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第15話

真っ暗な廊下に一筋の光が差し込んでいる。 その明かりを頼りに歩く俺は、虫のようだった。 学校に残っている人間はごく僅かだろう。 先生は普段から遅くまで残っているのだろうか。俺は明かりが灯っている保健室を眺めながら考えた。 口内の飴はさっきよりも少しだけ小さくなっていた。この飴が溶けきる前には帰ろう。そして今後は先生と離れよう。俺ができることはそれだけだ。 先生に迷惑をかけないようにするには、こうするしかない。 決心が鈍らないように思い切りドアを開けた。「失礼します」も言わずに入室するのはこれが初めてだった。一歩踏み入れると、もう後戻りはできないという実感が湧いてきた。 「もう来ないと思っていたよ」 先生が呟いた。目線はプリントに落としたまま。 「そのつもりでしたが、やめました」 「どうして?」 「先生に謝りたかったんです。急にあんなこと言われて、迷惑だったでしょ?」 「迷惑、か」 先生は長いため息を吐くと、メガネを外した。そして俺を思い切り睨む。 「それは君の勝手な判断だろう?自分と人の気持ちに鈍感な、君の」 先生は視線に射すくめられ、動けずにいた俺に詰め寄った。そして胸ぐらを掴む。力は込められていなかった。そしてグイッと顔を近づける。俺と彼の呼吸がぶつかり合う。 「せ、先生…、何してるんですか」 「何で、ここまでしてんのに気付けないんだ。ああ、僕も悪かったよ。君がしたみたいに、僕もはっきりと気持ちを伝えるべきだった」 先生はスウッと息を吸うと一息で言った。 「僕と君は同じだよ。君は僕が好きだし、僕は犬飼くんが好きだ。君があの時『大切な人』と言ってくれた時はとても嬉しかったよ」 先生は俺のシャツから手を離した。そして乱れた服を直しながら言う。 「このことを直ぐに伝えるべきだったね。そうすれば君が思い悩む必要はなかったのに。 『言わなくても伝わる』って信じ切ってた。君なら分かってくれるって甘えてたんだよ」 「俺だって」 上手く口が回らず、つっかえるがそのまま続けた。 「俺だって、先生のこと早く好きだってこと気付けば良かったんだ。俺が鈍感なせいで、先生は悩んだんだろ。…お互い様ってことで、謝るのはこれでやめましょう」 俺の台詞に、先生は表情を緩めた。 「確かに君は鈍感だったけど、僕も分かりにくかったと思うよ。よく言われるんだ…仏頂面の無愛想だってね」 伏し目がちに話す先生を、可愛らしいと感じた。こんな彼を知っているのは俺だけなんだ、と思うだけで顔が熱くなる。 気付くと俺は先生の口を、自分の口で塞いでいた。柔らかかった。 しかし、すぐに離した。無意識の行動だったのだ。 先生の普段は眠たそうな目が大きく開かれている。俺は体の温度が急速に下がっていくのを感じていた。慌てて口を動かす。 「ご、ごめんなさい…。先生に迷惑かけないって決心したばかりだったのに」 「…君なら『こういうことは卒業後にしましょう』って言うと思っていたよ」 「そのつもりでした。嘘じゃありません」 「冗談。君を信じるよ。…それより」 先生は言葉の途中で指先で口を触った。 「キスって、本当にレモン味なんだね。 君さえよければ、もう一度確かめたい」 俺は思わず飴を噛み砕いた。 飴が溶けきるまで、俺は我慢できなかったから。 俺たちは先生と生徒、そんな関係だ。 こうしてキスできるのは今日だけだろう。卒業まで1年半。短いようで長い。 俺はその日まで耐えるつもりだ。先生が先生のままでいられるように。 また明日から、2人は生徒と先生に戻る。 前の関係には戻らないが、俺は後悔していない。伝えて良かった、と心から言い切れる。 俺はこれからもずっとレモンの味を忘れないだろう。 噛み砕いた飴の味が、2人の口いっぱいに広がった。

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