54 / 55

第五章 -3

 獲物がスキッピオ一家に決まったときから、日々は俄かに慌ただしくなった。虎の面々それぞれが準備を始め、村の出入りも激しい。祐貴もまた、ヴェダとファイエットについてランドックへと出てきた。  森の外へ出るのは数ヶ月ぶりだ。夜の帳の下りた繁華街は、人々で溢れている。見知らぬ人々のざわめきに、祐貴は少し興奮していた。 「おい、ローブを外すなよ」 「わかってる」  思わずきょろきょろと周囲を伺う祐貴に、ヴェダが呆れ声で注意してくる。頷きながら、祐貴はローブのフードを深く被りなおした。時が経ったとはいえ、祐貴は国師団に追われていた身だ。顔を晒しては歩けなかった。  少しの寄り道もせず、三人は大きな建物へ向かった。祐貴も一度だけ来たことがある、タンザの娼館だ。  扉を開くと同時に黒服が奥へと案内をする。相変わらず娼の喘ぎが漏れ聞こえ、部屋に入って音が遮断されると祐貴はほっとした。  部屋の中にはすでに主のタンザがいて、王子のような様相で豪奢な椅子に座って寛いでいた。祐貴たちを案内してきた黒服に何事かを耳打ちすると、男はさっと部屋を後にした。ヴェダとファイエットは慣れた様子で、テーブルをはさんだ向かいの席に座る。 「皆様お揃いでどうも。君も、上手くやってるみたいだね?」  芝居がかったように両手を広げて三人を歓迎しながら、最後はちらりと祐貴を見てタンザは告げた。  虎のメンバーとはいくぶん打ち解けたが、タンザに会うのはまだ二度目だ。祐貴は何も答えないままふいと視線を逸らして、他の二人に倣い腰を下ろした。タンザがその反応を気にした様子はまるでない。  纏っていたローブを脱ぐと、ぴょこんと毛玉が腕から飛び出た。ハナだ。本当はアジトに置いてくるつもりだったが、意地でも祐貴の後をついてこようとするので、抱えて連れて来ていたのだ。 「おっ、それが例のはぐれ召喚獣?噂にたがわず可愛らしい容姿だな。とても上位には見えないけど……」  すでにヴェダからいろいろと話を聞いていたのだろう、タンザは目を輝かせ、テーブルの上に乗るハナをまじまじと眺める。 「手を出したら火傷するぞ」 「おっと、店を燃やされたら堪らない。じゃあまず、これから渡そう」  ヴェダの忠告に慌てて手を引いたタンザは、側に置いていた小ぶりの木箱をテーブルに乗せた。そして流れるような手つきで蓋を開くと、中には手の平よりも小さな透明なガラス瓶が数個並んでいる。  祐貴はその瓶に見覚えがあった。今まで見た全ての魔導士が懐に忍ばせていたものだ。 「よくこんなに手に入ったな」  ファイエットが感心すると、タンザは得意げに鼻を鳴らした。 「付き合いの深い魔導士お貴族がいるもんでね。普通はこんなに手に入らないよ」 「ただの入れ物だろうが」  ヴェダはそう言って、中の一つを手にとると祐貴に渡した。  初めて手にするそれは案外軽い。物理的には明らかに入らないのだが、どういうわけか、召喚獣はこの中に収まるのだ。 「えーと……ハナ」  呼びかければ、ハナは直ぐに祐貴の意を察したようだった。しゅん、と一瞬のうちに、その小さな体は瓶の中に吸い込まれてしまった。重さは変わらないが、この中にハナがいるのかと思うと、持つのに少し緊張した。 「すごい……」 「あとはこれ」  そう言ったタンザは本を一冊取り出した。黒い革の表紙で重厚なものだ。 「ああ、それだ。魔導士の入門書――」  応えたのはファイエットだった。本を手にとると、パラパラと簡単に中を見る。 「よし、じゃあユゥキはこの本持って行け」 「え?どこに?」  