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第33話 やいたモチは甘かった

 ――恋人、いるんだ。  受け付けスタッフの彼女に訊かれ、そう、答えた。  感謝祭後、夜は従業員への感謝祭、みたいな打ち上げが行われる。毎年、開催されるこの打ち上げと、それと忘年会、あと夏の納涼会、店舗スタッフ全員での飲み会はこの三回くらいだ。  だからか、感謝祭あとの打ち上げはかなり盛り上がる。一日、お祭の雰囲気ですごしてからの飲み会だから余計なのかもしれない。朝、出勤は車だったのに、その車をコインパーキングに停めたりしてまで飲む気満々なんだから。 「食いづらそうだなぁ」  チーフがフォークを使っていた俺を見て、ビール片手に隣の席に座った。現場責任者として、スタッフひとりひとりを回って、色々話を聞いてくれる。愚痴や、仕事の悩み、要望なんかを。大雑把そうな人だけれど、力仕事もなんなくこなす無骨な手をした人だけれど、繊細な人だ。  俺も、長年、この仕事をしていたら、あんな感じになれるのかな、なんて。 「でもちゃんと食ってますよ」 「みたいだな」 「すいません、お酌できなくて」  片手で上司にお酌っていうのも失礼だろうから、いっそ先に謝ると、いいっていいって、と、チーフがしかめっ面をしながら、その顔の前で手をブンブン振った。 「そんでよ。天見」 「はい」 「まだ、手が痛むだろうから、しばらく現場での作業はできないだろうけどよ」  そうなんだ。少し、それが残念だなって。車いじりたいと思ってしまう。 「これも何かの機会だ」 「?」 「社内のだが、昇級試験受けてみないか?」 「!」 「んまぁ、デスクワークっつっても、そう一日パソコンの前に張り付いてばっかになるほどの量はねぇし。ちょうどいいだろ。もう務めて五年、仕事もしっかりやれてる。一級整備士免許取得もできると俺は思ってる」 「……」 「頑張れよ」  一瞬、高揚感で言葉が詰まった。急いで、返事をすると、チーフはニコッと笑って、俺の肩をポンと叩いて、別の整備部スタッフのところへと向かった。  社内の昇級試験はどうだって、勧められた。  どうしよう。なんか、すごく嬉しい。ヤバい。酒のせいもあるのかもな。飛び跳ねたいくらいにめちゃくちゃ嬉しい。見ててもらえた、仕事を評価してもらえた。そのことが――。 「……」  ふと、顔を上げたら、真紀と目が合った。  何を話してたんだろう?  そんな感じの言葉がそのレンズにしっかり書き込まれてる気がするほど、物言いたげな顔をして、ビール、かな? 何かを、一気に飲み干した。 「っぷ」  思わず笑っちゃっただろ。そんな、こっちばっかり見てたらバレるだろうが。ほら、そっち、営業部の会話にちゃんと入れよ。そっちだっつうの。こっちを見てしかめっ面すんな。もう、まったく。 「どうかしましたか? 天見さん」  ちょうど俺と真紀を一直線に結んだライン上に陣取っていた受付スタッフの彼女が、ひょっこりと、その線上に顔を出した。 「ごめ、なんでもない」 「?」  ほら、お前のせいで、彼女が不思議そうな顔してるだろうが。  気にすんなよ。っていうか、ホント、いまだにチーフのことを変に意識してんのか? いらないっつうの。俺には――。  俺には、もうお前っていう、恋人がいるんだから。 「天見さん?」 「ごめんごめん、なんでもないよ」  だから、ちゃんと営業スタッフとの会話に入らないと、ほら、お前、こっちに異動なったばっかなんだから、チームワークっつうのを。 「天見さんっ!」  次に俺の名前を呼んだのは低い男の声。少し必死そうで、少し怒ってそうで、そして、今は想像できないけれど、掠れるとイきそうなくらいセクシーな、俺の恋人の声だ。 「あ、三國さんだ……お疲れ様です。いいんですか? 営業のほうの席、移動しちゃって」 「大丈夫です! お疲れ様です!」 「っぷ」  またつい笑ってしまった。なんで笑うんですかって、言われたってさ。だって、やっぱり真面目だなぁって。  受付の彼女はいきなり席を移動してまで飛び込んできた真紀にポカンとしていたけれど。なんとなく出来上がった感謝祭仕切り役トライアングル。 「今日の感謝祭、けっこう大盛況でしたねぇ」 「手伝ってくれてありがとうね」 「いえいえ」 「ほら、三國さんも」 「!」  そうだって顔をして、丁寧に頭をさげる、やっぱり真面目クンなのに。そんなに真面目ならちゃんと職場の付き合いにも参加してこいよ。ここで、いらないヤキモチなんてやいてないで。  酒が入ってるんだってば。 「天見さん、手、大丈夫ですか? 俺が何か取り分けますっ」 「ヘーキだって」  だから、ちょっと、緩んでるから、くすぐるなよ。笑うだろ。 「俺が! 取り分け! ますっ!」 「……っぷ、はいはい。じゃあ、そっちのサラダと、豆腐と枝豆取って」  なんか、すごく愛されてるなぁ、なんて思えてくすぐったくて笑っちまうから。 「お肉も食べてください! 天見さん、怪我してるんだからっ」  ほら、そうやってまた笑わす。なぁ、肉食べたら元気になって怪我も治るって、それ小学生的な発想じゃん。すげぇ。 「ローストビーフ!」  すげぇ、可愛いんだけど? 「ありがと」  本当に、愛されてるなぁって感じられてくすぐったいよ。 「? 天見さん? 何笑ってるんですか?」  なぁ、俺のこと、好き? 「んー? あー、三國さんも何か飲みます?」  手にしていたグラスはさっきグビッと一人一気飲みをしたせいでほぼ空になっていた。次の飲み物は何にするのか尋ねると、真面目にメニューと睨めっこをしている。 「では、ウイスキーの水割りで」 「俺も同じのにしょうかな」 「はーい」 「……ちゃんぽんは、危ないですよ?」 「わかってるって」  どこまでも真面目だな。気難しい顔をして、俺の隣をてこでも動かない勢いで居座る真紀が愛しくてたまらない。 「本当ですか? かなり酔ってそうです」 「ヘーキっ!」  でも、本当はけっこう酔っ払ってる、かもな。 「……心配性」  なぁ、真紀はさ。  真紀は、俺がチーフみたいに働く無骨な手になっても、なんか、俺のこと、好きでいそうだよね。なんて、思う程度には酔っ払ってるけど。 (真紀) 「?」  酔っ払ってるから、こうもこそばゆいとちょっと耐えられない。我慢できそうにないんだ。 (ヤキモチやき) 「……」 (さっき、恋人いるんですか? って、そっちの彼女に言われて、いますって答えたのに、妙な心配しなくていいよ)  だから堪えきれず笑いながら、受付の彼女がオーダーを追加してくれてる間に、こっそりとそう告げて、目を輝かせる真紀にくすぐったくなった俺は、オイルの沁み込んだ、ちっとも綺麗じゃなくなった自分の手をニコニコ笑いながら見つめていた。  初めて、その手を、誇らしいって思えた。

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