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夏だ、海だ、青……編 3 不思議な光景
「やっぱりこの時期は空いてるな、道」
海岸を縁取るみたいに続く道を進んでいく。信号もないから、ドライブに最適。だけど、ずっと続く一本道は夏の混雑がピークの時には車の大行列になるだけで、結構大変なんだ。脇道とかないから、渋滞にハマったらもうただひたすら歩いたほうが早い気がするくらいに、ノロノロとしたスピードで海岸線を進むしかない。最初こそ、海が見えるとテンションが上がるけれど、さすがに窓から見える水平線と青い空にも飽きてくる。
けど、もう九月に近い今の時期じゃ、みんな海旅行を楽しんだ後なんだろう。
お盆の時期なんかは大渋滞になってしかたのない合流地点でさえスイスイと進んでいけた。
「これなら昼前には着きそう」
「そうですね」
むしろ早く出発しすぎたかもしれない。
宿にはまだ入れないだろうから。どうしようか。
「とりあえず、もう少し近くまで行って、宿に荷物だけ置かせてもらえるか訊くか」
「はい」
そう思った時だった。
「……どうかしたんですかね」
「……あぁ」
料金所を通過したところ、ずっと続いていた一本道が膨らんで、三つに枝分かれをして、料金を支払うゲートをくぐった辺りで、車が一台止まっていた。そして、一人、女性がスマホで電話をしながら、その車の周りをうろうろしていて。もう一人の女性がタイヤの前にじっと座り込んでいる。
「パンク……」
「みたいですね」
それで立ち往生、したんだ。
「……ごめん、真紀」
「もちろんです」
きっと車の修繕とレッカーを電話で頼んでるんだろうから、しばらくすれば大丈夫だろうけどさ。そのままスルーって訳にはいかないだろ。整備士だし。
車を俺たちも脇に寄せた。
タイヤがパンクしたせいで止まっている彼女たちの車の少し手前。
二人は怪訝な顔をしつつ、同じように車のトラブルで止まったのか? って、こっちをじっと見つめてる。その表情は険しくて、せっかくの旅行が台無しになったって顔をしてた。
「すみません」
まぁ、怪しいだろうな。
ここで急に声かけてきたら。しかも男二人じゃ、どんなタイミングのナンパだよって怪訝な顔をされても仕方ない。
「タイヤのパンクです?」
「ぁ……えっと」
俺が声をかけると、険しい顔がもっと険しくなった。茶髪じゃなくても少し長めの髪は、超繁忙期だったこともあって、最近切りにいけてなくて、作業中は髪、縛ってないといけないくらい。だからどう見たって真面目なサラリーマンには見えない。警戒するよな。
「私、車の営業所で営業をしている者です。こちらは同じ営業所で整備をしている方で。車のトラブルでお困りのようだったので」
「あ、はい。あのパンクしちゃって」
こんな時、真紀の「クソ」が付くほど真面目な風貌は役に立つ。っていうか、営業マンなんだ話しかけにくいわけがないし。シチサンメガネに、今日は海旅行でラフな格好をしてるから、逆に、もう警戒のしようがない感じ。
「俺、見ますよ。スペアタイヤ、見てもいいですか?」
「え、あの、いいんですか?」
「もちろん。すぐなんで、待っててください」
タイヤの前で悲壮な顔をしてしゃがみ込んでいた彼女の隣にしゃがんで、大丈夫すぐに交換するんでって言ったら、パッと表情が明るくなった。夏、まだ午前中だけど、この気温だ。車のエンジンをかけて車内で涼んでる場合じゃない彼女たちは頬から汗を滴らせながら、きっとかなり困ってたと思う。
タイヤがパンクしました。じゃあ、交換しときましょう。なんてすんなり作業できないだろ。
車なんてさ、みんな日常で使うツールだけど、わかんないことが山ほどある。特に女性は疎い人が多いから。
「でも、あの」
「大丈夫ですよ。彼はとても優秀な整備士でして。どんな車も立ち所に直してしまうので」
さすがに、それは無理だろって心の中で呟きながら、少し笑った。
「タイヤの交換もあっっという間なんです」
だって、なんか、すげぇ自慢されてて。
「本当に素晴らしい整備士なんですよ」
結構くすぐったかったから。
職場でもこんなふうに俺たちのこと紹介してそうでさ。
この仕事、好きだったけど、溜め息が出ることもあったりした。ガサガサになる手。体力勝負の仕事にヘトヘトになる帰り道。しんどいて思うことだって、何度もあったけど。
車が直った時のお客さんのホッとした顔。
店に来た時は不安そうだった顔が帰り、同じ車に乗りながら、笑顔に変わってた時。
ありきたりだけどさ。
「あのっ、本当にありがとうございました」
そう言ってもらえた時、この仕事をしてよかったなって思う。
「あの、手、タオルを」
「あぁ、大丈夫。慣れてるんで」
手は真っ黒になっていた。普段はグローブをしたりもするんだけど、さすがに海旅行にグローブは持ち歩いてなくて、両手は真っ黒。けれど、差し出されたタオルで拭く分けなんていかないから。丁重に断った。どこか次のサービスエリアで手を洗うからって。
「スペアタイヤなんで、宿に着いたら、タイヤ、ちゃんとしたのに交換してください。変な意味じゃなく、宿、どの辺です?」
「え、あの」
「近くにうちと同じ支店あれば話しときますよ」
「そんな」
「大丈夫ですよ。真紀」
「承知してます!」
彼女たちが教えてくれた宿からそう遠くないところに支店があった。そこで、今度は営業の真紀が電話でパパッと要件を伝え、今日の午後にでも車を持ってきてくれたらすぐにちゃんとしたタイヤに交換してくれることになった。
彼女たちは何度もお礼を言いながら、俺たちが声をかけた時とはまるで違う笑顔で、手を振りながら走り去っていった。
「よかったな」
「そうですね。ありがとうございます」
真紀が嬉しそうにするから、なんか、ものすごく、すげぇ良いことをしたような気がしてくる。
「! お前、手、汚れる」
「汚れませんよ」
けど、さすがに真っ黒だぞって言ったけど。
「今、手を繋ぎたいんです」
そう言って、真紀が俺の真っ黒な手を握って誇らしそうに笑うから。
「けど、その同じくらいに真っ黒になった手でハンドル握るの?」
「あっ!」
「っぷ、あははは」
くすぐったくて、俺はまた笑った。
料金所を通過してきた車は不思議だったと思う。車を脇に止めて、男二人手を繋ぎながら、真っ青な空と強烈な日差しを放つ太陽の下、楽しそうに笑ってるのは。
けっこう、不思議に見えたと思う。
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