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第32話 恋人

 感謝祭は陽気にめぐまれて、見事な青空の下で行われた。 「おーい、天見」 「チーフ、お疲れ様です」 「怪我、平気か? なんなら、休んでもよかったんだぞ」  一日、お祭モードだけれど、営業してないわけじゃない。今日商談が入っているスタッフは店内のフロアでその資料を作ったりと慌しい。もちろん整備部もそう。引き続き、いや、段々とこれから急がしくなるだろうタイヤ交換の予約も入っているし、今日の夜に工場から納車される車もあって、そっちの準備もある。  むしろ、そういう諸々の理由で来店されたお客さんこそ、この感謝祭に巻き込んでいこうっていう狙いなわけだし。  だから、休んではいられない。 「大丈夫ですよ。整備のほうできなくて、すみません」 「気にすんな。俺のせいだしな。悪かった」 「いえっ!」  慌てて否定をした。 「そういや、お前、どうやって来たんだ?」 「へ? 車、置いてったんだろ? 営業部長が言ってたぞ」 「!」  そうだった。片手がこれだから車の運転面倒だし、うちに泊まれよと、真紀の車で帰ったんだった。だから、店の社員用駐車場にはぽつんと俺の車が取り残されていた。 「あ、三國が」 「……」 「送って」 「朝もか?」  違和感は、さしてない、はず。 「そっかぁ、よかったよかった。それなら安心だ」  たぶん、大丈夫、なはず。  チーフは俺の心配なんて知りもしない雰囲気で、背を反らして痛い腰を伸ばすと、そのまま整備工場のほうへと戻っていった。  なんか、ぎこちなかったか?  朝まで一緒にいたこと、までなんてバレやしないのに、耳が熱くて、何かくすぐったい。 「すみませーん! 風船くださいっ」 「あ、はい」  頬を赤くして、口を真一文字に結んだ女の子が少し緊張しているのか、ぎゅっと握りこぶしを作って、そばに立っていた。 「何色がいい?」 「あ、赤っ!」 「はい、どーぞ」 「すみませーん! 風船、ください!」  今度も女の子だった。さっきの子よりも少し大きい女の子。その次は男の子が来て、青い風船を持っていく。 「あ、天見さん、すみません。くじ持つ係、私、代わりますよ? お茶休憩してきてください」  けっこうひっきりなしに声がかかるもんなんだな。余るんじゃないかと思った風船くじはもしかしたら一日どころか半日も持たないかもしれない。 「大丈夫だよ」 「でも」  それに、何も手伝ってなかったから。 「いいよ。是非、こき使って」 「そ、そんな」  感謝祭だからなのか、普段髪を後ろにまとめてしまっている彼女が今日はパーティーにでも参加するみたいに、髪をおろして、巻いていた。来場してくれたお客さんに呼ばれて、振り返る度にその巻き毛が弾んでいる。 「……ごめんね。俺、忙しくて、全然手伝えてなくて」  忙しかったけれど、それが理由じゃないんだ。俺はたしかに彼女のことを避けていたから。 「……天見さん」 「だから、今日だけになったけど、めいっぱいこき使ってくれていいからっ」 「……」 「だから、くじ係は俺がやる」  公私混同も甚だしい。いらないヤキモチがなくなった途端にちゃんとするとか、ホント、子どもじみたことをして恥ずかしいんだけど。 「天見さん……」  照れ隠しに笑って、来場してきたお客さんに風船つきのくじを手渡す。今日、朝一で、俺が膨らまして、真紀が口のところを結んだんだ。昨日の今日じゃちょっとおかしな動かし方をすると怪我が痛む。眉をひそめるだけでも、真紀が心配するから、甘えさせてもらって作業を半分手伝ってもらった。  楽しかったよ。真紀と二人、裏の倉庫で、早朝から、風船を膨らませるのは。  手渡す時、ふと触れる指先にも二人して微笑んで、寝る時に抱き合って、朝起きてもくっついてベッドの中で転がっていたお互いの体温を思い出しては照れていた。 「それに休憩するなら三國に代わってもらうし。そもそも、俺と三國で受け持ったはずだからさ」 「……そうですけど」 「三國にも、任せっぱなしにしちゃったし」 「……」 「ごめんね」  君にもいらないヤキモチをして、少し冷たい態度を取ってしまったから。 「三國に言われたから手伝ってくれたにしても、俺」 「? 三國さんっていうか、私、営業部長に言われて」 「ぇ?」 「三國さん、赴任したばかりでわからないことだらけだろうからって」 「え? 三國に頼まれたから、じゃないの?」  彼女がきょとんとしてた。だって、普通は女性スタッフにはこういうの任せないだろ。毎年男スタッフが受け持ってた。だから、真紀が頼んだんだって思ったのに。そもそも、そこからして違ってた? 「? 違いますよ?」 「……え、ぁ、三國のこと」 「?」  一瞬にして彼女が険しい顔をした。そして大慌てで首を横にブンブン振って全力否定をしている。 「ち、違います! 全然!」 「……だって、三國って」  イケメンだろ? 「全然そういうふうになんて思ったことないですよ! シチサンだし! 眼鏡だし!」  本当に? たった、これだけ。たった、シチサン眼鏡だけでこうも目くらましになるのか? 「それより、あ、天見さんって、ぁ、あの、彼女、さんとかいるんですか?」  駐車場の向こう側、真紀は子どもたちのはしゃぐ声の中、一緒になって笑って、スーパボールすくい係を頑張っていた。すっごい、シチサン、すっごい眼鏡。けど、その笑顔は俺にとっては胸が苦しくなるくらいにカッコ良く見える。 「……ぁ、の、天見さん?」  ずっと見つめていたいなぁなんて思ってしまえるほどカッコいい。 「私、避けられてるのかなーって思ってたので、ちょっと、ホッとしたーっていうか」  見すぎた?  視線に気づかれてしまった。 「あの、天見さん」 「付き合ってる、んだ」  まるで風に肩でも叩かれたみたいに、ふと、こっちに顔を向けて、目が合った。そして、向こうは俺と彼女のツーショットに心がざわついたのか、一瞬目を見開いて、慌て始める。  たぶん、その慌てた理由は俺がここしばらく胸のところでジリジリ焦げていたものと同じやつだ。  けれど、自分が任された係をしっかりまっとうしなければと、ジレンマに襲われて右往左往。  そっか。彼女はあのシチサンに、眼鏡に、生真面目な性格に騙されてくれた。  俺は見つけて、そして惹かれたけれど。 「恋人、いるんだ」  カッコよくて、不器用で、真っ直ぐで、色気が溢れる、最高の男だって、俺だけが見つけることができて、ホント、よかった。

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