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第53話

一人で悶えて父に感謝しているほど暇じゃない。なんせ会社の犬である秀一が自営でカフェをしている桜井と過ごせる時間は貴重なのだ。 桜井の休みは基本的に定休日の月曜日だけだし、月曜日はもちろん秀一は仕事である。土曜日まで仕事をしていることが多い秀一は日曜しかカフェに来られないし、あとは日々の少ないLINEのやりとりだけだ。 貴重な時間を無駄にはできない。 「桜井さ…」 秀一が再び桜井に向き合い口を開いた瞬間、カランカランとドアベルが鳴って桜井はすぐさま立ち上がった。 「いらっしゃいませ。いつものですか?」 身なりの良い初老の男性客と親しげに挨拶を交わす桜井はもう店員の顔だ。秀一に会釈をして席を離れ、自分が飲んでいたコーヒーのカップもカウンターの向こうに片付けて注文を取りに行く。 ちょっと寂しい気持ちになりながらバターが染み込んだトーストをかじると、じゅわりと風味が口の中に広がって幸せの味がした。それを噛み締めながらカウンターの向こうで調理に励む恋人の姿をちらりと盗み見る。真剣な表情でサイフォンに向かう姿がとても綺麗だ。 チラ見のつもりがガン見になっていると、ふと桜井が顔を上げて、秀一と視線があった。 ふわん、と、微笑まれて、秀一の胸にブワッと嬉しさと愛しさが同時に溢れかえった。 (…かわいい…ッ!美人…!) あまりの眩しさに直視出来なくて、不自然に視線を逸らして拳を握って衝動に耐える。そうでもしないと叫びそうだった。 身悶えしていたのは秀一一人で、桜井はそんな秀一の横をシレッと通り過ぎる。しかし新しい恋人の存在に舞い上がる秀一には、隣を通る気配さえ嬉しい。 これからモーニング目当ての客が増えてくるだろう。桜井も忙しくなるが、少し待てば落ち着くはず。 どうせ今日は一日ここにいたいと思っていたのだ。閉店までだって居座って桜井と一緒にいたい。欲を言えばその後も。 けど、閉店後に一緒にご飯に行ったりもできるかも。 秀一はアレコレ妄想を膨らませて一人でこっそりニヤケながら、幸せのトーストと甘いカフェオレを平らげた。

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