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トロけるようなキスをして――
その日は空気が凛と澄んでいて、とても寒い夜だった。
コンビニのバイトがいつもの時間に終わり、手を擦り合わせながら肩を竦めて店の外に出る。夜空を見上げるとそこには、雲ひとつない空にキレイな星が、これでもかとキラキラ瞬いていた。
「ひとりで見るよりもふたりで見た方が、もっとキレイなんだろうな……」
今、隣にいないあの人のことを思い、胸の中がきゅっと切なくなる。
俺の名前は紺野 千秋。市内の大学に通う二年生。親の仕送りとバイトで生計を立てていた。
はーっとあたたかい息を両手にかけて、俯きながら歩き出した途端、身体を奪うように後ろから強く抱きしめられた。包み込んでくれるその二の腕は絶対に、この時間にはいない人なのに――嬉しさのあまり、ひとことも言葉が出てこない。
「お帰り千秋。今日もお疲れ様」
「……穂高、さんっ!?」
どうしていつもよりも帰りが早いのか聞いてみたいのに、それすらも口から出てこない。
すぐ傍にいる同性の恋人、井上 穂高。昼間は普通のサラリーマンをしているのだけれど、俺と一緒に暮らすマンションを借りるため、夜はホストの仕事をしていた。
背中に感じる穂高さんのぬくもりが、えらくあたたかくて、ほっこりしてしまって。それをもっと感じたくて、身体に回された腕を意味なく、ぎゅうっと握りしめる。
寒さのせいだけじゃない――逢えない時間が、堪らなく寂しくて。まるでふたりの間を冷たい風が、びゅーって吹き抜けているみたいだった。
「今夜は冷えるせいかな。千秋の身体が、やけにあったかく感じるよ」
「穂高さんの体も、すっごくあたたかいですよ。まるで背中に、毛布をかけられてるみたい」
じわじわっと感じる愛おしいあたたかさを噛みしめて、顔だけ振り向きながら言ってあげると、とても嬉しそうな表情を浮かべた。
身体を包んでいる腕を名残惜しげに離したので、穂高さんの手にそっと触れてみる。予想通り、冷たい体温 ――
「ねぇ、いつからここにいたんですか? 車が、見当たらなかったんだけど」
「千秋を驚かせようと、コンビニの影に隠しておいた。今夜はお店が、臨時休業になってね」
「そうなんだ。ビックリしましたよ」
「ふっ、驚いてくれて何より。ホストの仕事も順調で、めでたくナンバーになれたよ」
「もう、ナンバーになったんですか!?」
だってホストになって、まだ一ヶ月も経っていないのに。
ナンバーっていうのは、ホストの売り上げ成績の順位のことなんだ。売り上げ成績が一番良かったホストが、その店のナンバーワンになるんだけど。この短期間にナンバー入りしたのは、やっぱりすごいとしか言えないや。
「ん……いろいろあってね。それに前に勤めていた時のお客さんを呼んだりして、お店に貢献してるから」
イケメンで、売れっ子ホストの穂高さん。とても優しいし気が利くし、人気が出るのは当然なんだ。
心中複雑な表情を浮かべる俺の右手を取り、さっさと車に連行する。
「明日、大学は?」
「えっと、午前十時から講義が……」
慌しく答えながら助手席に乗り込むと素早く身を翻し、運転席に座った穂高さんが安心したように、口元にふわりと笑みを溢した。
「それならお泊り決定だな。覚悟しろよ」
艶っぽく笑い、俺の頭を優しく撫でてからエンジンをかけて、穂高さんの自宅に走らせる。
***
数分後、穂高さんの家に着き、恐るおそる部屋の中に入った。
ここまで来るのに実は冷や冷やしている自分が、どこかにいて――
穂高さんのマンション前に女の人が待っていたり、はたまた部屋の中に女の人がいたりしたらどうしようかと、勝手にいらない想像して落ち込んだりしていたから。
以前、女の人と鉢合わせした時に思わず泣いてしまうという、情けない醜態を思いきり晒してしまっただけに、どうしていいか分からない……
「夜中だけど、コーヒー飲むかい?」
微妙な表情を浮かべ、ぽつんとリビングで立ちつくす俺に、気遣って話しかけてくれる穂高さん。
「あ、スミマセン。前と同じく、カフェオレでお願いします」
この間ここに来た時に、コーヒーを淹れてもらったのだけれど、俺が飲めないと言ったら、ミルクをたっぷり入れた美味しいカフェオレを、わざわざ作ってくれたんだ。