本を押しつけられ、思わず受け取った祐貴は言われた意味を一瞬理解できず目を瞬かせた。  それと同時に、部屋の扉がノックされた。 「あ、丁度きたね――入れ」  タンザが声を掛けるとすぐに扉が開かれ、先ほどの黒服の男と胸ぐりが大きく開いたドレスを着た娼が一緒に入ってきた。娼はヴェダの隣へと当然のようにすわり、しなだれかかる。 「ここからは虎の頭だけに売る情報だからね、ユゥキは退室」  呆然とした祐貴に向けて、タンザは指を突きつけ、そのまま部屋の扉へ促す。  祐貴はぐっと口を噤み、素直に従った。立ち上がり扉に向かえば、黒服が先導してくれた。  もともと、このランドックについてくるのが許されたのも、この召喚獣用の小瓶と魔導士の入門書を受け取るためだ。頭だけというのに、なんでファイエットはいいのか、なんて喚くほど祐貴は馬鹿ではない。あの娼が情報を持っているのだということもちゃんとわかってる。  ちらりとヴェダに目を向けが、彼はこちらを見てはいなかった。ただ、隣に侍る娼にもあまり興味がない様子なので、少しだけほっとしながら祐貴はその部屋を後にした。  同じ階の少し離れた場所にある一室に祐貴は通された。普段は客室の一つとして使っているであろうそこには、ベッドからなにから揃っている。 「指名はありますか?」  黒服に聞かれ、祐貴は意味が解からず首を傾げた。 「肉付きの良い方がよろしいでしょうか、それとも技巧がある娼が?肌と髪の色は……」  そこまで聞いて、黒服が娼を宛がおうとしていることに気付き、祐貴は慌てて首を振った。 「いい、いらない!」 「そうですか」  あっさりと黒服は引き、ごゆっくり、とだけ言って出ていった。祐貴は大きく息を吐くと、本と小瓶をベッドに置き、自身もそこへ寝ころんだ。 「…………」  ヴェダたちのことを考えるとモヤモヤとするので、祐貴はベッドサイドの明かりを大きくして、もらったばかりの入門書を開くことにした。  召喚獣や魔導士について、祐貴はファイエットからいろいろなことを学んでいた。ファイエットは本当に博学で、いろんなことを知っている。ただ、彼も魔道士ではないので、知識には限界があった。そこで、タンザに本を調達するよう頼んでくれたのだ。  初めは基本が書かれてある。召喚獣とは、異界の獣である。魔導士が、陣を用いて術を施せば、異界に繋がり獣を呼び出すことができる。そして、その獣と契約を行なえる。その契約の媒体は、血だ。魔導士が己の血を召喚獣へ飲ませることで、召喚獣はその魔導士の僕となり命令を一つきく。その命を遂行した召喚獣は、速やかに元の世界へと戻る。  ファイエットにも、以前、ファイラにも聞いたことのある話だ。 「それで、今では『命が尽きる寸前まで側に仕え命令に従うこと』って言うのが当たり前になってるんだよな……あ、そうだ」  ふと思い立ち、祐貴はページを飛ばして捲っていった。イレという魔導士のことについて書かれている所はないだろうか。 「あ、あった……えーと……」  初代国王に仕えた魔導士であり、森羅万象を統べる召喚獣の王を使役し、エマヌエーレ建国に助力した、とだけ書かれている。  このイレと祐貴は同等の力を持っているのではないか、とファイエットは言う。この人物のことが少しでも分かれば、自分の置かれた状況もなにか変わるのではないかと思ったのだが。  謎が多いと言われているだけあって、特に目新しい情報もない。祐貴はすこしがっかりしながらも、これは召喚術のいろはを学ぶ本だしな、と自分を納得させた。  またもとのページに戻り、続きを読もうとした時、ノックもなしに扉が開いた。  