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19.今宵、閨で
寝具の横で、康頼は折り目正しい姿勢で待っていた。
(まるで、輿入れの日のような心地だ)
緊張が全身を包んでいる。しかし、気負いはなかった。
為明の気持ちを知っている。寵愛を受けなければと、必死にならなくてもいい。体も愛欲を覚えたので、未知に怯える心はなかった。どちらかといえば、はやく彼に愛されたいと期待をしている。めくるめく快感を思い出した肌の上に、予感のさざ波が立った。菊座がキュッと締まって、己の反応に苦笑する。
(このようなことになろうとは)
想像もしていなかった。国元のために、という気持ちはなくなっている。色夫としての期待を裏切るつもりはないし、役目はきちんと把握している。国のためになりたいとも考えている。しかしそれ以上に、個人として為明に愛されたい。彼を愛していると、康頼は感情を確かめた。
灯明はつけていない。そんなものは必要ない。月光が室内を明るく照らしている。それ以上の明るさは必要ない。むしろ邪魔だと、康頼は早々に火を消していた。
灯明のわずかな油の匂いが邪魔だ。為明の香りの邪魔になる。自分の香りを味わってもらう邪魔になる。
今宵は余すところなく、為明を五感で味わいたかった。
まんじりともせずに座り続けて、どのくらい経っただろうか。障子が開いて、声が室内に差し込まれた。
「康頼?」
待ち焦がれていた声に心を震わせ、康頼は襖の裏からまろび出た。月光に照らされた為明の胸に飛び込んで、胸に顔を押しつける。ほんのりとした海の香りと、為明特有の匂いが混ざっている。深く吸い込み、吐き出して、康頼は顔を上げた。
「お待ちもうしておりました」
「明かりがついていないから、もう眠ってしまったのかと思った」
ゆるゆるとかぶりと振った康頼は、うっすらと唇に笑みを乗せる。
「為明殿のみを感じていたいと……不要なものと考えたゆえ、消しておりました」
「そうか」
はい、と答えた康頼の息が、為明の唇に拾われる。そっと軽く押しつぶされた唇が、甘くうずいた。もっと深く吸ってほしいと、康頼は舌を伸ばす。積極的な反応に目じりをゆるめて、為明は応えた。
「んっ、ふ……ふんっ、ん、ぅ」
口腔をなぶられて、康頼はうっとりと目を閉じた。鼻から漏れる息が飼い主に甘える犬の声に似ている。
「ふ、はぁ……ぁ、為明殿」
まさぐられた口内は官能に痺れて、康頼の腰はとろけた。為明の腕がなければ、くずおれてしまいそうだ。
「ずいぶんと素直な反応をする」
目をきらめかせた為明は、康頼を抱き上げて奥の部屋――閨へと移動し、夜具の上に座した。
「まるで、今夜が初夜のようだな」
「おなじことを、考えておりました」
ほう、と為明が片方の眉を持ち上げる。
「なにやら、いままでのことは準備期間というか、そのような気がいたしまする」
「なるほど。それならきっと、そうなんだろう。俺も似た気持ちだ。おまえが輿入れをしてきた日は、きっと結納の日だったんだな」
「ゆい、のう?」
「そうだ。結納を済ませて互いを知り、そして今宵、ようやく婚儀となった。つまり、今宵が俺たちの正式な――」
「為明殿」
言葉を遮り、康頼は甘い雰囲気を断ち切った。
「それがしで、よろしゅうござるか」
「なにがだ」
「ほんとうに、それがしのみを傍に置くと、その覚悟を定めておられるのか」
追い詰められた顔をする康頼に、為明は鼻の頭にシワを寄せた。
「なにが言いたい」
鋭い視線を返されて、ひるみかけた己を叱咤し、康頼は続ける。
「為明殿は、それがしがはじめて、畏怖もなにも持たなかった人間だともうされた。それゆえに、それがしを傍に置くとお決めになられたと」
「ああ、言った」
「つまり、それは……それがしでなくとも、ほかに……だれか……それがしよりも前に、その」