「分った、甘めにしておくよ」
手際よくヤカンに水を入れて、コンロにかけながら話をしていく後ろ姿を、格好いいなぁと思いながら、ぼんやりと見惚れてしまった。
「ありがとう、ございます……」
ドキドキを隠しながら答えると形のいい眉を一瞬だけ上げ、俺の顔をじっと見る。
「あの、穂高さん?」
穴が開きそうな勢いで見つめられ、その視線に何だか耐えられなくなり意味なく、わたわたと焦ってしまった。
「そんな顔して、俺のことを誘ってる?」
予期せぬ言葉に、頬がカーッと上気してしまった。いつもこうやって簡単に、俺の心をゆさゆさと揺さぶってくるんだ、この人は――
「さ、誘ってませんっ。そんなつもり、全然なくって」
「悪い。俺が誘われた錯覚に、つい襲われただけ。でもたまには、誘われてみたいかも」
肩を竦めて、くすくす笑う。その言葉にあやかり思いきって広い背中に、ぎゅっと抱きついてみた。ドキドキ――////
「……おっと! 今夜は随分と大胆だね。誘った甲斐があったようだが、タイミングが悪い」
「(。´・д・)エッ!?」
言葉の意味が分からず、穂高さんの手元を何とはなしに、覗いてみる。
「わっ、ゴメンなさいっ」
ちょうどフィルターに、細かいコーヒー豆を入れようとしていた時だったらしく、少しだけキッチンにこぼれているではないか。
もう一度ゴメンなさいと謝罪を口にした俺に、首を横に振って嬉しそうな表情を浮かべた。
「抱きつかれるのも謝られるのも、千秋にされることは何もかも、新鮮に感じるな。胸の中が、じわっと満たされていくよ」
後頭部に穂高さんの手を感じた瞬間、すぐさま、くちびるが塞がれてしまう。
「ん……っ」
久しぶりのキスに酔いしれそうになったら、カタカタッという音が耳に聞こえた。
「これからって時に、空気の読めないケトルだ」
俺の頬にちゅっと音のするキスをして、何かをブツブツ言いながら、ヤカンの火を止める。
「ソファに座って、待っていてくれ。すぐに行くから」
「はい……」
「……そんな顔しないで。すぐに、傍に行くよ千秋」
――離れていた分、傍にいたい――
そんな気持ちをあっさりと見抜かれ、胸の中に複雑な感情が混ざり合う。
俺の気持ちを、表情ひとつで分かってくれる穂高さん。分かってるクセに、傍にいさせてくれないなんてイジワルだな、もう。
嬉しさ半分、イライラ半分抱えながら、ばふんと音をたててソファに座ってやる。程なくして、お揃いのマグカップを手にした穂高さんが傍にやって来て、あ……と呟いた。
「どうしたんですか?」
「ビンテージ物、忘れるトコだった」
ワケが分からず小首を傾げると、さっきとは明らかに違う、嬉しそうな足どりで冷蔵庫に向かい、扉を開けて小箱を取り出し俺の隣に座りながら、手際よく包装紙を開ける。
「一緒に働いてるコが、ボーナス使って北海道に行ったんだ。そのお土産なんだよ」
小箱を開けた途端、マスカットの香りがふわりと鼻を掠めた。
「ホワイトチョコなのに、うっすらと緑がかっていますね」
「ん……何でも、白ワインに使うナイアガラという葡萄を、100%使ったチョコレートらしい」
中に入っていた黄緑色の紙に書かれている商品の説明書を、俺の大好きな低い声で丁寧に読み上げてくれる。
「白ワインって、アルコールが入ってるんですか?」
「いいや。造る工程で飛ぶみたいだがこれを食べると、せっかく作ったカフェオレの甘さが、見事に消し飛んでしまうかもね」
確かに――
「なら、こっちを先にっと」
穂高さんが丁寧に作った、あたたかいカフェオレに慌てて口をつけた。程よい甘さが体の中へ、じわぁっと染み渡っていく――
「このカフェオレの方が、俺にとってはビンテージ物かも」
今じゃ滅多に逢えなくなった大好きな穂高さんが、心を込めて作ってくれた物だから尚更。
そんなことを思い、マグカップを大事に両手に包み込んで、隣にいる愛しい人を見上げると、ちょっとだけ頬を染める。
「嬉しいこと、言ってくれるね。そんな千秋に、はい、どうぞ」
箱の中には、チョコを食べるための赤いスティックがついてるのに、それを使わずわざわざ摘み取って、俺の口元にチョコを差し出してきた。
食べろと、差し出してくれるのは嬉しい。だけど変なんだ――いつもの穂高さんならこういう場合、口移しで食べさせるのに、こんな風に渡してくれるなんて、何かあるのか!?
