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知らない世界
ドアノブが回されるよりも、鍵が刺さる音よりも早く、扉の向こうの微かな足音にユウはピクリと反応した
「扉が開くまでに彼を出迎えること」
彼に教え込まれたことの一つ
少しでも遅れたら怒られて、殴られて、引きずられる
散々、体で覚えさせられてきたものはいつしか扉が開く前の小さな音や気配も聞こえるようなった
ゆっくり扉が開くと、彼は少年の姿を見つけて目を細める
甘い声でユウの名を呼び、抱きつくユウにキスをする
ユウはいつも一人だった
一人ぼっちだったから彼に早く会いたくて、会いたくて会いたくて、いつでも一番に見つけて欲しくて毎日扉の前に張り付くように彼の帰りを待っていた
「ただいま、ユウ」
彼は大きなビニール袋を両手に抱えて帰ってきた
ユウはその腕に巻き付くように体を摺り寄せて彼に甘えている
もしもにユウが話すことができたなら、彼が帰って来るなり飛びついて”おかえりなさい”と大きな声でいうのだろう
”あのね” ”今日ね...”と矢継ぎ早に彼に話しかけて無邪気に笑う
もしも彼がまともな人間ならば”分かった分った...ちょっと待ってね”なんて言っ笑ったり時には上手くあしらうようにしたりしてユウの話に耳を傾けてあげるのだろう
もしもなんて無意味なこと
ユウは話せないし彼はまともではないのだから
「おかえり」
椎名はユウの後ろから声をかけ、彼の重そうなビニール袋を1つ受け取って部屋の中まで抱えた
「今日のご飯、先生好きなの選んでね」
今日は一段と多く品物が入っている
お弁当、オニギリ、サンドイッチ、デザート類に、お菓子の箱まであって、それも様々な種類が大量に買い込んであった
「どうしたの?この量......」
「今日は特別」
彼はいつも自分と椎名の分の食事は何かしら買ってきて、ユウだけは自ら作って与えている
ならこの量はなんなんだろう
すると彼は手招きしてユウをそばまで呼びつけ抱え上げてイスに座らせた
ユウの足は床に届かなくてプラプラと揺れる
「今日はユウにいーっぱい買ってきたんだ」
袋の中身を全部机の上に投げ出して広げてみせる
「好きなの選んで?」
ユウは困ったように彼を見上げて首をかしげた
「いいんだよ?今日は、ユウが好きなので」
そういってユウの前にはたくさんの食べ物が重なるように並べられた
見たことのない食べたことなんてもちろんないものが目の前に溢れていた
それが食べるものなのかもユウには分からなかった
ユウの目は置かれたものと彼の顔を何度も往復して最後は自分の手の甲に落ち着いた
小さな手は服の裾をギュッと握っていた
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