに再び頬笑み、今度はベッドの淵に腰掛けるようにして言った。
「ふふ。うん。分かった」
そして、次いで綺刀の髪をやんわりと撫でては、再びスマートフォンへ視線を戻した。
そうして、彼らはまたそれから少しの間。
その心地よく穏やかな朝のひと時を満喫したのだった。
そして、その後。
一階のリビングでテーブルを挟み、共に少し遅めの朝食を摂った綺刀に対し、禰琥壱は穏やかに問うた。
「――それで、俺に何を見てほしいんだっけ」
綺刀は答える。
「あぁ、えっと、こっからちょっと歩いた先にある古いアパートなんだけど」
「“アパート”?」
禰琥壱は、それに不思議そうに首を傾げる。
綺刀はそれに再び頷き、続ける。
「うん。――俺の友達が、そこの一階の部屋に住んでるんだけどさ。――その、友達が住んでる部屋は“特に何も”って感じなんだけど、その上の部屋がちょっと厄介な感じっぽくて……」
「なるほど」
禰琥壱は、そう言うと軽く煙を吐いた。
そして綺刀もまた、それにつられるようにして煙を吐き、禰琥壱を見た。
すると、禰琥壱は言った。
「いいよ。分かった。――とりあえず行ってみようか」
そんな禰琥壱の言葉に、綺刀は安堵したように礼を告げた。
「ありがとセンセ。――助かる」
禰琥壱は、それにまた穏やかに微笑み返し、言葉を返した。
「ふふ。いいえ。どういたしまして」
そんな禰琥壱だが、彼が綺刀から“先生”という意で、“センセ”、または“センセー”と呼ばれ始めたのは、彼らが出会ってすぐの事であるが、その呼称の通り、綺刀は、先輩としてだけでなく、禰琥壱を“先生”として慕い、頼りにしている。
そして、“自身では手に負えないと判断した事”に直面した時もまた、綺刀はこうして、禰琥壱を頼る事にしているのだった。
そして、その日の夕暮れ時。
今朝に約束した通り、綺刀と禰琥壱はあのアパートを確認しにゆく為の道を辿っていた。
(出来る事なら、あのアパートには二度と近寄りたくなかったけど……)
綺刀は、その道中でそう思った。
だが、大切な友人の身が危険に晒されているのだ。
(あんな状態の部屋を、放っておくわけにはいかないからな。ちゃんと解決してやらないと)
だからこそ、先輩であり“先生”としても慕う禰琥壱に頼る事にしたのだ。
(センセーならきっと、あの場所を見た上で、一番いい方法を見つけてくれるはずだ)
綺刀は改めて強くそう信じ、更に歩みを進めた。
しかし、そんな綺刀であったが、いくら信頼をおいているとはいえ、この時間帯にあのアパートの確認に向かう事にした禰琥壱の判断にだけは、不満を抱いていた。
その為、綺刀は、あのアパートが近付いてきた事で己の中にふつりと湧いてきた嫌悪感を紛らわせる為にも、その不満をぶつけてみる事にした。
「なぁ、センセー。散歩がてらつっても、わざわざこの時間に出る事はなかったんじゃね?」
すると禰琥壱は、綺刀の前をのらりくらりと歩きながら振り返り、楽しげに笑って言った。
「ふふ。まぁ、安全を考えるならそうなんだけどねぇ。――でも、この手の異常を調べる場合は、敢えてこういう時間の方がいいんだよ」
「はぁ……」
綺刀が不満を抱く“この時間”とは、――そして、禰琥壱の云う“こういう時間”とは、――つまり、夕暮れ時の事であり、または、“逢魔時 ”と云われる頃合の事である
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