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裁判記録:僕は有罪(ギルティ)⑧
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その後、僕はお代わりすることなく食事を終了した。他のふたりはカレーを堪能すべく、しっかりお代わりをし、それなりに会話を楽しみながら食べ終えた。その様子がどう見ても、別れるふたりには到底思えない。
視線を目の前から逸らさず、そんなことをぼんやりと考えた。
ここに安田課長が来てから、ずっとふたりの様子を窺っていたが、修羅場と化しそうになったのは、一番最初に僕と目が合ったときだけ。見たことがないくらいのゾクッとする冷たい眼差しに、全身が竦んでしまったけれど、それ以降はまったく顔色を変えず、僕や笹木と対峙していた。
こんな状態ならもっと揉めてもいいはずなのに、普通じゃないその感じは、違和感ありまくりだった。
視線を目の前から、テーブルの上に置かれたコーヒーカップに移す。コーヒーに映っている自分の顔は、不安満載にしか見えなかった。
(――なんて、情けないツラしてんだろう)
「さて、最終弁論でも聞いてやるか」
安田課長の声で、ゆっくりと顔を上げる。僕が100%悪いのは、明らかな事実。下手な言い訳をしないように、慎重に口を開く。
「情状酌量くださいなんて言いません。笹木に手を出した、僕が悪いんですから」
最悪の事態で逃げられない――だからこそしっかりと向き合って、正々堂々としてやろうじゃないか。
奥歯をきゅっと噛みしめて、普段している顔を作ってやった。
「ほぉ……。その顔は、腹をくくったといったところか。どんな顔をしても悪人面に見えないところが、私とは違って香坂の利点だな」
「恐れ入ります」
「最初から私の笹木に手を出していたのは、分かっていたがね。お前が笹木の家で呑んだ次の日、会社で逢った時点で、気がついていたよ」
ああ。下田先輩の遺品を片付けていた、あのときか――僕の姿を見て、雰囲気が違うと指摘してくれたっけ。
刺すような視線が、僕から笹木に向けられる。
「なぁお前は、どうやって香坂に落されたんだ?」
「待ってください。どうして笹木に、そんなことを聞くんですか? 終わったことを知ったって、何の特にもならないでしょう?」
「何でって、私から香坂に鞍替えした理由が、素直に知りたいだけだ。元彼としては、正当な理由じゃないか」
そんなの知ったところで、笹木が戻ってくるワケじゃないのに。真実を知ったら、間違いなく安田課長がキズつくだけだろう。
「そこにあるソファで、香坂先輩にキスされました」
「笹木っ!?」
「抵抗したらネクタイで後ろ手に縛られて、それから――」
「やめろって! あのときのことを言う必要が、どこにあるんだっ」
笹木は声を荒げる僕の顔をじっと見てから、消え入りそうな笑みを浮かべて、力なく首を横に振った。
「いいんですよ、安田課長は知る権利がある。俺の恋人だったんだから」
ふっと視線を逸らし、安田課長のことを見る。寂しげな笹木の眼差しを受けても、安田課長は顔色を変えることなく視線を絡めた。
「抵抗する俺を尻目にワイシャツを引き裂き、あられもない姿にして、胸とかアソコとか感じる部分を念入りに弄られて……」
「ほぉ、イヤがるお前を無理矢理に」
告げられている卑猥な内容を耳にしても、ポーカーフェイスを崩さず、冷静に対処している安田課長の姿に、呆然とするしかない。まるで、業務内容を聞いているときのようだ。
「口ではイヤがってました。でも嬉しかった……。香坂先輩が俺の感じる姿を見て悦んでいるのが。もっと悦んでほしくて、自ら腰を振ったんです」
言い切ってしまった笹木にうわぁと思い、顔を歪ませながら額に手を当てた。あまりにも雄弁に語るせいで、口を挟む気にもなれない。
「俺は、香坂先輩に憧れていました。ずっと好きだった……」
「なのに、私と付き合ったのか?」
「そうです。おふたりはどこか、似ているところがあったから」
僕と安田課長の、どこが似ているというんだ? 年齢だって性格だって、まったく違うだろうよ。
「おいおい、そんなイヤそうな顔をしてくれるな。お前と似ていると言われて、私は光栄なのに」
「別にそのことで、イヤそうにしているワケじゃないです。僕としては」
「ミノは波風を立てず、穏便に俺たちを別れさせたかったんですよね?」
言葉をさらうように、笹木が口を出してきた。
「ミノがそこにメモを入れたのは、そういう理由があったからなんですよ。俺の気持ちを知ったから、安田課長と別れさせるべく、浮気の証拠を作った」
