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Endless Night【1】

まだ夜も始まったばかり時間。 俺はわざわざ誂えたグレーのタキシードでタクシーから降りた。 そして当然、隣には誰よりも愛しく誰よりも大切な人が並び立つ。 こちらも、今日の為に作った黒いタキシード姿だ。 長い手足に小さな顔、綺麗に伸びた背筋に思わずうっとりとしてしまう。 特に今日のようなフォーマルな装いになると、それでなくても美しい立ち姿に洗練された所作が加わり、それこそ本当は社交界に生きるべき人間なのではないかと勘違いしてしまいそうだ。 充彦をモデルに起用したいと判断した岸本さんの見る目はやはり間違いなかったと改めて実感する。 ただ、どれほど似合うとはいえ、普段からタキシードで生活するわけではない。 元々スーツ着用の仕事ではなかった上に、一応ライトを浴びる生活からは引退している充彦の久々に見る本気のキメ顔は、身体中が痺れるほどセクシーだった。 「お疲れ様。あ、みっちゃんもほんと相変わらずイイ男ねぇ…もうそろそろ復帰しない?」 かなり大きなイベントホール。 入り口にはテレビ局や雑誌社の名前の付いた豪華な花が所狭しと並べられている。 その入り口で俺達を出迎えたのは、以前写真集の撮影や宣伝でお世話になった斉木さんだ。 「勘弁してくださいよぉ…俺、学校始まったばっかりで、毎日そこそこテンパってるんですから。それに、あれだけ華々しく皆さんに送ってもらったのに4ヶ月で復帰とか、辞める辞める詐欺もいいとこじゃないですか」 「あらぁ、みっちゃんなら復帰したところで嫌な顔する人なんていないと思うけどね~」 「じゃあ、勇輝が勃たなくなって仕事干されたら復帰しましょうか? ふにゃちんブラザースかなんかって名前でどうです?」 「誰がそんなビデオ見たいのよぉ」 充彦がもうAVという世界に戻らない事はみんなわかってる。 もし夢を諦めざるをえない何かが起きたとしても、決して人前でベッドに上がる事はないだろう。 わかった上での軽口ではあるけれど、やけに熱のこもったその口調に俺は思わずクスクスと声を殺して笑った。 「あ、充彦さんも勇輝さんも、遅いですってば! 今日の主役がいつまでこんな所にいるんですかぁ」 充彦の物よりは少し細身に作られた、こちらもブラックフォーマル姿の航生がホールから出てきた。 ほんの1年ほど前までは、どこで売ってるのかすらわからないような安っぽいホストスタイルだったはずなのに、よくぞここまで成長したと感嘆の息が漏れてしまいそうなほどの男振りだ。 「おっと、ほんとだわ。こんなとこで引き留めてたらみんなに怒られちゃう。もうカメラも入ってるし配信の時間も迫ってるはずだから、二人とも急いで入ってくれる? 航生くんと同じテーブルだから、一緒に入ってスタンバイしといて。あ、料理もお酒も、スタートまでは手を付けないでね。乾杯の音頭は、こないだお願いした通りみっちゃんでいくから」 それはこの間『丁重に』お断りしたはずなのに…と充彦はブツブツと文句を言いつつ、大人しく迎えにきた航生の後に続く。 俺達が立っていた所から少し離れた別の入り口には、招待状を手にした一般のお客さん達がずらりと列を作っていた。 ********** 日本アダルトコンテンツアワード─── AV業界を中心とした賞はいくつもある中、創設10年と後発でありながら、この賞は今業界での注目度はナンバーワンだ。 ビデオ作品と女優にのみスポットの当てられていた従来の賞とは違い、年齢制限のついたゲームやゲイビデオ、さらにはアダルト業界関係者が出演するテレビプログラムまで、その選考範囲は多岐に渡る。 その間口の広さ、そしてCSとはいえ生中継を行うという営業戦略、何より──今最も購買力が高いと考えられている女性ユーザーのニーズを最優先に考えられた出演者や受賞作品が評価され、この賞については地上波のワイドショーでも取り上げられるようになっている。 その日本アダルトコンテンツアワードの今年度の大賞に俺と充彦が選ばれた。 写真集とDVDの発売が話題になった事、アダルト業界のみならず年齢制限の無い場所にまで活動のフィールドを広げアダルト業界に対して根強く残る偏見の払拭に努めた事が選考理由なんだそうだ。 引退し、モデル以外の仕事はすべて辞めてしまった充彦は、当初辞退を申し出ていた。 一応は一般人として学校に通い始めているし、あれだけ大々的に引退の為の活動をしてしまった以上表に出ていく事を好ましく思わない人間もいるだろうからと。 実際、ビー・ハイヴの専属になる前に出演していた会社は第2の充彦にしようとイケメンと呼ばれる若い男性を必死に育てて男優として雑誌などにごり押ししてたりもする。 ポッカリ空いたイケメン男優枠をみんなが狙ってるというのに、今更本家が出てきてしまってはごり押しくん達のメッキも剥がれるというものだ。 散々お世話になってきた色々な人達に背中を押され、渋々式への参加も了承した。 まあ、航生が新人賞を、航生と慎吾の二人が話題賞を受賞した事もあり、4人久々に並んだ姿を見せる事がビー・ハイヴや航生達へのお礼にもなると判断したところもあっただろう。 渋々の参加とはいえ、そこはそれ…何せ充彦だ。 誰よりも美しくフォーマルを着こなし、誰よりも堂々と受賞者席に座る。 本当はその席を狙っていただろう女優の関係者や制作会社スタッフの冷たく攻撃的な視線を受けて尚、威圧感などまるで無い飄々とした笑顔を浮かべ、それでいて圧倒的な存在感を醸すその姿に、主役はやはり充彦以外に考えられないと俺はうっとりと横顔を見つめそっと肩に頭を乗せた。

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