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第2話
子守唄を聴きながら、眠ったことは無い。唄ってくれた母に「お休み」の挨拶をし、電気を消してからやっと眠くなる。
"校長先生のお話"は幼少期に聴いた子守唄よりも即効性があるのかもしれない。…そんな馬鹿みたいな想像をしてないと、寝てしまいそうだ。
まだ彼が話し始めてから5分も経っていないのに、つい首が傾く。コクリコクリと舟を漕ぐように。
皆が期待に胸を膨らませる新学期と始業式の相性は最悪だ。生徒のテンションはハイからローへ早変わりする。
「……次は新任教師紹介です。では、登壇してください」
いつの間にか校長のスピーチは終わっていたようだ。俺は眠気を取り払うために頭を左右に振った。
司会の指示のあと、数人の教師がステージに上がった。当たり前だが、全身初めて見る。一人一人の顔を確認するために目を凝らした。
中年男性、初老男性、中年女性……青年?
壇上の平均年齢をグッと引き下げそうな、若い男が隅に立っていた。
紺のスーツに細いフレームの眼鏡。重力に沿うようにして生えている黒い髪。暖かな雰囲気に包まれた体育館にそぐわない男だと俺は感じた。
マイクを握りしめている。どうやら自己紹介は彼から始まるようだ。
青年にも見える男性教師は一礼すると、マイクを口元に近づけた。
「兎月雅人と申します。今年度からこの学校で養護教諭として働きます。よろしくお願いします。…定年退職された板野先生のように、全校生徒の健康を守りたいと思います」
取ってつけたような目標に、抑揚のない声。ニコリともせずに、マイクを隣の女性教師に渡す。
至って普通の挨拶だった。しかし全校生徒を前にする自己紹介の割に無愛想じゃないか?
♢♢♢
式が終わり、教室に向かう。渡り廊下を歩いていると、俺の隣にいた牛尾が溜息をついた。
「これからあの先生にお世話になるのかあ…。おっかなそうな先生だったな」
「あのメガネせんせーか。確かに、去年までいたジィよりかは取っつきにくいな」
馬瀬が腕を組みながら答えた。
俺は馬瀬の言葉に黙って頷く。昨年度までいたジィ…改め板野先生のような親しみ易さはなかったからだ。
牛尾の不安が痛いほど伝わってきた。彼は保健室のヘビーユーザーなのだ。サボりではなく、体調不良で。
体育や集会の後にフラフラと座り込んでしまい、動けなくなることが多々あった。
♢♢♢
あれはちょうど1年前の出来事だ。初めての体育の授業の後、牛尾は俺の目の前で倒れた。
その日は蒸し暑く、授業内容もハードだった。
倒れた牛尾を咄嗟に運ぼうとしたのは俺と、近くにいた馬瀬。
それがきっかけで仲良くなったのは言うまでもない。
「迷惑かけてごめんね。ボクは昔からヘナチョコなんだよ。…最近は割と丈夫になったんだけどね」
牛尾がヘラっと笑いながら言った。
「無理して笑わなくてもいいぜ。あと、全然迷惑じゃない。オレたちが何度でも運ぶからさ」
馬瀬が、俺の脳内に浮かべた言葉と同じようなことを言ったのだから驚いた。
「そうだそうだ。気にすんなよ」
俺がそう言うと、牛尾は「ありがとう」と呟いたのだった。
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