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 真鍋(まなべ)は自転車通学だ。  半分以上シャッターの降りた寂しい商店街を通り抜け、さらに長い上り坂を上れば彼の通う高校が見える。  今日も今日とて息を切らしつつ坂道を上り終えた真鍋だが、辛い道を越えても彼は安堵の息をつけない。むしろ、学校に近づくほどに、落ち着かなくなる。  たくさんの生徒の波に加わり進むと、校門が見えてくる。  そこには一人の生徒が立っていた。襟元に付けられた学年章から三年だと解る彼は、校舎に向かうことなくそこからじっと登校してくる学生を眺めている。  そして、同じ格好をした沢山の人の中から目敏く真鍋を見つけると、両手を挙げて飛び跳ねた。 「マナたんおはよー!今日も輝いてるね!そんな貴方が好き好き好きですっ!!俺とつき合ってぇぇ!!」  挨拶とともに告白。  真鍋は舌打ちして顔を顰めた。 (やっぱりおるんか…)  周りを行く生徒の視線が、校門前の男と真鍋とに二分される。その視線には驚愕した様子はまるでない。男が男に告ったのに、だ。  それはこの学校が男子校であり、そういった知識が多少なりとも蔓延っているから、というわけではない。  不本意ながらも真鍋と、校門前に立つ男――睦美(むつみ)が有名人だからである。周囲はどこか楽しげな様子で、真鍋と睦美を見守っている。 「三年のむーみんとマナたんやん」 「今朝もお熱いなぁ」 「俺、実は賭け参加した」 「マジで?俺も参加しとるよ」 「俺ホンモン見んの初めてやわ…あれが例のマナたんかぁ」  そんな不愉快な話し声に包まれながら校門へ近づく真鍋を、睦美は両手を広げて迎えた。 「マナたん、ギブミーお返事!『はい』オア『イエス』!?」 「いやじゃボケ。ふざけんな」  真鍋はもう一度舌打ちして、睦美の隣をさっと通り抜けようとした。しかし、がっと後ろの荷台を掴まれ、自転車は急停車してしまう。 「マナたん待ってぇ!俺の気持ちは本物ばい!今日は特に本気ばい!つき合ってくれんやったら俺死ぬ!マジで死ぬけんね!?よかと!?」  半眼になった真鍋が振り向けば、荷台にしがみついた睦美は必死な形相で主張する。 「付き合えんなら死んだ方がマシやもん!衝撃的な死に方して、そんで一生マナたんの記憶に存在刻む!そんで守護霊なって取り憑く!」 「そんなん…勝手に死んだらよかろうもん」 「!!」  真鍋があっさり返すと、睦美はがーんという効果音が聞こえてきそうなほど顔を青くし、荷台から手を離してわなわなと震えた。その目には涙まで溜まっている。  真鍋ははぁと特大の溜め息を落としてから、畳みかけるように続けた。 「――お前解っとうとか?死んだら陰から俺んこと見ることすらできんくなるんぞ」 「え…?」 「幽霊?んなもん存在するわきゃねーだろボケ。死んだら無になるだけぞ。今みたいにストーカーすらできんくなるなぁ。それでも死んだ方がましか?あ、そうか、その方が俺はせいせいするなぁ……」  真鍋が言葉を重ねれば重ねるほど睦美の顔色はどんどんと悪くなり、ついにはうるうると潤んだ目からぼろりと涙が零れおちた。 「い、いやぁぁ!そんなんいやじゃあ!マナたんのこと見られんとか俺絶対いや!!」  取り乱す睦美とは対照的に、真鍋の表情はどんどん冷めていく。 「んじゃ死なんどきゃいいやん」 「そうやね!マナたんめっちゃ賢いな!俺死なん!」 「よし。んじゃな」 「うん!またあとで!………って、あれ?」  すっかり明るくなった顔で笑う睦美をほったらかして、真鍋は駐輪場へと向かった。  睦美が告白し、真鍋がにべもなく断る。  これがこの学校の校門で見られる毎朝恒例のやりとりだ。睦美のあのオープンすぎる求愛は二人が一年の時から続き、もはや学校の名物と化していた。  三年A組の睦美良樹(よしき)と三年D組の真鍋(りゅう)と言えば、この学校で知らぬ者はいない。顔を合わせたことのない下級生にまで、「むーみん」と「マナたん」の愛称で呼ばれるほどに浸透している。  卒業までに真鍋が落ちるか落ちないか、大々的に賭けまで行われている始末だ。 「よお、マナ。今朝もお前の勝ちやって?」  なので、自分が教室に着くより先につい先ほどの出来事が既に知れ渡っていても、真鍋はもう驚かない。  自分の席へと向かう真鍋に、友人の須崎(すさき)がにやにやとしながら話しかけてくる。これもいつものことなので、真鍋は適当に相槌を打ちながら安っぽい椅子に腰を下ろす。 「ああ…あいつマジでアホっちゃもん…」 「嗚呼…かわいそなむーみん」 「なんがかわいそうなんか。知っとうとぞ。お前も賭けとるんやろが」  芝居がかったように手を広げる須崎に、真鍋は白い目を向けた。須崎も賭けに参加しており、しかも真鍋が落ちる方に結構な額をつぎ込んでいるのを知っている。 「えー?……まあ、むーみんはあれはあれで幸せなんかもなぁ…ほら、こっち見よるぜ」  誤魔化すように笑いながら、須崎は教室の入り口の方に視線を向ける。そこには睦美がいて、少しだけ開いた廊下側の窓の隙間からじっとこちらを窺っている。以前真鍋に散々叱られ絶交されかかったせいで、睦美は教室には入ってこない。そして今も本人はこっそり隠れているつもりだ。 「目を合わすな餌を与えるな相手をするな」 「そんな猿やあるまいに…賭け抜きにしてもやっぱ可哀想やわぁ。むーみんてばあんな一途でさぁ。もうちょっと報われてもいいと思うんやけど」  すっぱり断ち切る真鍋の言動に、睦美を見る須崎の視線に本物の憐憫が含まれた。可哀相可哀相と何度も呟く。 「ちっ…うるせーな」  真横でぶつぶつとうるさい須崎に、真鍋はむっとした顔を隠さないまま、舌を打って睦美が覗く窓を振り返った。 「おい、むーみ」  呼べば、窓はガラッと勢いよく開き、睦美が赤い顔で身を乗り出してくる。 「マナたん!なーん?なーん?」 「今日は一緒に帰ってやるけん、うちのクラスに絶対くんな。覗くんもなしやきな。来たら帰っちゃらんぞ」 「うん!うん!約束やけんね!絶対やき!」  高圧的な真鍋の言葉に、睦美は興奮した様子で何度も頷き念を押す。真鍋がはいはいと答えれば、スキップをしながら帰って行った。 「はー…これで一日静かに過ごせる」 「マナ…お前ホント酷ぇな」  何と言われようと、真鍋はもう応えなかった。

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