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29.小さくて大きな喧嘩

「え、何これどういうこと?」 いきなり橘さんから呼び出しがきて、どうせ家でゴロゴロしていただけだったから暇つぶしにキールに来てみたけど。 来たの間違いだったわ。よく考えたら橘さんが意味なく俺を呼び出すわけがなかった。 「これっていわゆる“幻”?」 「間違いなく現実だな」 隣で呆れたように肩を竦める橘さん。外人っぽい見た目をしてるせいで、そういう仕草似合うよね。ほんと羨ましい。 「っていうか珍しいよね。何があったの」 パチパチと瞬きする俺の前には、椅子やテーブルを薙ぎ倒して喧嘩する赤い髪の鬼と青い髪の魔王がいる。 鬼さんは武闘派だけど、魔王さんは、………いやあの人もなんだかんだで武闘派だったわ。 「そもそも、なんで苓ちゃんがここにいんの?」 槇さんと苓ちゃんは、いわゆる“犬猿の仲”だ。お互いに顔を見るとイラつくとかで、出来る限り顔を合わせないようにしていたはずなのに。その苓ちゃんが、わざわざ槇さんの本拠地であるここにいる事が意外。 「あー、あれだ、前ここに苓のとこのアホ2人が来てただろ。それの件で槇が呼び出した」 「あー………」 思わず遠い目になっちゃったよ。なんだっけ、ヒロとマー? あいつらのせいで、苓ちゃん手ずからパフェを全部アーンで食べさせられたんだったわ。どこかで見かけたら手を出さない自信がない。 「それで、話し合い決裂してこうなったの?」 「いや…」 これまた珍しく口ごもる橘さん。なんだかとてつもない生ぬるい眼差しで槇さんと苓ちゃんを見つめている。 なにどうしたの。 「愛唯はさー、コーラにレモン入れるのと、サイダーにレモン入れるのと、どっちが美味いと思う?」 「はぁ?」 いきなりなに。それって槇さん達の殴り合いを目の前にしてする話?…おっと、危ないなー、なんか椅子が飛んできた。 あ、宙を舞ったテーブルを避けられなかった知らない子が沈んだ。 これ、本人達(無傷)よりも周りの子がボロボロになってないか? 「まぁな、聞いた俺もなんだそれって思ってるんだけどな」 …だろうね。聞かれた俺も意味わかんないもん。 「どっちも好きだけど、…それ何かの暗号?」 「いや、あいつらが殴り合いしてる理由」 「へ?」 キョトンとした俺悪くないよね!まさか天下の槇さんと苓ちゃんのケンカの理由が、コーラにレモンかサイダーにレモンか、なんてどうでもいい事だとは思わないよね!!ヒロとマーの話じゃなかったのかよ! 「あいつらさ、本当に相性悪くて…、些細な事でも喧嘩になるんだわ…」 「………で、なんで俺は呼ばれたの?」 「愛唯なら止められるかなーと思ってな」 なんか俺も遠い目になってきた。 「二人とも首切って逆さに吊るして血抜きすればいいんじゃない?」 どう考えても血の気が多すぎでしょ。多少抜いたところで変わりはしないだろうから、9割ぐらい抜いてもいいんじゃない? そんな事を胡乱な眼差しで呟いたら、橘さんの俺を見る目が若干引き気味になってた。 そこで引くくらいなら自分で止めればいいでしょうよ!俺関係ないよね!? 面倒くさいからさっさと帰ろう。そうしよう。 「愛唯、どこ行くんだよテメェは…」 「愛唯?何帰ろうとしてるの?」 くるりと踵を返した瞬間かけられた声。それは間違いなく鬼と魔王のもので…。 「埒があかねぇから、お前がジャッジしろ」 「え、なにが?なにを?」 「今から俺とコイツがお前にキスして、どっちが上手いか。それで決着をつけてやる」 「へぇ…、面白い事言うね、槇。喧嘩バカのお前が愛唯を腰砕けにできるとでも?」 「お前みたいな腹黒には愛唯をイかせる事なんてできねぇよ」 ……………。え、何このとばっちり…。っていうかなんで下ネタになるの?ねぇ、なんで? 隣にいる、俺を呼びだした張本人をジーッと凝視する。 呪われろ呪われろ呪われろ。 「……やめろ愛唯。その熱い眼差しは今のあいつらに燃料を追加するだけだ」 若干引きつり気味な橘さんの事なんざ知ったこっちゃない。 こんな衆人のなかで、槇さんと苓ちゃんにキスされまくって腰砕けになれと? …巻き込んでくれた橘さんに責任とってもらわないとねぇ…。 一歩踏み込み、手を伸ばして橘さんの後頭部をグッと掴んで引き寄せる。思わぬことだったみたいで、意外と大人しくされるがまま。 驚きに瞠る目を間近に見て、唇と唇を触れ合わせる。 途端にシーンと静まり返る周囲の人々。 獰猛な二人が動き出す前にさっさと離れた俺は、バックステップで後ろに下がってニヤリと笑みを浮かべて見せた。 「ご馳走様でした。ってことで、橘さんのキスが一番でした、サヨウナラ」 「…っ、おい待て愛唯!!」 焦る橘さんの声に被るように聞こえた、鬼と魔王の声。 「…橘…てめぇ…」 「へぇ…?橘、お前度胸あるよね?」 地の底から響くような恐ろしい低音のそれを最後に、俺は堂々とキールから逃走。 頑張れ橘さん。これに懲りたら俺の事を簡単に呼び出さないようにね。

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