もう話は終わったのか、と、顔を上げた祐貴はぎくりと固まった。そこに居たのはヴェダやファイエットではなく、ウェーブがかった豊かな金髪の娼だった。体のラインのはっきりわかるドレスを着ている。 「え…っ」  驚く祐貴をよそに、娼はつかつかと部屋に入ってくる。  いらないと断ったはずだ。混乱する祐貴は、娼が目の前に来てもまだ動けないでいた。  寝そべったままの祐貴の顔に娼の手が伸びた。爪先まで綺麗に手入れされた手に顎を掴まれ、ぐいっと上向かされた。首が反って痛い。娼は無言でその顔を祐貴に近付けてきた。  まさか、キスでもされるのだろうか。娼はくっきりした顔立ちをしていて、若く、かなりの美人だ。それでも、キスされるのは困る。もちろんそれ以上も。  しかし、祐貴の心配をよそにそれ以上娼の顔が近付くことはなく、しかも、顎を掴んでいた手を乱暴に外され、祐貴は広げていた本に思い切り顔面を突っ込んだ。 「いった……」  訳が解からない。打った顔を押さえながら、祐貴はとりあえず上半身を起こした。無防備に寝ころんでいるのは危ない。すると、憤った声が降ってきた。 「すっごく貧相。こんなのなんて……信じられない!」  見れば、嫌悪も露わに顔を顰めた娼が、腕を組み祐貴を見下ろしていた。 「何……?」  信じられないのは祐貴の方だ。いきなりこんな仕打ちを受けて、どうしたらいい。 「あなた、あまり調子に乗らないでよね」  娼はますます意味のわからないことを言う。流石に気後れしていた祐貴もむっとして噛みついた。 「いきなりなに?貧相とか、調子にのるなとか……」 「ああ、やだやだ!声まで気持ち悪い!ヴェダ様の気まぐれも考えものね!どんな手管を使ったか知らないけど、ヴェダ様に遊んでもらったからって大きな顔をしないことね!」  祐貴の言葉を遮るように、娼が怒鳴る。その中に出たヴェダの名前に、祐貴は思わず口を噤んだ。  そして、気付いた。この娼は虎のメンバーがよく語る、ヴェダの馴染みの頗る付きのいい女――エルザだ。  改めて見れば、あの荒くれどもが噂するのもよくわかるほど、エルザは魅惑的な女だった。艶やかな髪、長いまつげに縁取られた大きな瞳、谷間が覗く豊満な胸、折れそうな腰の括れ、すらっと伸びた白い脚――他の娼たちと比べても明らかにランクが上だ。 「でも、安心したわ。こんなしょぼいのだったら、すぐに捨てられるわね」  ふん、と鼻を鳴らし、エルザは髪を掻き上げた。 「ヴェダ様を満足させてあげられるのは私、相応しいのも私」  祐貴に見せつけるように腰をくねらせると、言葉を失っている祐貴に満足したのか、くるっと踵を返し部屋の扉へと向かう。 「あなたはそこでひとりで指でもしゃぶってなさい」  嘲笑を残し、バタンと扉が閉められた。  祐貴は暫く、その扉を見つめたままぼうっとしていた。今からあのエルザはヴェダの元へ行くのだろう。そしてヴェダはあの娼を抱くのだろう。  エルザに罵られたことよりも、その事実に祐貴は苛立った。  ぼすり、と枕を一つ殴った。すると、どんどん怒りが溢れてきて、祐貴はひたすら枕を殴り続けた。 「なんだよっ!そりゃ、あんないい女抱けるなら、喜んで抱くだろうよっ!」  わかっていたことだった。しかし、実際にその娼を目の当たりにすると、怒りとがふつふつとわき上がってくる。ヴェダは今も飽きもせずに祐貴の貧相な体を抱くのだ。そして、エルザとの事を持ち出して祐貴を傷つけて愉しむのだ。 「あの色情狂っ!――うぅぅぅ」  ボスボスと怒りをぶつけた枕に今度は顔を埋め、祐貴は唸った。暫く唸り続けると、じわじわと怒りは引いていき、後に残ったのは哀しみだけだった。 