問うと心に決めたのに、いざとなっておじけづいた康頼の歯切れが悪くなる。言葉を呑んでしまった康頼は、情けないとうつむいて膝上の手を握った。肩をすぼめてちいさくなった康頼を見つめ、為明は苦笑する。
「おまえではなくても、俺はおなじ気持ちになったのではと言いたいんだな」
コクリと康頼が頭を動かす。
「つまり、俺の気持ちが信用ならないと」
「そうではござらぬ! ただ、それがしで本当によいのかと」
顔を上げた康頼は、すぐに目をそらして自信なく下唇を噛んだ。
「俺が嫌いか」
「恋しゅうござる」
「なら、俺に愛されているんだから、それでいいだろう」
「そうは思うておりまする。色夫としての任務に赴いた先で、このような気持ちになり、生涯を共にしたいと願う相手と出会えるなど。その相手に想われるなど、僥倖であるとしかもうせませぬ。なれど、だからこそ」
「不安か」
「まこと、情けなく」
「いいや」
為明の手が康頼の肩に乗る。引き寄せられて、康頼は為明の胸に落ちた。顎を持ち上げられて視線を掴まれた康頼は、為明の目に安寧の夜空に似た輝きを見つけた。
「そういうことも、あり得たかもしれない」
ズキリと康頼の胸が痛む。
「それがしよりも先に誰かが、そうしておれば想いをかけていたと」
「ああ」
ゆがんだ康頼の顔に、為明は唇を押しつける。
「そんな顔をするな。そうなっていないんだから、その可能性はもうない」
「なれど」
「自分に自信がないのか」
「わかりませぬ。ただ、それで為明殿が後悔をせぬかと」
「それほど、俺を好いてくれているのだな。――臆病になってしまうほど、俺を大切に考えてくれているのか」
あたたかな為明の呼気が、康頼の口内に吹き込んだ。
「安心しろ、と口で言うより、体感させるほうがはやいな」
「んっ……ぅう」
舌を差し込まれて、康頼は口を開いた。話はまだ終わっていない。しかし言葉でいくら説明をされても、納得ができない気がする。
(為明殿の言うとおり、体感すれば)
不安はぬぐわれるのか。わからないが、身をゆだねるほかにない康頼は、為明の舌に肌を震わせて淫靡な刺激に熱を高めた。
「んっ、ふ……う、んう」
口の中で生まれた快楽が、喉に落ちて腹の底に溜まり、そこから全身へと広がっていく。胸の先がうずいて、股間が頭を持ち上げる。為明は口を吸いながら康頼の帯を解き、自分の帯も外して襦袢を剥いだ。下帯だけの姿となって横たわり、上気した康頼の頬に唇を移動させる。
「あっ」
顔をすべった為明の唇に耳朶を食まれて、康頼はせつない悲鳴を上げた。はかない嬌声に誘われて、為明は舌で康頼の耳朶をなぞり、薄い胸に手を乗せる。なめらかな肌を撫で、指にかかった突起をつまんで転がすと、康頼が甘く啼いた。
「は、ぁ、あ……あっ、ん」
触れられると、うずきが強くなった。もっともっとと肌が叫ぶ。康頼は刺激に素直な声を上げ、為明を誘った。為明の唇が首に触れ、肩に落ち、胸乳に到達する。舌先で乳頭をくすぐられ、康頼は官能の吐息を漏らした。たっぷりと愛されて濡れた色づきは熟れてこごり、存在を主張する。それにほほえんだ為明は、愛されるのを待っている片側に取りかかった。
「は、はぁう、ううんっ、ぁ、ああ……あ」
左右の胸先を愛撫され、康頼はけなげに快楽を受け止めて身をくねらせた。ふたりの下帯が膨らんで、先端が擦れる。
「は、あ……っ」
「康頼」
為明は腰を落として、下帯を重ねた。互いの欲望がどれほど興奮しているのかが、布越しでもはっきりとわかる。
「為明殿」
すぐにでもそれで貫かれたいと、康頼は濡れた目で為明を呼んだ。
「そんな顔をされると、こらえられなくなるな」
「なにゆえ、こらえねばなりませぬ」
「今宵は、ほんとうの初夜だからな。大切に、体の隅々まで丁寧に愛そうと思っているんだ」
いいえと康頼は首を振った。
