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第1―1話

俺の手のひらを掠めた真っ白な細い指先。 俺の胸で好きだと言った。 同じ唇でさようならと言った。 青い空。 強い陽射し。 紺碧の海。 金色に光る水面。 そう。 吹き渡る風さえも青と金だった。 それは、たった一度の夏。 芹沢景はバイクを降りた。 たぶんここが駐車場だろう。 バイクは見当たらないが、車が2台停まっている。 後でまこっちゃんに聞いて違うなら場所を移動しよう… 芹沢はフルフェイスヘルメットを取るとメットホルダーに掛けた。 息つく間も無く、手袋を外し、メッシュジャケットを脱ぐ。 バイク用のメッシュジャケットは走っている時は涼しいが、止まると暑い。 ズボンもバイク用のメッシュだが、とりあえずジャケットを脱ぐとほっとする。 バイク用デイパックからスポーツドリンクを取り出して一気に飲む。 ぬるくなっているが喉の乾きを潤すには十分だ。 空のペットボトルをデイパックにしまい玄関とおぼしき扉に向かう。 扉の上には木肌に大きく筆文字で『民宿 磯一遊』。 引戸に手を掛けたが鍵がかかっている。 芹沢はデイパックからスマホを取り出した。 画面をタップしようとしてエンジン音に振り向く。 駐車場に3台目の車、白い軽のワゴンが駐車されたところだ。 助手席から長身の男が降りてくる。 芹沢を見つけるとにっこり笑った。 「やあ、芹沢くん。 時間通りだな」 芹沢も笑って答える。 「綿貫さん、よろしくお願いします」 綿貫雅治はスタイリッシュなシルバーの眼鏡のブリッジを中指で押さえると 「まあ私は先生のお世話で精一杯だけど」 と苦笑混じりに言った。 綿貫はリゾート地だというのに、きちんとスーツを着てネクタイまで締めている。 足元も革靴だ。 髪も綺麗に整えられている。 綿貫は185ある芹沢が少し見上げる程背が高い。 恐らく190はあるだろう。 クールな顔立ちに均整の取れたスタイルの綿貫は、ただのビジネススーツ姿でも、まるで外国のモデルのように着こなしている。 「あ、綿貫さん、瑛汰と葵を知りませんか? この時間に来るって伝えておいたのに…あいつら…」 綿貫がワゴンに向って言う。 「羽多野くんも鈴森くんもいい加減にしたら? 香坂さんも一緒になってないで」 すると人影の無かったバックシートのドアが開いた。 「よっ!けーい!」 床にしゃがんだ羽多野瑛汰だ。 羽多野の後ろからまたひとり、ひょっこり男が顔を出す。 「景くーん!」 鈴森葵が手を振っている。 「何やってんだよ…お前ら」 芹沢が呆れた顔をする。 「景を驚かしてやろうと思って~」 羽多野がぴょんと車を降りる。 その後を鈴森が続く。 「俺は瑛汰に付き合っただけだから」 「なんだよー! 葵だってノリノリだったじゃん!」 鈴森が素知らぬ顔で横を向く。 羽多野は印象的な黒目がちの瞳を細めて、楽しそうに笑いながら芹沢の顔をのぞき込む。 キラキラと形容詞が付きそうな笑顔だ。 羽多野の手入れの行き届いたサラサラの茶髪が風で乱れる。 羽多野は身長こそ芹沢と変わらないが身体も手足も細い。 そのせいか芹沢より小柄に見える。 鍛えてもあまり筋肉も付かないし、元々太れない体質だ。 だがガリガリに痩せているというよりスタイルが良い。 隣りの鈴森は芹沢や羽多野より10センチ小さい。 10センチといっても175あるので小柄な方では無いが、羽多野が「葵は小さくてかわいい!」と何かにつけて連呼するので、その度に怒っている。 鈴森は黒髪に軽くウエーブがかかっていて、和風の整った顔立ちだが、ふと寂しげな表情をする。 それは鈴森にしたら単に腹が減ったとか、眠たいとか、退屈だとか、ゲームやりてーだとか大した意味を持たないが、女子から見ると『捨てられた子犬みたいにかわいい!』となるらしい。 その辺の女心は、芹沢にも羽多野にも鈴森本人にも理解不能だ。 その時クスクス笑いながら、車の向こう側から人影が現れた。 「芹沢くん、こんにちは。 この暑いのに本当にバイクで来たんだ?」 香坂透が爽やかな笑顔で言った。 「香坂さん、こんにちは。 香坂さんもいらしてたんですね」 香坂がふふっと笑う。 「僕は先生が行かれる所には必ず御一緒するんです」 香坂は柄物のシャツにチノパンと軽装だ。 サラリとした黒髪が額に落ちる。 身長は鈴森と殆ど変わらない。 綿貫と香坂は33才の同じ年だが、印象はまるで違う。 綿貫は出来る大人のイメージだが、香坂は少年ぽさを漂わしている。 「さあ、荷物を運んで一息入れようか。 芹沢くんが熱中症で倒れちゃう」 香坂が悪戯っぽく言って、荷台の扉を開けた。

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