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第35話

『店で作ってもいいですけど、お邪魔していいなら勅使河原さん家で作りますよ。その方が楽でしょ?』 手作りごはんの申し出だけでなく体調まで気遣ってくれる天使のような優しさに感動して勢いのままに頷いてしまった秀一は、今の部屋の惨状を思い出しながら顔を真っ青にしながら、部屋の鍵を開ける。 いいところは駅から歩いて10分弱という立地の良さだけの、独り身のサラリーマンらしい1Kの狭いアパートだ。 「散らかってますけど…」 今日からどんなに疲れててもどんなに具合が悪くても毎日部屋を片付けて掃除するようにしよう。 桜井を招き入れながら、秀一は堅く心に誓った。 いくら熱があって数日寝込んでいたとはいえ、脱ぎっぱなしのアレコレが山を作っているのは恥ずかしい。いや熱がなくても基本的に脱ぎっぱなしだった。救いは山のてっぺんがパンツではなかったこと、と思うことにする。 「ろくなもんないですけど、調味料はこの辺に入ってます。おたまとかはこっち。鍋はこれです。」 「ん、ありがとうございます。適当にお借りしますね。」 この部屋を借りて引っ越してきたときに買った数年前の代物なのに新品同様の綺麗な鍋とおたまを手にしながら、桜井が微笑む。あの鍋たちが活躍する日が来るとは思いもしなかった。 自分の部屋なのにそわそわしながら桜井の様子を伺っていると、それに気付いた桜井は髪の毛を束ねながら苦笑した。 「寝てていいですよ。5分で出来るわけじゃないし。」 少し長めの明るい髪を一つに束ねると店でいつも見る顔になる。 髪を下ろしたラフな姿も可愛いけど、こうして髪を纏めていると桜井の綺麗な横顔がよく見えていい。 つまりどっちも良い。 秀一はお言葉に甘えて布団に潜り込み、寝たふりをしながらジッと狭いキッチンで手際よく料理していく桜井を眺めていた。

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