「それがしも、為明殿にそうしたいと思うておりまする。なれど、それよりも……その、為明殿をはよう受け入れたいと」
真っ赤になった康頼を、為明は「そうか」と繰り返して抱きしめた。
「俺も、すぐにでもおまえが欲しい。おまえの奥に俺を突き立て、想いのすべてを注ぎたい」
「してくだされ、情動のままに。どのようなことでも、ぞんぶんに」
「壊してしまうかもしれないぞ」
「それほどヤワではござりませぬ」
為明の髪を撫でようと伸ばした康頼の手が取られ、甲に口づけられた。
「なら、遠慮なく」
「遠慮など、もとより不要のもの」
笑みを重ねると、為明は下帯を脱いだ。そびえる短槍が月光に照らされて、康頼は息を呑む。為明の手が康頼の下帯にかかり、次になにをするのか覚えた康頼は膝を折って脚を開き、腰を浮かせた。
行動で、求めているのだと知らせたい。
羞恥よりも恋しい心が勝った。為明は康頼の膝に唇を当てて下帯を取り、脚を肩にかけると丁子油の入った竹筒を取り出して、尻に垂らした。
ヒヤリとした感触に、康頼の尻に力が入る。為明の指が谷に触れ、丁子油を菊座に塗りこめてヒダをあやした。
「あ、はぁ……っ、あ、んっ」
入り口がひくついて、為明を誘う。康頼は腰をさらに浮かせて、欲しいと示した。
「積極的だな」
「んっ」
指が沈む。反射的に息をつめた康頼を、内壁の愛撫で為明はほぐした。
「は、ぁ……ああっ、あ、んっ、ふぁ、あ、ああ」
どこをどうすれば康頼がとろけるのかを、為明はすでに覚えていた。貫きたがる己の短槍をなだめながら、為明は康頼の内壁を丁寧にまさぐり広げる。愛撫を受けた内壁は媚肉に代わり、為明の指に絡んだ。その動きに、為明の意識が甘く痺れる。
「ああ……っ、あ、為明殿……っ、んっ、あ」
「康頼」
こらえきれなくなった為明の切羽詰まった声に、康頼は昂った。為明の荒い息が肌にかかる。自分を求めているのだと、うれしくなった康頼は脚で為明の体を引き寄せた。
「はやく……為明殿、ああ、もう」
「情熱的だな」
指が抜かれて、為明の情欲が菊座に触れる。それではやく貫かれたいと、康頼は腕を伸ばして為明の肩を掴んだ。
「為明殿」
「康頼」
グンッと深く突き上げられて、康頼はのけぞった。大きく口を開いてあえぐ康頼を、息つく間もなく追い詰める為明に余裕はなかった。
「ああ、康頼……っ、康頼」
獣の瞳で雄々しく攻めてくる為明に、康頼は手足を絡めてしがみついた。声を限りに叫びながら、全身で彼を受け止め愛しているとうったえる。
吹きすさぶ嵐に似た為明の情熱に追いすがり、康頼も勇躍して彼の獣欲をあおった。
「はんっ、はっ、はぁあ、あっ、あ……っ、為明殿、あ、為明殿ぉ」
嬌声と名前のほかは、どんな音も出てこなかった。汗が吹き出し、互いの匂いが強くなる。それに顔を擦りつけた康頼は、意識のすべてで為明におぼれた。
「は、あぅうんっ、あっ、あっ、あ、んぅうっ、もう、ぁ、あ」
「俺も、限界だ」
苦しげな為明のうめきは、よろこびにあふれていた。首を伸ばして唇を求めた康頼に、為明が応える。そして――。
「くっ、う」
「んっ、んふぅううっ」
唇を重ねたまま、絶頂を迎えた。余韻を擦りつけながら、口内でこだまする極まりの声を堪能する。激しい昂りが、ゆったりと引いていくのにあわせて、ふたりの唇は離れた。
「は、ぁ」
気だるい呼気は、情交の名残をふんだんに含んでいた。視線を絡め、ふたたび唇を重ねる。毛づくろいに似た口吸いを繰り返している間に、ふたりの息は整った。
「康頼」
「為明殿」
潤んだ康頼の瞳に、充足に輝く為明の視線が映る。
「おまえだ」
「え」
「もしもなんてことはない。俺が出会ったのは、おまえだ」
「為明殿?」
