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大事な名前
「んう...」
「あはは、そんなに焦らないの、もうそろそろ帰ってくるよ?みつるくん」
一日中、ミツルの名前を練習し続けたけれどこの日はとうとう言えることはなかった
それでも一日で椎名を””せんせい”と認識して呼ぶ事が出来たことは驚くべき成果だった
「もうそろそろじゃないかなぁ...」
椎名がチラリと時計に目をやると、もうすぐ夜の7時になるところだった
「ふっ...ひっく」
ところが座り込んでいたユウが急にポロポロと泣き出してしまった
「わ...どうしたの?ユウくん?!」
片手で涙をぬぐいながら椎名の手をギュウっとにぎった
小さい身体をもっと小さくさせて泣きわめくわけでもなくただ静かに涙を流している
椎名の胸がきゅっと苦しくなった
ユウが哀れに思えて仕方なかったから
「そっか...帰ってくるまでに言えるようになりたかったんだね?」
ユウを抱き寄せて震える肩を摩り、落ち着けるように頭を撫でてあげる
「大丈夫、大丈夫、ゆっくりでいいんだよ?絶対できるようになるからね」
小さな背中をさすりながら椎名は時計をじっと見つめていた
ーー あぁ、本当はこの役目は僕じゃないんだろうな
みつるくん、はやく帰っておいでよ
きみの大事なユウくんが君を想って泣いてるのに
今すぐ抱きしめてあげるのは君の役目だよ
それから何分かして腕の中で泣いていたユウがピクリと反応した
「あ!帰ってきた?」
椎名が言い終えるよりはやく腕をするりと抜けて玄関まで駆けていく
さっきまで泣いていたのが嘘のように満面の笑みで扉が開くのを待っている
そしてガチャリと鍵の差し込む音がして、ゆっくり扉があいた
「ただいま」
今日もミツルはいつもと同じ笑顔で帰宅した
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