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裁判記録:僕は有罪(ギルティ)⑧

***  その後、僕はお代わりすることなく食事を終了した。他のふたりはカレーを堪能すべく、しっかりお代わりをし、それなりに会話を楽しみながら食べ終えた。その様子がどう見ても、別れるふたりには到底思えない。  視線を目の前から逸らさず、そんなことをぼんやりと考えた。  ここに安田課長が来てから、ずっとふたりの様子を窺っていたが、修羅場と化しそうになったのは、一番最初に僕と目が合ったときだけ。見たことがないくらいのゾクッとする冷たい眼差しに、全身が竦んでしまったけれど、それ以降はまったく顔色を変えず、僕や笹木と対峙していた。  こんな状態ならもっと揉めてもいいはずなのに、普通じゃないその感じは、違和感ありまくりだった。  視線を目の前から、テーブルの上に置かれたコーヒーカップに移す。コーヒーに映っている自分の顔は、不安満載にしか見えなかった。 (――なんて、情けないツラしてんだろう) 「さて、最終弁論でも聞いてやるか」  安田課長の声で、ゆっくりと顔を上げる。僕が100%悪いのは、明らかな事実。下手な言い訳をしないように、慎重に口を開く。 「情状酌量くださいなんて言いません。笹木に手を出した、僕が悪いんですから」  最悪の事態で逃げられない――だからこそしっかりと向き合って、正々堂々としてやろうじゃないか。  奥歯をきゅっと噛みしめて、普段している顔を作ってやった。 「ほぉ……。その顔は、腹をくくったといったところか。どんな顔をしても悪人面に見えないところが、私とは違って香坂の利点だな」 「恐れ入ります」 「最初から私の笹木に手を出していたのは、分かっていたがね。お前が笹木の家で呑んだ次の日、会社で逢った時点で、気がついていたよ」  ああ。下田先輩の遺品を片付けていた、あのときか――僕の姿を見て、雰囲気が違うと指摘してくれたっけ。  刺すような視線が、僕から笹木に向けられる。 「なぁお前は、どうやって香坂に落されたんだ?」 「待ってください。どうして笹木に、そんなことを聞くんですか? 終わったことを知ったって、何の特にもならないでしょう?」 「何でって、私から香坂に鞍替えした理由が、素直に知りたいだけだ。元彼としては、正当な理由じゃないか」  そんなの知ったところで、笹木が戻ってくるワケじゃないのに。真実を知ったら、間違いなく安田課長がキズつくだけだろう。 「そこにあるソファで、香坂先輩にキスされました」 「笹木っ!?」 「抵抗したらネクタイで後ろ手に縛られて、それから――」 「やめろって! あのときのことを言う必要が、どこにあるんだっ」  笹木は声を荒げる僕の顔をじっと見てから、消え入りそうな笑みを浮かべて、力なく首を横に振った。 「いいんですよ、安田課長は知る権利がある。俺の恋人だったんだから」  ふっと視線を逸らし、安田課長のことを見る。寂しげな笹木の眼差しを受けても、安田課長は顔色を変えることなく視線を絡めた。 「抵抗する俺を尻目にワイシャツを引き裂き、あられもない姿にして、胸とかアソコとか感じる部分を念入りに弄られて……」 「ほぉ、イヤがるお前を無理矢理に」    告げられている卑猥な内容を耳にしても、ポーカーフェイスを崩さず、冷静に対処している安田課長の姿に、呆然とするしかない。まるで、業務内容を聞いているときのようだ。 「口ではイヤがってました。でも嬉しかった……。香坂先輩が俺の感じる姿を見て悦んでいるのが。もっと悦んでほしくて、自ら腰を振ったんです」  言い切ってしまった笹木にうわぁと思い、顔を歪ませながら額に手を当てた。あまりにも雄弁に語るせいで、口を挟む気にもなれない。 「俺は、香坂先輩に憧れていました。ずっと好きだった……」 「なのに、私と付き合ったのか?」 「そうです。おふたりはどこか、似ているところがあったから」  僕と安田課長の、どこが似ているというんだ? 年齢だって性格だって、まったく違うだろうよ。 「おいおい、そんなイヤそうな顔をしてくれるな。お前と似ていると言われて、私は光栄なのに」 「別にそのことで、イヤそうにしているワケじゃないです。僕としては」 「ミノは波風を立てず、穏便に俺たちを別れさせたかったんですよね?」  言葉をさらうように、笹木が口を出してきた。 「ミノがそこにメモを入れたのは、そういう理由があったからなんですよ。俺の気持ちを知ったから、安田課長と別れさせるべく、浮気の証拠を作った」 (ちょっ、何を勝手に話を作っているんだコイツ――) 「そうなのか、香坂?」  ――違う。僕はこのふたりが揉めて、罵り合う姿を想像したかった……。僕と同じようにボロボロになって、キズつくところを見たかっただけ。他の意味なんて、まったくないんだから。  一瞬目を伏せて、次の言葉を考える。  今1番キズついているのは、目の前にいる安田課長だ。そんな人に向かって、べたべた塩を塗ったくったりしたら、間違いなくそれを倍増した状態で、お返しをされるであろう。それだけは、絶対に避けたい――。  意を決して伏せていた視線を上げ、当たり障りのないことを口にしようとしたら、いきなり笹木がテーブルの上に突っ伏した。 「ううっ、ひっ……」 「おい、笹木?」  この場に似つかわしくない様子に恐るおそる声をかけたら、半泣き顔を見せてくれる。 「ウゲッ」  その感じが、かなり前に釈明会見をした元議員にモロ被りしてしまい、固まるしかなかった。 「どるあぁあ……。うっ、ひぃいいんっ!」 「おい笹木、みっともないぞ」  安田課長があまりの姿に声をかけたが、呻き声をあげるばかりで会話にならない。  うわぁとドン引きしてるところに、顎で何とかしろと安田課長が無言で指示をくれたのだが、両手をあげて首を横に振ってやった。大泣きしてる男を何とかしろとか、僕には無理な話なんだよ。慰めの声をかけたら抱きつかれそうだし、どうしたものか。 (――とりあえず、その涙と鼻水を処理してやろう!)  安田課長の言葉から、まずは見た目を何とかすべく椅子から腰を上げ、カラーボックスの上に置いてある箱ティッシュを手に取り、笹木の前に静かに設置してやった。 「お、おい。これで涙を拭けって。安田課長が心配してるぞ」 「うっ、ううっ、くっ……。ミノは、心配してくれないんですか?」  素早く何枚かのティッシュを取り出し、顔を拭いながら、じと目で僕を見上げる笹木。 「やっ、その……、あー心配してるよ、勿論」  安田課長の手前、一応心配そうなフリをしなければならない。いつもの自分なら、バッカじゃねぇのと嘲笑っているところだ。 「ぅわーんっ、やっぱミノは優しぃ……。らからおぃはアっ、ひっく…ナタのことが、ううっ…好っ、うっ…きなんで…ひっく、すよ」 (だから俺は、アナタのことが好きなんですよ)  最初の方はかろうじて聞き取れたが、後半のセリフはサッパリ分からん。 「こぅしゃか、ひっく…しぇんぱいは、ンっ悪くない、むしろ、俺がう、ううっ、悪っ、いんれすっ。香坂うっうっ……先輩がしゅき、っなのに、やすら課長ひっ、えっぐ…と付き合ったり…ズビズビ、うっ、したかりゃ。ひっくひっく、おふたりを…んっ…キズつけたのは、おぃ…本人なんれす」 (香坂先輩は悪くない、むしろ俺が悪いんです。香坂先輩が好きなのに、安田課長と付き合ったりしたから。おふたりをキズつけたのは、俺本人なんです)  号泣しながらテーブルをばしばしと手のひらで叩き、熱く語ってくれたけれど、何を言ってるのかまったく分からない――。 「そう言ってくれるがな、香坂も悪いところがある。付き合ってる相手がいると知りながら、お前に手を出したんだからな」 (安田課長、今の笹木のセリフを聞き取ったのか!? 何それ、愛の力!?) 「私の精神的苦痛を考慮して、ふたりに慰謝料を請求してやろうかと思ったんだが」 「慰謝料っ!?」  この男のことだ、ふんだくれるだけふんだくって、財産を根こそぎ持っていく気じゃないだろうか。 「ふたりの愛し合ってる気持ちに免じて、終身刑で勘弁してやる」 「は――?」 「一応、恋愛裁判なんだからな。判決を下すのは当然だろう?」  安田課長はよっこらせっと声を出して、椅子からゆっくりと立ち上がり、傍に置いてあったカバンを手に取る。 「終身刑って、あの……?」 「死ぬまで、笹木を愛しぬけと言ってるんだ。それができないなら直接、私がお前に厳罰を与えてやるが、どうする?」  玄関に向かう背中に思いきって声をかけたら、振り向き様に言われてしまった言葉で、困惑するしかない。  それだけじゃなく――僕を見ている視線がここにきたときに見た、躰に突き刺さるようなゾッとする冷たい眼差しで、それ以上は口を開くことができなかった。 「私としては、手のかかる部下は一人だけで充分だ。お先に失礼するよ」  ――手のかかる部下って、笹木のことか?  そんなことを思いながら、安田課長を見送る。  テーブルの上で偽りの涙を流し、大号泣していた笹木が、密かにほくそ笑んでいるなんてまったく知らずに。

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