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第6話

「もちろん、拒んでくれてもいい」 圭一郎は言った。その権利と自由をリョウに与えた。「その時は、俺が今言ったことは忘れてくれて構わない。プレゼントも別の物を考える。後はお前に――」 「ねぇ」 痰絡みの声が、圭一郎の言葉を遮った。リョウは顔を顰めながら何度か咳払いをし、「あー、あー」といつもの芯のある澄んだ声が出ることを確認したのち、久しぶりに唇を左右に広げた。 「それってさ、こういう考え方もできるよね?」 「……え?」 圭一郎は目を見開いた。眼前にいる彼が、ひどく上機嫌だったからだ。 「けーくんのこれからの人生を、おれが全部貰えるんだって」 ……今までの緊張感はどこへ行ったのか、全身にえも言えぬ脱力感が広がる。今しがたのリョウのひと言が、脳内に鐘のように響いていた。 安堵し、喜ぶべきところなのだろうが、あまりにもあっさりとしたリョウの様子に、圭一郎は拍子抜けしてしまい、何も言えなかった。呆然とするのみだ。対するリョウは合鍵を取り、鼻歌まじりにしげしげと眺め始める。 「これ以上にない、最高のプレゼントじゃん。ありがとう、大切にするね?」 「……お、おい」 狼狽えた声が出る。「お前、俺が言ったこと、ちゃんと理解しているのか?」 「え? してるしてる。てか何でそんなに驚いてんの? おれが受け取らないとでも思ったの? あ、思ったんだー」 リョウは少しいじけた顔で、圭一郎の頬をつついた。それが意外と痛くて顔が歪み、彼にカラカラと笑われる。 「そりゃあ昔のおれを知ってたら、到底信じられないだろうけどさ、おれって結構、重い男だよ?」 圭一郎は痛む頬をさすりながらリョウを見た。それも知っている。しかし、半ばプロポーズとも言っていい自分の贈り物を、カゴの中の飴玉を取るかのように受け取られるとはつゆも想定していなかった。 ……いや、よくよく考えれば、この状況は有り得なくもなかったのか? ……分からなかった。あまり自惚れた考えは持ちたくないのだ。 「けーくんのこと大好きだし、毎日一緒にいたいし、プライベートの時間はけーくんのことばかり考えてるし、何なら会いに行きたくてうずうずしてるし、独り占めしたいし、だから今、すっごく嬉しい。夏風邪なんか吹き飛んじゃう……ことはないけどさ」 ……少しは、自惚れてもいいのかも知れない。思わず緩みかけた頬を誤魔化すように口元を引き締め、合鍵を持つリョウの手を握った。 「本当に俺でいいのか?」 「いいよ」と、リョウは笑って即答した。「けーくんがいいから。けーくんとの将来しか考えてないもん。だから、不束者ですが、けーくんの全部をおれにください」 結婚の約束をした彼女の父と、彼氏のようだった。圭一郎は吐息のような笑みをこぼし、リョウの手をさらに強く握った。 「返品不可だからな」 「もちろん。どんなことがあっても、手離さないよ」 「……男前だな」 そう言えば、リョウは「へへへ」とだらしのない声で笑った。蕩けるような笑顔に、圭一郎もつられた。 与えたつもりが、与えられた。愛して心を満たすのもいいが、愛されて満ち満ちた思いになるのも、たまらないと知った。……これ以上にないほどに、幸せだ。胸が暖かくて、いっぱいで、苦しいくらいだ。この唯一無二とはない幸福を、リョウも感じてくれているのなら。いつまでも尊び、大切にしていこうと心の底から誓った。 「とにかく、早く元気になるね」 リョウは完全に浮かれきった様子で、圭一郎の頬に触れ、唇に吸いついてきた。浅い口づけから解放されると同時に、「おい」と咎めれば、彼の目はやんわりとした弧を描いた。 「いいじゃん、夏風邪はバカしかひかないんでしょ?」 根に持たれていたか。苦く笑いながらリョウの頭をくしゃりと撫でた後、圭一郎も彼の唇を啄ばんだ。……風邪を移されたら、その時はその時だ。再び睡魔に襲われるまでの間、こうして戯れ合うことにした。 冷房のきいた部屋の外は、依然、うんざりするほど蒸し暑い。今夜は記念すべき10日連続の熱帯夜だった。 けれどもそれ以上に、熱くて、それでいてカラカラに喉が渇きそうなほどの甘い空気が、ふたりの周りに漂っている。それは何にも、誰にも邪魔などできない、彼らだけの幸福の在り方だった。

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