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18.なにげない甘やかし

 はじめて目にする洋館に、康頼はたじろいだ。見たこともない造りの建物の前で止まってしまった康頼の背に、義朝の手が添えられる。 「ほら、康頼」  うながされるままに動けば、案内のために立っていた異国の男が扉を開けた。顔なじみらしい義朝がニコリとすれば、男も笑みを返して康頼に視線を置く。緊張気味に笑みを返して建物内に踏み込んだ康頼は、またも足を止めてしまった。 「なんという」  六角形の玄関広間に、康頼は目を見張った。重厚な柱には彫刻がなされている。面はすべて扉となっており、そのうちのひとつが開かれていた。 「奇妙な建物でござるなぁ」 「向こうの国からすれば、この国の建物が不思議に見えるんだよ。それに、ここの造りは向こうでも珍しいらしい」  説明に目を向けた康頼に、義朝は笑いかけた。 「こういう作りにしておけば、目的の部屋に行きやすいって考えだそうだよ」  なるほどとうなずいてはみたものの、康頼はよくわかっていなかった。 「康頼、義朝」  開いている扉から、ひょこりとマルチンが顔を出して手を上げる。その後ろに為明の姿があって、康頼は緊張をほぐした。  扉をくぐると、大きな机とイスが並んでいた。すらりと背の高い、髭をたくわえた茶髪に碧眼の男が、人なつこい顔をして右手を差し出す。  なにかをしゃべっているのだが、異国語なので康頼はさっぱりわからない。 「はじめまして、よろしくと言っています。彼が、いまの商館長です。ドウフです」  マルチンの通訳に、康頼は右手を出しながら「康頼ともうす」と言った。マルチンがそれを通訳する。ドウフがまた口を動かして、マルチンが説明した。 「とてもかわいらしい。為明はすばらしい伴侶に恵まれたのですね、と言っています」  ふわあっと康頼の満面に朱が上る。 (為明殿は、この御仁にそれがしを伴侶と伝えておられたのか)  硬く手を握られながら、横目で為明を見た康頼はうれしさを噛みしめた。昨夜の告白が思い出されて、なにやら照れくさい。  席に案内されて着席すると、紅茶とともに白い粉がかかった、茶色くまるい菓子が出された。 「オリボーレンといいます。お祝いの時に食べるものですよ。小麦粉と卵と、ほかにもいろいろと混ぜて、油で揚げます。かかっているのは砂糖で、おいしいですよ」  マルチンの説明の横で、ドウフがしきりに身振りで食べろと言っている。康頼はふたりの顔を見、義朝を見、為明の表情を確認してから手を伸ばした。 (砂糖がかかっておるのであれば、甘いもの)  未知の食べ物にたじろぎつつも、えいやとかぶりつく。表面はわずかに硬いが、さっくりと歯で簡単に割れた。すると奥からふんわりとやわらかな生地が現れ、舌の上に甘味が広がる。 「っ!」 「気に入ったみたいだな」  笑みを含んだ為明の声に、場の空気がなごやかになる。誰もが自分を気にしてくれているのだと、康頼はむずがゆさを覚えた。 「不思議な味がいたしまする」 「うまいか」 「とても、おいしゅうござる」  マルチンが通訳し、ドウフが皿をズイッと康頼の前に押した。目を細めて、やさしい声でなにごとか語りかけられた康頼は、あわてて手を振った。 「それがしばかり、食べるわけにはまいりませぬ」 「言葉がわかるのか」  為明が眉を持ち上げ、いいえと康頼はまた手を振った。 「なんとなく、雰囲気と身振りでそのような意味であるかと」  それをマルチンが通訳し、ドウフが目を輝かせる。いい人なのだなと、康頼はわずかに残っていた緊張を解いた。  受け入れられている。  それを肌で感じた康頼は、少年時代の為明に思いをはせた。混血児として生まれ、異端のものと視線で言われていた子どもが、ここに通い詰めて言葉を覚えようと考えた理由がわかる。こんなふうに、当時の商館の人々は少年の為明を迎え入れたのだろう。おおくの人間に囲まれていながら、孤独を味わっていた為明にとって、心やすらげる場所だったに違いない。 (それがしは、為明殿と義朝殿がむつまじく対話しておる中にあっただけで、言いようのないさみしさを感じた。それと比べるべくもないが、あのような心地を為明殿はずっと味わい続けておられたのだ)  愛おしさに心を絞られた康頼を、為明が見つめている。あのくつろいだ表情を守るのだと、康頼は決意を固めた。 (それが、それがしにできる唯一のこと)  そして、為明に求められていることだ。  具体的にどうすればいいのか、さっぱり考えつかないが、これからすこしずつ見つけていけばいい。覚えたての愛しさは、声を出すより雄弁に視線や態度に現れる。想いを言葉に変えられるほど器用ではないのだから、情動を大切に傍にいよう。 (求めるのではなく、為明殿のためになると思えることを……為明殿の望むことを、いたしていこう)  愛されたいとは思う。それよりも、愛したいと強く願っている。その感覚の変化を、康頼は幸福と名づけた。  ドウフがしゃべり、マルチンが通訳してからようやく康頼は理解ができる。為明は通訳などなくても会話ができる。義朝も通訳を待つまでもなく、だいたいのことは把握できているらしい。そんな中で、為明は自分がしゃべったことを康頼にさりげなく示し、マルチンも会話の流れの一部として通訳をしてくれる。  言葉を発していなくても、会話の輪のなかに入っている実感がある。気を使われているのではなく、自然と仲間に入れられている。それがとてつもなくうれしくて、義朝に嫉妬をしていた昨日までの自分に教えたくなる。 (それがしは、こんなにも受け入れられておったのだ)  輿入れの日の、気負っていた自分に伝えたい。そんなに緊張をしなくても、自然体でいればいいのだと。行く先で、のびのびと過ごせるぞと。  オリボーレンがなくなると、ドウフは商館の庭を案内してくれた。ちいさな植物園が作られており、オランダ苺をはじめとした、向こうの植物がいくつか栽培されているのだと教えられる。 「とてもおいしいです。実ったら食べに来てください」  マルチンの通訳にうなずいて、植物園を通り抜けると柵で囲まれた場所に出た。 「ここにヤギを住まわせます。次の船でヤギが届いて、その肉や乳でいろいろな料理ができます」 「ヤギの世話や乳しぼりなんかを、康頼も体験してみるといい。おもしろいぞ」  傍に立った為明に言われて、はいと康頼は昨日マルチンに見せてもらったヤギの絵を思い浮かべた。たのしそうな為明の姿に、康頼の心が福々とふくらむ。そんな康頼を見て、為明の心もあたたかくなった。なごやかなふたりの様子を、義朝は目を細めてながめた。義朝の傍にマルチンが移動して、小声で言う。 「さみしいですか」 「まさか。うれしいんだよ。為明とあんなふうに過ごせる相手が見つかって。私も、為明を異端の目で見た人間だからね」 「いまは、そうではないでしょう」  義朝の指にマルチンの指が絡まる。義朝は指を握った。 「それでも、初対面から偏見を持たずにいた人間にはかなわないさ」  康頼に寄り添う為明の全身から、喜色がにじみ出ている。 「私を救ってくれた人が、救われた。その相手を大切にすることが、これからの私の仕事だな」 「嫉妬しますね」 「それとはまた、別の気持ちだよ」  背後でそんな会話がなされているとはつゆ知らず、康頼と為明はおだやかな時間を味わっていた。ドウフの案内で商館の外周をぐるりと巡り終わると、今度は港へ連れていかれた。  船室を案内しようと誘われて、舷梯を渡る。康頼のすこし後ろに立った為明が、康頼の左手を自分の左手に乗せ、右手で腰を支える。なにげなく配慮をする為明と、自然にそれを受け入れている康頼の様子に、ドウフは好ましく頬を持ち上げた。  甲板に立ったドウフが、航海の様子を説明しながら船内を案内する。康頼は為明の、義朝はマルチンの通訳を聞きながら後に続き、船長室や操舵室、調理場や船員たちの過ごす部屋、船倉までをも見せられて、康頼だけでなく義朝も目を輝かせて珍しがった。 「まこと、城が海に浮かんでおるようでござるなぁ」  甲板に戻った康頼が感慨を込めてつぶやけば、そうだろうと為明が同意する。 「慣れていないと迷いそうだと、はじめて異国船を見たときに思った」 「あれだけ広い倉があるゆえ、船数がすくなくとも交易品が多く運べるのでござるな」 「出港するときは、あそこにこちらの産物がたくさん詰まれる。それをいま、商人たちが買い集めているところなんだ。品がそろえば、船は出る。風のいい日を選んでな」  なつかしい目をした為明に導かれて、康頼は船のへりに立った。街並みや遠くの山影が一望できる。ドウフや義朝、マルチンは別の場所に移動し、ふたりを見守っていた。 「子どものころ、密航を企てたことがあるんだ」 「なんと」  目をまるくした康頼に、為明がいたずらっぽく片目を閉じる。 