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第14話
学校中が橙色に染まる。窓の外に広がるグラウンドは夕陽に照らされ、小麦色に輝いていた。
「もうこんな時間か」
俺は誰もいなくなった教室で一人、何もせずにたたぼうっとして時間を潰していた。
普段の俺は、水曜日のこの時間帯には保健室にいる。それなのに今日はどうしても行く気になれなかった。サボって帰ってしまおうかとも思ったが、動けなかった。つまり、どちらの選択をするか迷っているうちにこんな時間になってしまったのだ。
先生に会うのが怖い。
先生と会って話すことが、怖い。
自分が時間をかけて自覚した感情を、思いがけないタイミングで伝えてしまったことの戸惑いと、先生の事情を考えずに告白してしまったことへの後悔が胸を締めつける。
先生はどんな気持ちで俺の告白を聞いたのだろう?彼はいつもと変わらない様子だったが、きっと何かしら感じたはずだ。正直、彼が何も感じなかったとしたら、少し悲しい。
俺は自分がよく分からなくなった。
先生に迷惑をかけたくないのに、自分のことについてあれこれ考えてほしいという欲求があったからだ。
「馬鹿だわ、俺」
また独り言を呟く。誰もいないので、つい思っていることを口に出してしまう。
顔を腕にうずめて大声で叫びたくなったが、直前になってやめた。万が一誰かが入ってきたら誤魔化せないからだ。
「なあ」
突然声が聞こえたので、俺はビクッと肩を揺らした。ゆっくりと首を動かし、後ろを見た。
「何でお前が馬鹿なんだ?」
やはり叫ぶのはやめておいて良かった。馬瀬がドアの前に立っていたからだ。
泥だらけの野球ユニフォームのまま教室にいる姿が異様に映った。着替えなかったのだろうか。
「…いつからいた?」
「お前がブツブツなんか呟いてた辺りからだよ。訳ありって様子だな」
「その台詞、そのまま返す。馬瀬こそ何故こんな時間に教室にいるんだ?部活はどうした」
「サボったよ」
その瞬間、馬瀬の見慣れた笑顔が歪んだ。よく見ると、目元に乾いた涙の跡がクッキリと残っている。彼は目を潤ませながら呟いた。
「部活、やってたんだけどなあ…集中出来ずにこのザマだ。思い切りすっ転んだから休憩させてもらった」
声を震わせながら話し続ける馬瀬を放って黄昏るほど俺は冷たくない。彼が再び口を開くまで黙って待った。
「お前になら話しちまおうかな…。
実はさ、振られたんだよ、彼女に。昨日の晩に電話が来てオレ、喜んで出たらアイツはすぐに『別れて』って言ったんだ…。最近お互い忙しくて話せなかったせいかな…今更反省しても遅いよな」
「そうだったのか…。それを知らずに俺…」
「気にすんなよ。
とにかくオレが悪かったな。彼女がいつまでも待ってくれるって油断してたんだよ。お互いの気持ちを伝えなくても大丈夫だって信じ切ってたんだ。…きっとアイツ、寂しかったんだろうなあ。ホント、オレは最低な彼氏だった」
そこまで言い切ると馬瀬は顔を伏せた。肩が細かく震えていた。
いつも明るくて気丈な馬瀬がここまで塞ぎ込んでいるのに、俺は何をしていいのかサッパリ分からなかった。こんな時、牛尾だったらきっと相手の気持ちが落ち着くようなことを言ってくれるんだろうな。
「そういえば、犬飼はどうしてここに…─いや、言いたくないならいいんだ」
涙を出し切ったのか、馬瀬は顔を上げた。
その頃になると、もう空は紫色に染まりきっていた。
薄暗くなった教室はいつもより広く感じた。目の前にいる馬瀬の表情がよく見えない。泣いているのか、泣いていないのかは声の調子で判断するしかなかった。
「そろそろオレは帰る。…じゃあまた明日」
「俺は…自分がしたことが受け入れられないから動けなかったんだ」
馬瀬が帰ろうと立ち上がった瞬間に、俺の口が開いた。
声が上手く出ない。喉に泥でも詰まっているようだった。
「相手の都合や心情を考えないで、自分の気持ちを一方的に伝えたんだ。きっと相手を困らせてしまった。もう元の関係に戻れないと思うと、怖くなった」
俺のか細い声を、馬瀬は聞き取ろうと、最後まで黙って聞いてくれた。
「オレと反対だな。オレは伝えなかったことを後悔して…犬飼は伝えたことを後悔してるのか」
馬瀬は座り直した。彼のシルエットが再び小さくなる。
「その相手が誰だか知らんが…いつまでも近くに居てくれると思わない方がいいぞ。振られちまったオレからの忠告だ」
「馬瀬…」
「お前を見てたら、何だか彼女に電話しようかと思えてきた。伝えてしまった後悔をしてでも、あの子と話さないとな」
もう空は紺色に染まっていた。太陽は沈み、月が浮かんでいる。もう夜がすぐそこまで来ていた。
「俺、やっぱり行く。どうしても伝えたい」
「そうしろよ。…さて、俺も帰るかな。早速電話しないと」
2人同時に立ち上がった。
誰もいなくなった廊下を歩いている途中で馬瀬が「青春ってこんな感じなんだろうな」と呟いた。その言葉に対して俺はただ笑うことしか出来なかった。
青春ってこんなに面倒くさくて素敵なんだな、と返せるほどのメンタルを持ち合わせていなかったからだ。あまりにも青臭くて、恥ずかしすぎる。
馬瀬と別れた後、俺はポッケの中にある飴玉をそっと触った。
そして袋を破って、舐めた。
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