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第1話
息が止まるほどに美しかった。
眩いスポットライトの下、舞台に立つその少年は、ジャズの演奏に合わせて踊っていた。齢十八にも満たないであろう幼さが残る顔はしかし、精巧なビスクドールのように端整だった。 観客に華やかな笑みを向けながら、スウィングに合わせて舞う、舞う、舞う。シルク素材の中国服は、首から肩にかけては淡い棕色で、その下は純白だ。裾が絞られた黒いズボンとの対比が、鮮やかだった。
奔放に踊りながらも、身体の軸は一切ぶれない。たおやかだが、指先にまで神経を集中させているのが分かる。トランペットやサックス、バスやドラムの賑やかな音に包まれて、彼は典雅に、けれども自在に踊り終えると、茶目っ気たっぷりにお辞儀して、舞台袖へと消えていった。
「ーー……橋、倉橋!」
はっと我に返り、声のする方を向いた。二人がけのテーブル席、向かいに座る平野が呆れ笑いを浮かべて倉橋を見ていた。
「気持ちは分かるが、見惚れすぎだ。魂を抜かれたのかと思って驚いたぞ」
気恥ずかしさがどっと湧きあがる。それを掻き消すように倉橋は咳払いをし、ウイスキーグラスに口づけた。甘い香りとほろ苦さで口が湿り、喉の奥がカッと熱くなる。蟒蛇の身体に巡りだしたのは酔いではなく、平静さだった。
「すまない、つい……」
「いや、あれは仕方ない。俺もしばらく釘づけになった」
倉橋が謝れば、平野は首を横に振り、そして苦笑した。「とんでもない美男だな。浮世離れした美しさだ。流石は大世界の高級ダンスホール、何もかもが一級品ってわけか」
「みたいだな」
顎を引き、ずり下がった眼鏡をあげる。外務省の書記官として先月上海に赴任してきた平野は、帝大時代の友人だ。同じく外交官だった父の仕事の関係で、幼少期は英国や仏国、米国で長らく暮らし、語学が堪能だった。
当時、海外への渡航歴がなかった倉橋は、彼から本場仕込みの英語を教わった。東京正金銀行に就職後、語学力を買われ、上海支店に勤められているのは、ひとえに彼のお陰だ。
「何だ、こういう店は初めてか?」
揶揄を含んだ平野の問いかけに、倉橋は苦笑する。
「これまで、縁がなかったんだ」
「二年も暮らしているのにか? 勿体ない。まぁ、お前は昔から真面目だからな」
「それだけが取り柄だ」
「謙遜はよせ。だが、それもまた美点だ。お前は俺を見習って、少しは羽目を外すべきだ」
自由闊達な平野の助言を、倉橋は笑って聞き流す。自分が夜遊びに関してとんと疎いのは、生真面目な性格もあるが、それなりの理由があったからだ。
ふいに舞台の袖から、例の踊り子が出てきたのが見えた。どこへ行くのだろうと、つい目で追ってしまう。彼が向かった先は、ステージの最前にあるテーブル席。そこに座しているのは、紺色の長袍 に身を包んだ中年男性。衣服の色に合わせたパナマ帽を被るその横顔には、卑しい笑みが浮かんでいた。
優雅な歩みでそばに来た少年を舐めるように見つめ、一言二言、言葉を交わしたのち、男性はゆっくりと腰をあげた。そして少年の肩を抱き、彼を連れてダンスホールを出て行った。
「あぁ、あの方」
「……知り合いなのか?」
苦笑まじりの平野の言葉に、倉橋は片眉をあげて訊ねた。帽子の下に見えた丸刈りの頭から察するに、軍人なのだろう。
「俺が一方的に存じ上げてるだけだ。高松 章弘少将、上海憲兵隊の現在のトップだ」
「高松少将……」
愕然とした。お国に忠誠を誓う潔き軍人、しかも憲兵隊の幹部がダンスホールで少年を売春したというのか。表情には出さないが、倉橋はひどく軽蔑した。そして改めて、官軍や日本帝国主義への不信感が胸のうちで強まった。
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