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翌日は冷たい雨で気温が急に6℃も下がったから、朝から熱っぽかった。 心配した母が学校へ勝手に欠席の連絡をして、その日から週明けまで俺はずっと自宅に引き籠っていた。間に心配した雨宮がノートを届けに来てくれたけれどインターホン越しに「風邪が伝染るといけないから」と言って、ドアノブに掛けて帰ってもらった。本当はたぶん風邪なんかじゃなかった。すげー、カッコ悪いと思う。自分が矛盾しているのは今ではもう、よーく自覚(わか)っていた。 颯介とのキス……()くねーよって悪態ついたけれど、本当はもう一度したいなんて思ってる。 『鹿野さんマジかもしんねーぞ』っていう雨宮にそっちのケは()ぇって言いながら、颯介の『逃げないのは脈アリ?』を何度も反芻してドギマギしている。一人だけ感想メモを貰って『海晴』って親しげに呼ばれて、きっと俺は特別だと思い上がっていた。けれど、須崎の15年を思ったら、 「……勝てっこないじゃんか……」 その生半可でない想いに、自分が颯介の『特別』になりたい思いが好きの温度まで高まって、譲りたくないなんて思ってしまった。初めて好きの感情が解った気がするのに、須崎を『ポエト』と呼ぶ颯介の親密な声ばかり頭ん中に響いて、頼むからもう消えてくれって思っている。 「こういうものか……」 だから、どうしようという感情はない、どうしようもない。年不相応と笑われそうな静かな諦めを、そっと受け入れるだけだ。恋心なんて知るんじゃなかったという気持ちと、生きている間に知れて良かったという気持ちを抱いて、如何に購買部を通らずに校内の移動を図るかという新しいゲームを始めるだけだ。そう思うのが、きっと堅実だ……。 連休を挟んで5日ぶりの登校になった。 今朝のニュースで東シナ海に台風が発生したと言っていたけれど、4限目が終わる頃には早くも空が曇り始めていた。今日から一週間は試験前で部活動は休止となる。雨宮は、 「もう、いいのか?」 と、体調を気遣うふうで、その眼は違うことを問いたげに見えた。 「うん、平気。……色々と、」 暗に『問うてくれるな』と牽制したのを『了解』とばかり片手をひらり表情を歪める。廊下で朝井の大きな声が聞こえて、俺は避けるように教室の前の扉から出て行った。今は会いたくなかった。 昼メシも食べる気分じゃなかったから、中庭から体育館の外階段に日差しの程好い場所を見つけて、持っていた文庫本を開いた。実在した画家をモデルにしたイギリス人作家の小説で、前半の皮肉めいた言い回しや軽妙な会話が面白い。と言っても、モデルの真実とは掛け離れているようだから、物語として、突然、家族を捨てて画家を目指す身勝手な男の非凡性が何処にあるのかに注目している。けれど、今の俺は其れを楽しむ余裕もないみたいだ。 仰いだ空の端に文芸部の部室が見えた。 『鹿野さん、部活が終わると文芸部の部室を見上げることがあったって言うんだよねぇ……』 雨宮がそう言っていたのを思い出して、颯介がバレーボール部だった事と重ね合わせる。 「もしかして、ここから見ていた……?」 近いんだ。きっと、2階の端の文芸部の部室から須崎もこの体育館の外階段を見ていたのかも知れない。あの《日毎汗を拭った()の場所で》は此処だろうという気がした。そう思って見れば、校庭の植え込みに竜胆(リンドウ)の花が咲いている。この日は曇りで閉じていたが、つまり《瘧草(えやみぐさ)(わら)うのを愛で》られるのは晴天の日中に限られるんだ……。 予鈴が鳴って教室に戻ろうと本を閉じると、タイトルにある『月』の字が目に入った。 無性に胸がザワザワする。