「……もう嫌だ」  傷つかなければいいのに、傷ついてしまう。認めたくないが、それは明らかに嫉妬だった。  そのまま不貞寝をしてしまった祐貴が目覚めると、もう太陽が昇り始めていた。広いベッドにはもちろん祐貴一人きりで、目覚めの気分は最悪だった。  いっそのこと、開き直ってしまおうか。  寝起きのぼんやりした頭で祐貴はそんなことを考えた。ヴェダへの気持ちを認めてしまえば、少しは楽になるかもしれない。傷つきはするけれど、それは認めようが認めまいが同じだ。認めてしまって、全部ヴェダへぶつけてしまおうか。  ――そうしよう。そう決めると、なんだか名案のように思えた。  のそり、と体を起こすと、タイミング良く扉が開いた。 「起きてたか」  入ってきたのはヴェダで、祐貴は思わず顔を顰めた。 「すぐ帰るぞ。準備しろ」  いつも通りの高圧的な言葉に、むすっとしたまま祐貴は従った。荷物を纏め、ローブを羽織る。ヴェダは眠たそうに大きな欠伸をしながら待っている。昨夜は随分とお愉しみだったようだ。 「なに膨れた顔してんだよ」  フードを目深にかぶっているのに、ヴェダには見えたらしい。 「別に」 「別にって顔じゃねーだろ」  ヴェダは訝しげにしているが、祐貴がツンとしたままそっぽを向くとそれ以上は何も追及しなかった。  そのことに、祐貴はさらにむっとした。昨夜の件をヴェダが取り繕うはずもないし、彼にとってはその必要もないのだ。  先を行くヴェダにしぶしぶ着いていくと、すでに玄関にはファイエットとタンザがいた。 「じゃあ、幸運を祈ってるよ。いっぱい稼いで、俺にも甘い蜜を吸わせてくれよ」  にんまりと笑いながら、タンザは三人を送り出す。 「あ、あと。次来るときは娼買えよ。商売あがったりだ。ここは娼館なんだから」  最後に追加されたその言葉に、祐貴はあれ、と首を傾げた。ヴェダ達が娼を買っていないと取れる言葉だ。  静かな早朝の町をすたすたと進んでいくヴェダ達を追いかけながら、祐貴は思い切って訊ねてみた。 「昨日、娼買ってないの?」  これに答えたのはファイエットだった。 「おいおい、夜通しずっと作戦練ってたんだぞ。そんな余裕はない」 「お前はぐーすか寝てたみたいだけどな」  ヴェダの嫌味も追加されたが、祐貴はへぇ、とそれを流し、頬を緩めた。  なるほど、ずっと二人で作戦会議をしていたから寝不足なのだ。余裕があれば買っていたのかもしれないが、少なくとも昨夜は買っていない。 「ふーん、そーなんだ…」  ふと、ヴェダが祐貴の顔を覗きこんできた。祐貴は緩んだ顔を引き締めようとしたが、遅かった。 「ああ、なるほど。お前、俺が娼を買ったと思って不機嫌だったのか」  にやり、と笑うヴェダは、全てを見通したようだった。隣のファイエットもつられたようにニヤケ顔でほう、と頷いている。祐貴を冷やかそうとする空気が流れる。  祐貴はカッとなって否定しようと開いた口を、慌ててぎゅっと噤んだ。  間違えた。開き直るのだった。  すうっと息を吸い込むと、祐貴はまっすぐにヴェダを見た。悔しさと恥ずかしさを押し殺し、口を開く。 「――嫉妬しちゃ悪いか」 「は?」  ヴェダが目を丸くする。ファイエットも驚いた様子で、目を瞬く。 「俺は、ヴェダが娼を買うのはいやだ」  ダメ押しとばかりにはっきり告げると、ファイエットが笑いだした。 「ユゥキも随分逞しくなったなぁ」 「……どうだかな」  ヴェダは少し呆れたポーズをとっているが、戸惑いは隠せていない。普段と違うその姿を眺めながら、祐貴はしてやったりと胸がすく思いだった。

ともだちにシェアしよう!