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第五章 -4

◆◆◆  その噂は、あっという間にグラッドストン領にも伝わってきた。  聞き付けたアイザは、王都へ向かう用事があることをこれ幸いに、すぐに馬を走らせシィアに入った。  なんでも、シィアで一番といわれるやくざ者、スキッピオ一家の頭の家に強盗が入ったのだという。  都一帯――特にシィアは騒がしく、もう数日が過ぎたというのに人々はどこか興奮した様子でうわさ話に花を咲かせていた。スキッピオ一家にいい思いを抱いていなかった者は清々したなどと留飲を下げ、善良な市民はやくざ者の勢力争いが激化しないかと恐れている。  アイザはシッチと共にシィアに借りた別宅へと向かった。以前はシィアに来た際はローディア家の一室を借りていたが、頻度も増えたため、新たに家を借り上げた。狭いながら、グラッドストンの屋敷同様、小さな書庫も作っている。今回はそこに二週間程度滞在する予定だ。 「シッチ、少し出かけてくる」 「かしこまりました!」  管理する者を雇っているとはいえ、久しぶりに使う屋敷に、シッチはさっそく掃除を開始している。  それを横目にアイザはできる限り簡素な服装に着替え、シィアの街に出た。商店が立ち並ぶ通りへと足を向ける。歩き慣れた道も、噂のせいか、どこか騒然としている。そんな中、アイザは見慣れたパンの形の看板を見つけ、ドアをくぐった。 「いらっしゃいませー!あっ!アイザさん!」  途端、元気な声と柔らかなパンの香りがアイザを迎えた。  カウンターの赤髪の女性――イリスは、嬉しそうに顔をほころばせる。その隣に立っていた青年――ルッツが、対照的に顔をしかめているのを認め、アイザは苦笑した。 「わあ、お久しぶりですね!こちらでお仕事なんですか?」 「ええ、二週間ほど滞在する予定です」 「またですか。ちょっと領地ほったらかしすぎじゃないですかねぇ。お貴族様がこんな庶民のパン屋に来なくてもいいんじゃないですかねぇ~」  嫌味たっぷりのルッツの言葉は、あからさますぎるほど嫉妬に満ちている。  イリスたちと知り合ってから、アイザは王都を訪れるたびにこのパン屋に顔を出していた。  常連、というには間が空きすぎるほどだが、ルッツが妬く程度にはイリスと馴染んでいるわけである。 「ちょっと、ルッツ!何その失礼な態度は!」  イリスに咎められても、ルッツはツーンとした態度を崩さない。 「ここのパンはおいしいからね。王都に来たら食べないと物足りないんだよ」  その言葉に嘘はない。しかし、それは理由としてはおまけみたいなもので、ここを欠かさず訪れる本当の理由は、ユゥキが来ていないか、という一縷の望みからだ。とはいえ、イリスはアイザに協力的であり、もしユゥキが訪れようものなら、一番に知らせてくれるに違いないのだが。 「そういう君も、いつもここに入り浸って、酒屋の仕事は?失業した?」  からかい交じりにアイザは返した。いつも言われっぱなしだったので、最近は対抗してみたりしている。  すると、さらに言い返されるかと思いきや、ルッツはむっと押し黙った。おや、と思ったのはアイザだけではなかったらしい。イリスがどこか心配そうにルッツを見つめた。 「何かあったの?」 「いや、別に失業まではないけどさ。売り上げが落ちてんだよなぁ。この前のアレのせいで」 「あれって……」 「スキッピオ一家のやつ」 「ああ…」  イリスの表情が少し陰った。スキッピオと聞いていい思い出は全くないだろう。  アイザはちょうど話題が出たことを幸いと、その件について尋ねた。 「私は詳しく知らないんだが、スキッピオ一家に盗みが入ったという話か?」 「そうそう、強盗。ウィスプの虎だよ」  ――ウィスプの虎。  アイザは目で続きを促した。ルッツは酒問屋という商売柄か、話に詳しい様子だ。 「冬の間全然話がなかったからさ、ウィスプの虎はもう解散しちまったんだーとか噂も出てたくらいなんだけど、全然そんなことなかったんだよ。あいつら冬眠してただけ」 「そのウィスプの虎が、スキッピオ一家の頭の家に忍び込んだのか」 「強盗って言ったろ?忍び込んだんじゃねぇよ。わざわざ、スキッピオ一家の幹部全員が頭の家に集まる日に、真正面から乗り込んでいったんだ。幹部も部下も、死んではないみたいだけどぼっこぼこにされてさ、財産は全部かっさらわれてさ。すげーよな」  今や一家は壊滅状態だという。 「おかげさまで、酒場自体の売り上げがここ数日がたんと落ちて、うちへの注文も同時にがたんだよ。ま、もう少ししたらまた元通りにはなるだろうけどさ」 はぁ、と重たいため息を吐くルッツに、アイザは質問を重ねた。 「それで、ウィスプの虎は?」 「全員きれいに逃げおおせたみたいだよ。スキッピオ一家が師団を頼れるわけもなし。