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Endless Night【2】

AV好きを公言している司会役の芸人さんに呼ばれ、充彦がステージへと上がる。 一礼し、マイクのスタンドを調整すると、フワリとビデオとは違う笑顔を浮かべた。 「本日は、このような晴れやかな場所にお招きいただき、本当にありがとうございます。昨年末に賑やかに引退イベントをさせていただいた身としては、復帰にしては早すぎるだろうと少し恥ずかしかったりもするのですが……」 一般観覧席として用意された最後部のテーブル辺りからはクスクスと小さな高い笑い声が聞こえる。 こんなアダルト業界のイベントに女性が堂々と参加できるようになってるんだから、時代は本当に変わったものだ。 「今回、僕と…最愛のパートナーである勇輝、二人の作品がこの注目度の高いアダルトコンテンツアワードにノミネートしていただき、引退した僕にもこの授賞式への参加のお声をかけていただきました。最初は、やはり一応アダルト業界からは退いた身ですから、辞退するつもりでいました。他の賞も勿論ですが、殊更この賞はこれからも業界を支えていくであろう人に与えられるべきだと思ったからです。決して安泰とは言えない中で、それを必死に守っていく人がもらうべきだと」 充彦の視線が、前列に並んだテーブルの一つに向けられる。 そこにはずらりとこの賞の選考委員が並んでいる。 アダルトコンテンツ全般のネット配信会社の社長、この授賞式を放送しているテレビ局の事業部長、そしてビー・ハイヴの社長にビデ倫幹部…… 「ところが、僕の辞退の意思と理由を聞いて、選考委員の皆さんが直々に説得に来てくださいました。現在のアダルト業界の新しい波を作った人間として、現在のアダルト業界の孕む危険を誰よりも憂う人間として、どうしても賞を受け取って欲しいと」 充彦という存在が、ただ女優を犯す為の黒子でしかなかった男優という職業にスポットを当てた。 充彦という存在が、アダルト業界の人間であっても一般メディアに進出する事を可能にした。 本番をしなくても男優を名乗れる事も証明したし、パートナーが同性だと公言しても尚女性から圧倒的な指示を得られる事も証明してみせた。 今堅調な売上が続いている『女性向けAV』という流れを作ったのも、充彦だと言って過言ではないだろう。 充彦がこの業界に残した物は大きい。 そして、男優になる前からアダルト業界に身を置いていたからこそ、その思い入れも大きい。 誰よりも『女性』を大切にしたいという気持ちも。 「海賊版や違法動画の配信については、おそらくそこに座ってらっしゃる専門家の皆さんがこれから少しずつ対策を考えてくださると思います。勿論ゼロにする事は難しいでしょうが、対策を取らないわけにはいかないほどの損害が出ている事は明白です。同時に、制作側は女優や男優と正式でクリーンな契約を結ぶ事で法を遵守する姿勢を見せる必要があるのではないでしょうか。昨今、望まないままでビデオに出演をさせられたという女性が社会問題として取り上げられ、法律も人権も無視する業界だという認識が広がっています」 幸い俺は、そんな脅されて出演を迫られているという女優さんと現場を共にした事はない。 けれど俺よりも少し前からこの業界を知っている充彦の相手役にはそんな女の子もいたのかもしれないし、何より女優ではないけれど……契約など成立していない状態の口約束で脅す事で望まないビデオ出演を続けさせられた人間が俺達の一番そばにいるのだ。 その口約束から助ける為に必要だったのは、何よりも正式な法律に則った契約書だった。 チラリと隣を窺えば、航生の目は誰よりも真剣に充彦に向けられていた。 「俺達が専属の契約を結ばせていただいていたビー・ハイヴをはじめ、シャッフル、ゴールデンアップル、ビッグウェイブの各ビデオ制作会社、またアムールやビッグコングなどのゲイビデオ制作会社さんは、現在第三者を交えた上での契約締結を推進しており、積極的な法律遵守を謳っています。素晴らしい流れだと思います。金銭面でも撮影内容についても明確に契約書類にする事で、新しい才能が飛び込んでくるかもしれません。警察の介入の心配など無い現場で、これまで以上に伸びやかで淫らなヒット作品も生まれてくるでしょう。一斉に横並びで契約文化を根付かせるのが容易い事ではないとわかってます。僕自身も現場の口約束だけで現場を飛び回っていた時期がありますから。ですから少しずつで良いんです。自分達が法律を守っている、権利も人権も守っている姿を見せる事で、権利の侵害も法律違反も許さないのだと世論を味方につけませんか?」 一瞬会場に広がる沈黙。 その沈黙を破るように、ステージ端で進行をしている芸人さんが必死に拍手を送る。 それに続いて響き始めた拍手は、気づけば割れんばかりの物になっていた。 選考委員の人達は、わざわざ立ち上がってまで手を叩いている。 充彦の言う通り、すべての会社がきちんとした契約に基づいて動くなんてのは無理だろう。 いまだにビデオの内容自体が恐ろしく法律スレスレなんて物や、スレスレどころか完全にアウトな物も出回っているのだ、契約をたてに警察に逃げられたり弁護士に入られては困る会社はウヨウヨあるはずだ。 「僕は外部の人間になってしまいましたが、大切なパートナーに会わせてくれたこの業界を、生涯の親友に会わせてくれたこの業界を愛しています。みんなの嗜好を満足させときめかせ、そして股間と脳を刺激する作品が出てくる事を信じています。この世界で働く者が、みんな胸を張れる時代がくる事も信じています。僕や勇輝が自分の仕事に胸を張れていたように…」 俺も航生も慎吾くんも思わず立ち上がる。 必死に手を叩く俺達の少し後ろで小さく舌打ちをする人間がいたことに、まだこの時は気付いていなかった。

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