6 / 6

第六夜

ーーーそれから、どれだけの時間が過ぎたのだろう。 月明かりが差し込む温室に、ひとつの影がゆっくりと近づき、床に転がる安達の前で止まった。 「あっ……ァアッ、ーーーーーッ!!」 冷房などない温室で、汗だくになった安達が悶えながら己の屹立から何度目か分からない白濁を吹き出す。 次いで、ずずずすぅ……と物凄い勢いで吸引されている音が温室に響いた。 安達の腰は痙攣し、勝手にガクガク震えている。 一晩の間に幾度も搾り取られせいで量は限りなく少ないようだが、それでもまだ腹を空かせた『彼ら』は容赦する気はないらしい。 安達の屹立には無数の蝶が、毒々しい紫の鱗粉を撒き散らしながら群がっていた。 空中にまで飛散した鱗粉を吸わないよう口元をハンカチで覆った訪問者は、ふふふと小さく微笑した。 「やはり、貴方にして正解でしたね。この子たちは貪欲で、普通の男じゃすぐ使い物にな らなくなってしまうんです。その点貴方なら、たくさん蜜を溜め込んでいそうだと睨んだ私の感は、どうやら正しかったようですね」 ふふふ……と。怪しげに神尾(かみお) 紫紺(しこん)は密やかに嗤った。 「この子達、本当は夜光蝶じゃないんですよ?だけど、この辺じゃ子供でも知っている有名な蝶です。まぁ例え知らなくても、少し調べれば、この子達の正体はすぐにわかったんですけどね。貴方のファンの中にも、貴方が撮ったネットの写真をみて気がついた人がいたみたいでしたのに。せっかくの忠告も、本人に伝わらなければ意味がないですね……?」 ーーー安達先生、その蝶は『死淫蝶』です!黄泉への使者とも呼ばれている危険な蝶です!!絶対に近づいちゃダメです。 そうコメントを書き残してくれファンの声はもう二度と安達に届くことはないだろう。 この温室の近くにある屋敷の地下研究室で、禁忌とされる『蝶の毒』について研究している紫紺はそっとしゃがみこみ、汗で張り付いた安達の前髪を払ってやった。喘鳴し、見開かれた安達の目は、もはや焦点を結んではいなかった。 「幻覚作用のある鱗粉で人を惑わせ、対象者が望む理想の姿に変化し、彼らの大好物である精を搾り取る。それは気に入った相手が死ぬまで延々と続くんです。1人の相手を死ぬまで愛するなんて、とても一途でしょう?」 ふふふ、ふふふと、紫紺は嗤う。 「美しいものには毒がある。人であれ蝶であれ、むやみやたらに手を伸ばしては危険ですよーーー?」 ひとり残された温室の床に転がりながら、安達は床を叩く足音を頼りに、わずかに繋ぎ止めていた意識を向けた。 「…ん……ぁあ、紫、紺……くんっ」 去りゆく白衣の男ーー紫紺に向かって、安達は脱色した腕に力を込め、手を伸ばす。 (好きです……好きなんです、君のことが、好きです……。少しでいい、嘘でも構わないから………死ぬ前に一度だけ…僕の事を好きだと言ってください……) ーー紫紺くん、僕はこの蝶が『死淫蝶』だと言うことも、今夜温室にいた君が幻覚だということも、最初から分かってました。それでも、偽物でもいいから愛されたいと願うほどに、僕は貴方に夢中だったんです。だって、生まれて初めて僕にキスをしてくれたのは、君だったから。僕が初めて心から人に恋をしたのは、君だったから。 だからお願いです。もう一度だけ、最後に優しいキスをしてーーー。 たが、その蚊の鳴くような切実な訴えは、安達が振り絞った最期の声は、来年の夏に向け子孫を残さんと必死に鳴いている無数の蝉の声にあっさりとかき消された。 そして、それから一ヶ月後。 温室には優雅に舞う死淫蝶と、全てを吸い尽くされ干からびた哀れな男の骸がひとつ、ぽつんと転がっていた。

ともだちにシェアしよう!