「さきほどの答えだ。おまえの前に、誰かがなんて過去はない。おまえがそうだったんだ。だから、仮定の過去なんて考えるな。俺が愛しているのは康頼だ。俺の居場所は、康頼だ。俺を俺として、まっすぐに見た康頼なんだ。もしも、なんてことは言うな。それを言えば、俺が密航に成功をしていたら、という考えも出てくる。もっと言えば、我が母が公使と結ばれなければ、というところにまで行きつく。俺が生まれていなかった可能性を、考えることにも繋がる」
「そんな。それは、また別の話ではござらぬか」
「別じゃない。そういうことなんだ、おまえの不安は。それと同種のものなんだよ。我が母が公使と結ばれ、俺が生まれた。俺が赤毛でなかったら、異国人の特徴を持たずに生まれていれば、こんなふうには育たなかった。俺は異国語を覚えることもしなかったろう。国主になったかどうかもわからない。そうなれば、おまえと会うこともなかった。だが、俺とおまえは出会った。そうだな」
目の奥をのぞかれて、康頼はしっかりとうなずいた。
「そういうことなんだよ、康頼。それとおなじことなんだ。もしも、なんてことを考えて不安になるな。いま、ここに、こうして、俺とおまえは出会って、気持ちを重ねて、愛しあった。それだけが、すべてだ」
一言一句、しっかりと発音する為明を康頼は見つめる。彼の言葉がひとつずつ、胸に刻まれる。為明は身を起こし、康頼を膝に乗せた。
愛しさを指先に込めて、為明は康頼の頬を撫でる。
「おまえは俺に惹かれた。こんなにうれしいことがあるか。それもまた、おなじことだ。もしも心が俺に向かなければ、これほどのよろこびは味わえなかった。それとおなじなんだよ、康頼」
繰り返し繰り返し、為明は康頼の不安を砕くために言葉を重ねる。
「体感しただろう? 俺がどれほど、おまえを求めているのかを」
ふわりと頬を赤くして、康頼はうなずいた。
「それが、すべてだ」
「それがしが、どれほど為明殿を求めておるのかも、伝わったのでござろうか」
「伝わった。だから俺は、あれほど激しくおまえを求めたんだ。受け止められているとわかったから、思い切り俺をおまえに打ちつけた。自分本位なくらいにな」
「そんな。そのようなことはござらぬ。それがしとて、その、為明殿を欲しいと望み……なんというか」
「うん。そのようにふるまってくれたな」
情欲の気配などみじんもない、さわやかな為明の笑みがまぶしくて、康頼は為明の肩に顔を伏せた。
「陳腐な言葉だが、いままでの人生のどれかひとつが欠けても、こうはなれなかった」
「運命……と、もうされたいのでござろうか」
「いいや」
「では、なんと」
ニヤリとして、為明は康頼の顔を起こした。
「奇跡だ」
「そのように大それたものでは……」
「いいや。そのくらい、すごいことなんだ。だから、不安になる必要なんてどこにもない。俺たちが出会い、想いを重ねたことは奇跡なんだからな」
「為明殿」
笑み崩れた康頼は、為明にしがみついた。背中をやさしく叩かれて、涙がこぼれる。
「康頼」
「はい」
「今度は、じっくりとおまえを愛したい。どれほどおまえが大切か、体の隅々にまで刻みたいんだ」
「それがしも、為明殿を愛しとうござる。未熟な身なれど、できうること、為明殿の望むことに全力で応える所存」
「それは、頼もしいな」
「それがし、為明殿の居場所となるべく精進いたしまする」
「なら俺は、おまえに愛想をつかされないようにしないとな」
「愛想をつかすなど、そのような。為明殿はそのままでようござる」
「なら、おまえもそのままでいい」
「なれど」
「反論は、受けつけない。俺は、俺を俺として受け止めてくれた康頼に惹かれているんだ。だからおまえも、そのままで俺に愛されてくれ」
甘いささやきに、康頼はうなずいた。気持ちが大きくふくらみすぎて、声が出せない。
けれどきっと、喉のつかえはすぐに取れる。
愛されるよろこびが体の奥から湧き上がり、喉を通って、空へと高く昇っていくから。
―終―
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