いろいろ考えてもラチが明かないので、マグカップをテーブルに置き、思いきって食べてみる。
パクッ!!
「――美味しい」
口の中に入れた瞬間、弾けるようなマスカットの風味が、ぶわっと広がっていく。
「白ワインよりも、マスカットの味がすごく濃いよ。だけどホワイトチョコの程よいクリーミーさも、きちんと分るんだ。すっごく美味しい!」
口の中で、ほろほろと溶けていくホワイトチョコなんだけど、それよりも強く感じるマスカットの風味。その独特な味に酔いしれて、うっとりしていると――
「とても美味しそうだね、戴きます」
穂高さんの言ったセリフから、箱の中にあるチョコへ、手を伸ばすんだと思っていたのに、迷うことなく俺のくちびるを塞いだ。
「ぅっ……!?」
まだ溶けきれていない口の中にあるチョコを、強引に舌を絡めて、さっと奪い取るなんて。
「ホントだ。マスカット味のチョコだね」
せっかくのチョコが……きっと中心部分の方が、マスカット味が濃かったに違いない! 丸い状態を噛まないで、ゆっくりと溶かしながら、まったりと味わっていたというのに。
「穂高さん、ひどいです! 美味しかったのに、変な横取りして」
きっと最初から狙っていたから、口移しをしなかったんだ。
「そんな風に、怒ってる顔も可愛いね。食べちゃいたいくらいに」
「話を逸らさないでください。それに、食べられたくないですからね」
怒っているぞを示すべく、ツンと顔を横に背けてやる。
「またまた……無理して。そんな可愛い千秋には、トロけるキスをプレゼントしてあげる」
ふてくされている俺の頬を人差し指で、わざわざつんつん突いてから、箱に入ってるチョコをひとつ、口に放り込んだ穂高さん。横目でその動きを見、何するんだろうと首を傾げた瞬間、ぐいっと肩を押されてソファの上へと、仰向けに押し倒されてしまった。
「わぁっ!?」
ビックリして動けないでいる俺の身体にさっさと跨り、息つく暇もなくキツくくちびるが重ねられる。ちょっとだけ溶けかけたチョコが、穂高さんの口から滑るように流れ込んできて、マスカットの風味を、しっかりと味わわせて貰えた。
ふたりの舌の熱でゆっくりと溶けていく、ホワイトチョコのクリーミーさを感じ、美味しさを更に感じてしまう。本当にトロけるキスだよ、穂高さん――
「んっ……」
チョコがなくなっても、マスカットの風味がしっかりと残っていて、穂高さんのキスがとても美味しくて。もっと味わいたくて首に両腕を絡めたら、肩をとんとん叩かれてしまった。
「っ……どうしたの?」
そのジェスチャーに腕の力を緩めてあげると、顔を少しだけ離した穂高さん。
「千秋、チョコまだ欲しいのかい?」
「あ、はい」
「チョコよりも甘いもの、君にあげたいんだけど」
俺の右手首をさっと掴み、引っ張りながら起こすとその手を一直線に、穂高さんの下半身に向かって――
「ちょっ、分ったからっ//// 穂高さんは、俺を食べたいんだね?」
「ん……」
それはそれは、嬉しそうに微笑む。掴まれた手を振り解いて、慌てて背中に隠した。
いつもは冷たい穂高さんの手が、すっごく熱かった。掴まれてた手首が、それを感じとってしまい否応なしに、体温が上がってしまう。
「千秋、ほら」