俺は『月』というと満月よりも、どこか不安を煽る尖った三日月を思い浮かべるんだけど、 《西南西に一の微笑を戴き》 あれが本当に須崎から颯介へのメッセージだったとして、その《一》は月齢を示していたんじゃないかと、この時、かなり確信めいて予感した。すぐにも確かめたいような、知りたくないような、ズキッと痛む心臓をそっと撫でて俺は立ち上がった。 Xデー間近と思われる今、颯介は自分に向けられたこのメッセージをもう知っているんだろうか?日時と場所を特定することは可能なんだろうか……? 教室に戻る廊下で須崎と鉢合わせた。 「身体はもういいのか?」 「……どうして《十五年》だったの?」 須崎の双眸が剣呑に俺を見上げ、小さく息をつく。 「知られたか……」 「あっさり肯定するんだ?はぐらかすことも出来るのに」 「必要ないだろう。それより、試験を前に推理ごっこのその余裕、国語の点数が楽しみだ」 「ヤなやつ……」 穏やかに微笑(わら)う眼の奥が全然笑っていない。けれど、身体を心配してくれる気持ちに嘘はないだろう。この根っからの善人に意地悪を言いたくなる俺は相当に歪んでいて、颯介をとられたくない対抗心を持て余している。ほんとうに子供でバカだ。折角、大切なものを増やさないで生きてきたのに、どうせ、いくらも続かない命なら出来るだけ身軽でいたほうが、風船のように軽やかに何事もなかった顔で空へ昇れたはずだ。そう舌を打つ一方で、この甘酸っぱい執着も知らずに、ただ諦めの感情ばかり蓄積してきたこれまでを、何て寂しく臆病な人生だろうと哂う。 相手も悪かった。俺は須崎先生のことが人として嫌いじゃなくて、だから、この人にだけは『好き』を教えてくれた颯介を渡したくなかった……。 「驚かないんだね、詩兎(しと)先生。文芸部が『うたうさぎ』のXデーを嗅ぎ回ってる。颯介の口を塞いだほうが良いんじゃない?『ポエト』はマズイと思うよ」 「どういうつもりだ」 「別に。気付いているのは俺一人で誰にも言うつもりはないこと、教えといてあげようと思って」 「どうして」 「んー?自分でも解らないけど恩を売るとか応援するとか、そんなつもりはなくて、俺、颯介が好きだよ。でも、先生の弱味を握るみたいなのフェアじゃないっていうか、須崎は須崎を通すのが一番いいと思うんだ」 「何が言いたい」 「わからない?自己愛のない人間なんていないよ、センセ。15年も待ったんだろ?」 「君は矛盾しているね」 「……そうだね」 颯介を取られたくない独占欲と、病弱な自分ではダメだという諦めと、須崎だから渡したくない意地と、他のヤツなら尚更イヤだという葛藤と……、もう頭ん中がぐちゃぐちゃで、けれど一番大事なのは颯介の気持ちだから最後に決めるのはアイツだ、なんて無責任な思いもある。だって……、 「二人してフラれちゃったりしてね」 あはは、なんて笑うと、須崎は酷く思い詰めた表情で下手くそな薄笑いを浮かべた。 嗚呼、本気ってこういう表情をするものなんだと、その時、俺は不思議と冷静に須崎を見る事が出来た。敗北感っていうのかな?勝負する前に自分は随分と遅れをとっていて、まだまだ、好きになり方が甘いんだと感じた。 「そんな顔すんなよ、センセ」 思案気に見えた須崎の硬い表情は「フッ…」と自嘲の笑みに変わり、吹き出しがあれば『まいったな』とでも台詞をつけたくなるような顔つきで俺の背に手を触れた。 「もう、行きなさい。チャイムが鳴ったよ」 「うん。『走らないように』だろ?」 「そうだ」 擦れ違って数歩。 振り返った俺は須崎が階段を上がっていくところで、スーツの裾を捕まえた。 「何だ?」 「月齢1は変更した方がいい。ホームズきどりの野次馬に冷やかされることになる」 俺が黙っていても日時の割り出しは時間の問題だと言いおいて、手を放した。 「成程」 短く頷いて、須崎は4階へと消えていった。
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