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第1話
部屋を去った先輩が言った言葉を思い出す。
「高校二年生の時が一番楽しかった」
きっと独り言だったのだろう。部屋が静かじゃなきゃ聞き取れないほどの小声で呟いたのだから。
「期待してもいいんですかね?」
荷造りをする先輩の背中に向かって俺は声をかけた。彼の私物の運び出しはあらかた完了していたので、雑談をする暇があった。
「進級したからといって学校生活を楽しめる保証は無い。自分次第だな」
「そうですか。頑張りますよ」
そんな短い会話を何故、このタイミングで思い出したのか。理由は簡単だ。
今から俺は新しい教室に足を踏みいれようとしているのだ。
この扉を潜れば今日から俺は高校二年生。
♢♢♢
俺が通っている尾津高校は全寮制の男子校だ。しかもこの辺で有名な名門校。
校内では堅苦しく、古臭いローカルルールがまだ残っている。時代遅れな上下関係や規則。
きらびやかな青春時代を過ごしたいのなら、この高校に進学するのはオススメしない。
しかし俺は特に苦痛に感じなかった。幸い、昨年まで同室だった先輩が上下関係を嫌うタイプの人間だったので、俺はマイペースにのんびりと過ごせていたのだ。
しかしその先輩はもう卒業した。今年はきっと下級生と同室だろうな。使用者がいなくなったベッドを見るたびにそう考える。
♢♢♢
今日から新しいクラスになったのだが、不安は無い。既に牛尾と馬瀬が居ることが分かっている。仲の良い友人と今年も同じクラスだと思うと安心した。
「おはよ」と窓際で駄弁っている2人に話しかけた。俺に気付いた2人が、同じような短い挨拶を返す。
いつも通りだ。何となく、今年も変わり映えしない1年になりそうだと思った。
「なあ、犬飼。オレの話を聞いてくれよ」
馬瀬が俺に寄りかかりそうなほど、前のめりになって話そうとする。
「俺はどこにも行かねえよ…聞いてやるから落ち着け」
「ええ…。またあの話を一から言い直すの?勘弁してよ」
牛尾がうんざりとした表情でのけ反る。その様子を見て、俺は覚悟を決めた。馬瀬は一旦話し出すと長いのだ。
「いやあ、実はオレこの春休みで彼女ができたんだよ。曽名高の野球部マネージャーさ」
「曽名高ってよく練習試合やるトコだろ?ナンパする暇あったのかよ」
「まあな。…オレが一目惚れしてさ、ダメ元で連絡先聞いたら一発OKだったよ」
馬瀬は顔の筋肉を緩めきっている。だらしないとも、幸せそうとも取れる不思議な顔だ。
「へえ、それで終わり?だったらそろそろ移動するぞ。次、始業式だろ」
「長話で有名な馬瀬の自慢話がこれで終わりなワケないでしょ」
移動しようとした俺に向かって牛尾は言った。
「そうだ、牛尾の言う通り。実はな…」
馬瀬が思わせぶりに言葉を溜めた。これがテレビ番組だったら、一旦CMに入っていただろう。
「何だよ。…あ、分かった。その彼女とキスしたんだろう?この春休みで」
「何で当てちゃうんだ…驚かせようと思っていたのにさ。正解だ。でも、それ以上にヤバいことがあったんだよ」
正直、"彼のファーストキス"がこの自慢話のオチだと思い込んでいたので面喰らった。悔しいが、少し続きが気になる。俺は黙って彼の言葉を待った。
「……マジでレモンの味だった。オレのファーストキス…」
馬瀬が余りにも真剣に言うものだから、俺は大きな声で笑ってしまった。全身が痙攣しそうなほどに。
きっと俺が教室に来る前に笑い通していたのだろう。牛尾も控えめだが、笑っている。喉の奥で押し殺すように。
「お前ら笑いすぎだ。嘘でも、勘違いでもねえよ。彼女にも確かめたんだからさ」
「お前の彼女は馬瀬の為に、キスの直前にレモンを舐めてくれたんじゃないのか?だから味がしたんだ」俺は目尻に溜まった涙を払いながら言った。
「健気で可愛い彼女じゃん。大切にしなよ」
牛尾は微笑みながら馬瀬の肩に手を置いた。
J-POPの歌詞みたいな体験をした友人を俺は笑ったが、馬鹿にするつもりはない。正直、羨ましいくらいだった。
俺も青春っぽい体験してみたいよ、なんて言うほど素直にはなれないが。
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