箱から再びチョコを摘むと、あげるよといった感じで目の前に掲げた。薄緑色のチョコを見つめると、どこか意地悪そうな笑みを浮かべ、さっと引き下げられてしまう。
「あ……」
「欲しければ、こっちにおいで、俺の愛しい人――」
ひょいっと口に放り込み、逃げるように寝室へと移動。これは俺を誘いこもうとする、穂高さんのワザなんだ――いちいちそれに乗っかるのもイヤだったので、箱に残ってるチョコを摘んで、迷うことなく食べてやる。
ほくほくと笑みを浮かべながら足どり軽く寝室に入ると、俺の顔を見て憮然とした表情を浮かべた。
「俺のを奪いに来ると思ったのに。箱の中にあるヤツ食べたな、千秋……」
「だって穂高さんが、イジワルするからだよ。大きいの食べたかったし」
ベッドに背を向けて座ると背中に下半身を、これでもかと押し付けてきた。
「大きいよ、ほら」
――それじゃなく……
「んもぅ。俺が食べたいのは、チョコなんだってば。穂高さんのバ――」
バカという前に身体を抱き寄せられ、ベッドに組み敷かれてしまう。目に映ったのは寝室の天井と、穂高さんの魅惑的な微笑み。
「チョコもひとつより、ふたつあった方が相乗効果で、美味しいかもね」
俺の文句も何のその。関係ないといった感じで、くちびるを合わせた。
「う、ん……っ!?」
俺の口の中に入っているよりも、若干小さいチョコが入り込んできたと思ったら、それを味わうように、舌がぬるりと絡められる。
と同時に足を絡めるように、ぎゅっと巻きつけてきて、腰にぎゅうぅっと下半身を当ててるオマケつき。
――とても甘くて、熱くて大きくて……お互い服を着ているのに、直に肌が触れ合ってるみたいに体温が相まって、どんどん上がっていくのが分かるよ――
そんな俺の身体を、優しく撫で擦ってきた。
いつもは冷たい手をしている穂高さんなのに、抱いてくれる時は決まって熱くて、その熱を肌で直に感じ、悦びを噛みしめてしまうんだ。そんな手の動きひとつひとつに、勝手に息が上がっていく。
自分の気持ちを上手く伝えられない分、大きな背中をぎゅっと抱きしめた――身体にかかる、穂高さんの体重が愛おしくて堪らない。
「ほ、だか……さ……」
トロけるようなキスの合間に、そっと名前を呼んでみる。好きだと言いたいのに、夢中になって俺にキスをするんだけど。
……他の人にも、こんなキスをしているのかな――こんなことをしている最中なのに、つい考えてしまうのは彼が、売れっ子ホストだから。キスだけじゃなく、その先だってしているのかもしれない。
「……愛してる、千秋」
大好きな低い声で耳元で囁いてくれたけど、この言葉だって俺だけじゃないのかもしれない。だけど――
「俺も愛してるよ、穂高さん」
愛おしそうに見つめる視線を受けながら、はっきりと告げてあげた。
この気持ちが俺の本心だから。穂高さんは違うかもしれないけど、曇りのないキレイな気持ちを今、ここで伝えたかったから……
俺だけを見つめてくれるこの人を、身体全部で愛してあげたい。
マスカットの香りにふたり揃って包まれながら、この日は甘いひとときを過ごした。トロけるような甘いキスを、この身に、たくさん受けながら――
【了】
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