そりゃ、虎もケガの一つや二つはしてるかもだけどさ」 「そうか……」  師団がかかわらないのであれば、アイザに情報が入るはずもない。今、ルッツから聞く話が一番詳しいものとなりそうだ。 「でもさ、ちょっと不思議なんだよな。ウィスプの虎ってさ、どっかの屋敷とかから盗み出すときって、こっそりとすることがほとんどなんだよ。手口が鮮やかすぎて盗まれたのにしばらく気づかなかった人がいたとかいう逸話があるくらいにさ。わざわざ全員が居るとき狙って強行するって、珍しい。スキッピオの奴ら、なんか恨み買ったんかな?」 「知らないわよ。あんな人たちのことなんて」  むすっとしたイリスの言った『あんな人』が虎を指すのかやくざを指すのか分からないが、話はそこで打ち切られた。  アイザもそれ以上質問をすることはなく、イリスにリートとリットのパンを二つずつ注文し、代金を支払った。 「しばらくいるから、またパンを買いに来るよ」 「はい、いつでもどうぞ」 「チッ、貴族は高いもの食っとけよ」  イリスに肘打ちされるルッツを横目に、アイザはパン屋を後にした。  一度邸に戻ったアイザは、買ってきたパンをシッチに渡した。 「わぁ、ここのパン、おいしいですよね!でも、言ってくだされば僕が買ってきますよ!」 「買い物するのが気分転換にいいんだ」 「うーん……そうですか」 「ところでシッチ、礼服を出してくれないか?ローディア伯に挨拶に行く」 「え、あ、はいっ!すぐにご用意します!」  シッチは張り切った様子で礼服を用意し、アイザの着替えを手伝った。本当は手伝いなどいらないが、シッチはアイザを手伝えることに喜びと誇りを持っているので、アイザはおとなしくされるがままとなった。 「お供は?」 「一人で行くよ。昼食を一緒にできなくて申し訳ないが……」 「いえ、お気をつけて行ってらっしゃいませ」  シッチは気にした様子もなく頷いて、それからアイザを伺うように見た。 「あの、アイザ様。ディードに連絡を出していいですか?せっかく王都に来たんですし……」  冬の間から春にかけて臨時的に従者として雇っていたディードは、つい先月、実家のランドックへと戻っていった。ディードは使える男であったし、シッチともずいぶん仲良くなっていた様子だった。王都に行くと決まって以来、シッチは彼に会うことも楽しみにしていたに違いない。 「そうだな、連絡を取るといい」 「はい!ありがとうございます!」  そしてアイザは笑顔のシッチに見送られ、再び別邸を後にした。  ローディア家を目指して歩き出すふりをして、角に差し掛かると曲がる方向を変え、行き先を変更した。  本当は、ローディア伯に会う予定はない。目指す先は、シィアから北に行ったランドックにあるカーリス伯の別邸だった。エマルエーレの南端にごくごく小さな領土を持つカーリス伯は、よくシィアに現れていた。というのも、彼は貴族でありながらも魔導士、さらには魔導議員の一人であり、一年のほとんどをランドックの別邸で過ごしているということだった。  スキッピオ一家の噂を聞いた日に、今日伺う旨は手紙で知らせてあった。返事はもらってないが、来訪を拒否されることはないだろう。  カーリス伯の別邸は、主人の趣味か、壁にも飾りの銅像が山ほど埋め込まれ、少しまがまがしい出で立ちをしていた。  かくして、手紙はちゃんと受理されていたようで、使用人に名乗りを上げるとすぐに応接室へと通され、少しも待つ間もなくカーリス伯が現れた。 「やぁ、グラッドストン伯。いらっしゃい」 「こんにちは。突然お伺いしてすみません」 「気にしなくていい、君は『同志』なんだからね」  ぐふふと笑うカーリス伯のその言葉にぐっと奥歯をかみしめながらも、アイザックは表情を和らげたまま尋ねた。 「そのことなんですが、今度の競りが待ちきれなくて。いつ頃あるのかお伺いしようかと思いまして……」  ずっとだんまりだったウィスプの虎が盗賊稼業を再開したと聞いて、アイザは近々競りが行われるのではないか、と踏んでいた。そのために急いでここを訪れたのだ。  しかし、それまでにやにやと笑っていたカーリス伯の顔が固まった。その反応に、嫌な予感が胸を刺す。 「あ、あーあー……そうね、競りね……そのことなんだが、君を連れていくことはできないんだ」  カーリス伯は先ほどよりもずいぶんと小さな声で、もごもごと口を動かす。 「なぜ……約束していただいたと思ったのですが」  嫌な予感は的中した。 「まあ、その、主催からだね、これ以上、議員を招くわけにはいかないとだな……」 「そこを、カーリス伯の顔でどうにかできないのでしょうか」  そのためにアイザは気分の悪い思いまでして彼に取り入っているのだ。 「あまり無理を言うと、私まで出入り禁止となってしまう。こういうのは、信頼関係が大事なんだよ。そうだ、私が代わりに欲しいものを競り落としてきてやろう。