「異端の目を向けられるのがしんどくなって、異国に行けばいいんじゃないかと考えたんだ。向こうだと、赤毛は珍しくないからな」  この国から逃げ出したくなるほどの孤独と苦痛を抱えていたのだと、康頼はあらためて為明の苦悩を感じた。身を寄せて、繋いだままの手を強く握る。声に出さずに瞳で呼びかけると、為明は「大丈夫だ」と言うように頬を持ち上げた。 「船倉にひそんで、出航を待っていたんだ。持てる限りの保存食を抱えて。あれほど広い場所なんだ。子どもがひとり荷物の影に隠れていたって、見つかるはずはない。もし見つかったとしても、船が海に出ていたなら引き返すこともできないし、計画は完璧だと思っていた。だが、あっさりと見つかってしまってな」  眠っているところを巡回していた船員に見つけられ、商館に運ばれたのだと為明は恥ずかしそうに言った。 「目が覚めたら寝台の上だった。どうしてあんなところにいたんだと、叱られると思った。だけど、だれも俺を責めなかった。腹が減っているだろうと、あたたかな汁物をくれてな。俺はわけがわからないままに、それを食べた。その後で説教をされると考えながら」  叱られて当然だと、康頼は話の続きを待った。どんな事情であれ、国主の血を引く人間が国外逃亡を企てるなど、とんでもない。よほどの罰を受けたのだろうと予想していると、意外な続きが語られた。 「いくら警戒をしても、誰も俺をとがめなかった。いつもどおりにふるまわれて、訳が分からず館に戻れば、商館に宿泊していたことになっていた。密航を企てたのは夢だったのかと思った。だが、買い物をしている。証拠の品はある。ならばどうしてと考えた。考えているうちに朝になって、答えが知りたくて商館に走った。疑問をぶつけるために」  ほほえむ為明の目は康頼に向いているのに、視線は遠い記憶を見ていた。おなじものを見たくて、康頼は為明の胸元を軽く掴んだ。 「逃げ出しても、そこに俺の居場所はないと言われたよ」  さみしげに笑った為明に抱きしめられて、康頼は目を閉じた。海の香りの奥に、為明の体温と匂いが隠れている。 「ここにもないと伝えたら、とてもかなしい顔で諭された。いまはわからなくても、かならず見つかる。それが見えていないだけで、居るべき場所はここなんだと。――わけがわからなかった」  為明の腕に力がこもる。 「国主になって、こういうことだったのかと思った。だが、どこかしっくりこなかった。立場としての居場所はできた。けれどそれは、俺という存在の居場所じゃなかった」  全身でくるむように抱きしめられて、康頼は顔を上げた。為明の顔は肩に乗っているので、表情が見えない。 「密航が成功しなくてよかった」  心の底から絞り出された言葉に、康頼の胸が熱くなる。 「あの日……おまえが輿入れをしてきた日に、そう思った。おまえのまなざしを受けて、心の底からそう感じた。俺の居場所が来てくれたと」  喉を詰まらせた為明の背に、康頼は腕をまわした。孤独に震える少年がここにいる。それをなぐさめたくて、抱きしめる。 「康頼。おまえは、俺の居場所だ。はじめて俺を、異端としては見なかった。俺を俺として認識してくれた」  ありがとうと震える声に、康頼の目頭が濡れた。  運命なんて言葉は使いたくない。この出会いは必然だと思いたい。  康頼の心には、一抹の不安があった。 (もしも、それがしよりも先にそういう御仁が現れていたら)  自分でなくてもよかったのではないかと、怖くなる。  潮風に吹かれて抱きあっていると、咳払いが聞こえた。離れたふたりを、すまなそうにドウフが見ている。 「そろそろ、仕事に戻る時間だ」  息を抜いた為明は、さみしい少年から堂々とした国主の顔に戻っていた。余韻を引きずっている康頼は、ぼんやりとした顔で船を降りる。義朝とマルチンは、すでに下船していた。 「気をつけて街を散策するんだぞ」 「私がついているから、大丈夫ですよ」  繋いだ手を放したくないと惜しむ康頼の耳に、為明が顔を寄せる。 「今宵、閨で」  次の約束を残して離れた為明に、康頼はうなずいた。 (今宵、閨で)  気持ちを通じあわせていながら、不安をぬぐえない自分を思うさま抱いてほしいと、康頼はドウフやマルチンと共に商館へ戻る為明の背中に願った。

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