(ちょっ、何を勝手に話を作っているんだコイツ――)
「そうなのか、香坂?」
――違う。僕はこのふたりが揉めて、罵り合う姿を想像したかった……。僕と同じようにボロボロになって、キズつくところを見たかっただけ。他の意味なんて、まったくないんだから。
一瞬目を伏せて、次の言葉を考える。
今1番キズついているのは、目の前にいる安田課長だ。そんな人に向かって、べたべた塩を塗ったくったりしたら、間違いなくそれを倍増した状態で、お返しをされるであろう。それだけは、絶対に避けたい――。
意を決して伏せていた視線を上げ、当たり障りのないことを口にしようとしたら、いきなり笹木がテーブルの上に突っ伏した。
「ううっ、ひっ……」
「おい、笹木?」
この場に似つかわしくない様子に恐るおそる声をかけたら、半泣き顔を見せてくれる。
「ウゲッ」
その感じが、かなり前に釈明会見をした元議員にモロ被りしてしまい、固まるしかなかった。
「どるあぁあ……。うっ、ひぃいいんっ!」
「おい笹木、みっともないぞ」
安田課長があまりの姿に声をかけたが、呻き声をあげるばかりで会話にならない。
うわぁとドン引きしてるところに、顎で何とかしろと安田課長が無言で指示をくれたのだが、両手をあげて首を横に振ってやった。大泣きしてる男を何とかしろとか、僕には無理な話なんだよ。慰めの声をかけたら抱きつかれそうだし、どうしたものか。
(――とりあえず、その涙と鼻水を処理してやろう!)
安田課長の言葉から、まずは見た目を何とかすべく椅子から腰を上げ、カラーボックスの上に置いてある箱ティッシュを手に取り、笹木の前に静かに設置してやった。
「お、おい。これで涙を拭けって。安田課長が心配してるぞ」
「うっ、ううっ、くっ……。ミノは、心配してくれないんですか?」
素早く何枚かのティッシュを取り出し、顔を拭いながら、じと目で僕を見上げる笹木。
「やっ、その……、あー心配してるよ、勿論」
安田課長の手前、一応心配そうなフリをしなければならない。いつもの自分なら、バッカじゃねぇのと嘲笑っているところだ。
「ぅわーんっ、やっぱミノは優しぃ……。らからおぃはアっ、ひっく…ナタのことが、ううっ…好っ、うっ…きなんで…ひっく、すよ」
(だから俺は、アナタのことが好きなんですよ)
最初の方はかろうじて聞き取れたが、後半のセリフはサッパリ分からん。
「こぅしゃか、ひっく…しぇんぱいは、ンっ悪くない、むしろ、俺がう、ううっ、悪っ、いんれすっ。香坂うっうっ……先輩がしゅき、っなのに、やすら課長ひっ、えっぐ…と付き合ったり…ズビズビ、うっ、したかりゃ。ひっくひっく、おふたりを…んっ…キズつけたのは、おぃ…本人なんれす」
(香坂先輩は悪くない、むしろ俺が悪いんです。香坂先輩が好きなのに、安田課長と付き合ったりしたから。おふたりをキズつけたのは、俺本人なんです)
号泣しながらテーブルをばしばしと手のひらで叩き、熱く語ってくれたけれど、何を言ってるのかまったく分からない――。
「そう言ってくれるがな、香坂も悪いところがある。付き合ってる相手がいると知りながら、お前に手を出したんだからな」
(安田課長、今の笹木のセリフを聞き取ったのか!? 何それ、愛の力!?)
「私の精神的苦痛を考慮して、ふたりに慰謝料を請求してやろうかと思ったんだが」
「慰謝料っ!?」
この男のことだ、ふんだくれるだけふんだくって、財産を根こそぎ持っていく気じゃないだろうか。
「ふたりの愛し合ってる気持ちに免じて、終身刑で勘弁してやる」
「は――?」
「一応、恋愛裁判なんだからな。判決を下すのは当然だろう?」
安田課長はよっこらせっと声を出して、椅子からゆっくりと立ち上がり、傍に置いてあったカバンを手に取る。
「終身刑って、あの……?」
「死ぬまで、笹木を愛しぬけと言ってるんだ。それができないなら直接、私がお前に厳罰を与えてやるが、どうする?」
玄関に向かう背中に思いきって声をかけたら、振り向き様に言われてしまった言葉で、困惑するしかない。
それだけじゃなく――僕を見ている視線がここにきたときに見た、躰に突き刺さるようなゾッとする冷たい眼差しで、それ以上は口を開くことができなかった。
「私としては、手のかかる部下は一人だけで充分だ。お先に失礼するよ」
――手のかかる部下って、笹木のことか?
そんなことを思いながら、安田課長を見送る。
テーブルの上で偽りの涙を流し、大号泣していた笹木が、密かにほくそ笑んでいるなんてまったく知らずに。
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