君の好みはあれかね?あの従者みたいな…色白で、小柄で…」  アイザは殴りかかってしまいそうなのをぐっとこらえた。性奴隷が欲しいわけではない。競りの出品者であろうウィスプの虎に接触したいがために、シッチをも含めた侮辱に耐え忍んでいるというのに。  黙り込んでしまったアイザに、さすがのカーリス伯は申し訳なさがあるのか、取り繕うように声を高めた。 「そうだ!なんなら、今から私のコレクションを見せてあげよう!」  その言葉はなんの慰めにもならない。むしろ、吐き気を催すような申し入れだったが、アイザは「ぜひに」と頷いた。  謝罪の気持ちというより、カーリス伯自身もコレクションとやらを誰かに自慢したかったようだ。気分をよくしたようで、さっと立ち上がると「ついてきたまえ」とアイザを誘った。  ――おもねってだめなら、作戦を変えるしかない。  アイザはそう決心し、カーリス伯の後を追った。  廊下を抜け、執務室に入る。その壁にある棚に、カーリス伯は手をかけた。カーリス伯がぐっと棚を引っ張ると、その棚はあっさりと動き、その後ろに通路が現れた。隠し部屋だ。  半地下になったその部屋は薄暗く、どこか酸っぱい匂いがした。奥から、かちゃん、と金属が触れ合う音がする。 「私のお気に入りはだね……」  ほくほくとした様子で奥へと促すカーリス伯が指し示す先には、鎖と手錠でつながれた、ほぼ裸の子供たちがいた。その数は、五名。どの子も痩せて幼く、うつろな目をしてアイザを見つめてきた。 「―――っ」  アイザは強くこぶしを握り締め、一つ呼吸を置き、沸騰しそうな怒りを何とかおし鎮めた。 「カーリス伯」  名を呼ぶアイザの声の調子が、先ほどまでとは打って変わって固く尖ったものになったことに、どうやら先方も気づいたようだった。 「なんだね、どうしたんだね」 「私は貴方を告発します」  しばらくの間があった。言われた意味を理解できていない様子で、カーリス伯は目を丸くした。 「な、なにを言ってるんだ!?」  アイザは淡々と返した。 「年端も行かぬ子供を奴隷として買い付け、このような扱いをする。およそ議員としての倫理に反するかと」 「それは君もじゃないか!」 「あいにくと、私はそのような趣味はございません。側近のシッチも、色小姓などではない」  さっとカーリス伯の顔が青く染まる。やっと、気づいたようだ。 「だ、だましたのか」 「――貴方に近づくために嘘をつかせていただきました」 「そ、そん、そんな……」  奴隷を持つこと自体は禁じられていないが、その扱いは手厚くすることが求められている。この隠し部屋の報告だけで告発には十分だろう。カーリス伯は、議員の地位を失い、もともと弱小であった貴族としても取り潰しになる可能性もある。  彼自身がそれをわかっているから、今これほど慌てているのだ。  もはやぱくぱくと口を開閉させるだけとなってしまったカーリス伯に、アイザは一歩詰め寄った。 「私の条件を二つほど呑んでいただけるなら、告発はしません」 「ほ、本当か。なんだね、条件は!」 「一つは、今すぐこの部屋の子供たちを解放し、十分な生活と教育を受けられる施設へ入れること」  カーリス伯が悔し気に顔をゆがめる。その顔にはありありと『惜しい』と書いてある。 「今、すぐにです。明日になってもまだ手続きがされていなければ、告発します」 「わ、わかった!わかった、約束する。すぐに施設の手続きを始める!……そ、それで、もう一つの条件は…」 「二つ目は、競りの主催者を教えること」 「な……」  ただでさえ青かったカーリス伯の顔が、ますます白くなっていく。 「そ、それだけはできん!そんなことをしたら……」 「情報源が貴方だということはどこにも漏らしません」  アイザは目を眇めた。 「それとも、すべてを失う方がよろしいですか?」 「わ、わかった!絶対に私が漏らしたと言うな!絶対だぞ!」 「そこは、確実にお約束します」  頷くアイザに、それでもカーリス伯は逡巡を見せる。アイザは無言でじっと待った。どうであろうと、彼が今の地位を手放すわけはない。  案の定、ややあって、カーリス伯は口を開いた。 「――主催は……ランドック一の高級娼館の主だ。タンザという、若い男だ」 「タンザ……」  口の中で繰り返し、アイザはその名を脳に刻み付けた。繁華街に行けば、娼館はすぐにわかるだろう。 「本当に、これで、これで告発はしないんだろうな!?」 「明日までにこの子供たちの手続きが終わっていれば」 「ぜ、絶対だからな、私が情報源ということも、絶対に漏らすなよ!!」  縋りついてくるカーリス伯の手を振り払い、アイザは踵を返した。もうここには用はない。  目指すは、タンザという男だ。

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