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知らない世界

白い部屋の窓は小さいけれどユウの低い背丈には丁度いい つま先立ちにならなくても外を眺めていられるから 四角い景色は毎日毎日、同じようでほんの少しだけ違うのを知っている 空の色も白く浮かぶ雲も、そこから見える木々たちも、ほとんど変わらないのだけれど、それだけを見続けてき自分には分かる...ユウにしかわからない変化があるのだ ユウは抱いたぬいぐるみにそれを見せてあげたかった けれど今日は雨が降っていて、見せたいものは暗く曇って見えはしない ”雨”は知っているけれどそれがどういうものかは知らない ユウは窓に流れる雫を指でなぞってもの珍しそうに眺めている 雨に降られたことなどないユウは眺めながら想像する あれは熱いものなのか冷たいものなのか苦いものなのか甘いものなのか、触ってもいいのかだめなのか...なんの経験もない自分が想像できるものはこれくらい それでも一生懸命考えてそして一人で納得する あれはきっと熱くて、苦くて、触ったらだめなものなんだ....だから自分は知らなくて窓の中にいるんだ 教えてもらえないことは知らなくてもいいこと 知ってはいけないこと 覚えてはいけないこと ....好きになってはいけないこと ギュッと握ってぬいぐるみを窓に押し付けているとユウの手に椎名がそっと手を重ねてくる 「ユウくん...そんなに押し付けたら、この子が痛いって泣いちゃうよ?」 窓に押し付けられたぬいぐるみは首が変に曲がって形がいびつになり、強く握った指の形に体はへこんでしまっている 思わず手を離してしまうと窓の高さからコロンと床に落ちてしまった 「あぁ...痛い..痛いよユウくん」 椎名は足元に転がったぬいぐるみを拾って顔の前にちらつかせた 「ユウくん..撫でて?ヨシヨシってしてよ?」 ぬいぐるみの後ろで椎名は顔を隠すようにして声色をかえる 片方の手でユウの手を掴んでぬいぐるみの頭の上に乗せて、それを促した 添えられた椎名の手はユウの意思に関係なくぬいぐるみの頭を何度も撫でるように左右に動く 「痛くない、痛くない」 そういって何度か往復するうちにへこんでいたぬいぐるみはだんだんと最初の形に戻ってきた 「ほら、ユウくんが撫でてくれたから痛いの治っちゃった!」 そういって椎名は添えた手を今度はユウの頭に乗せて同じように撫でていく 「ユウくんは優しいね、いい子だね、」 なでられたユウは顔をあげて戸惑った表情を見せる 椎名は優しく笑って「好きなものなら痛くしちゃダメだよ」とぬいぐるみをユウに抱かせた 好きなものは痛くしちゃダメ..... その言葉がユウの心に重く落ちてくる ゆっくりゆっくり心の底に沈んだ時、胸が苦しくて息が止まりそうになった 目の前が真っ黒に染まっていく 「ユウくん...?どうしたの...?」 ユウの変化に気付いて椎名は顔を覗き込んだ ユウと椎名の目が合った時、その顔は途端にぐしゃぐしゃと歪みだした 「....っく..」 息を吸うのと同時にユウはひきつけるように泣きだした ちょうどその窓ガラスを流れる雨のように ボタボタと流れるその雫は白く滑らかな肌を伝い床に幾粒もこぼれ落ちた

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