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「俺、帰るよ」 いたまれなくなって立ち上がろうとした俺の手を颯介の大きな手が掴んだ。 「雨脚が強い。俺は未だ海晴を安心させられないのか?」 「アンタ、どれだけ鈍いんだよ!須崎も須崎だ、どうして15年も待っていられるんだ。馬鹿ばっかだ。明日も信じられないような俺はどうすればいい?俺が一番、馬鹿だ。こんな感情、知らなきゃ良かった。余計なことに首突っ込むんじゃなかった。身長なんて伸びなくて良かったし、上履きなんて、ずっと踵踏んで風紀委員に叱られてりゃ良かったんだ……!」 「ちょ、落ち着け、海晴……」 引き寄せられるのを振り切って、また捕まって睨み返して……、 「颯介が臨時職員で良かった。早く居なくなれよ」 とうとう、酷いことを言ってしまった。颯介を須崎に返さないといけないとか、須崎の本心を知ったら、やっぱり颯介は俺より先生を選ぶはずだとか、何だ俺は全然、颯介を信じていないんじゃないかとか……、一気に押し寄せる負の感情の全てが本当で、全てに異を唱えたくて、詰まるところ諦めという名の自身への敗北だということも解っていた。 「須崎とは始まってもいないんだ。とっくに思い出話だよ」 「須崎が始めたくても?」 「それでもだ。俺は今、海晴を見ているよ」 まっすぐに見つめられると、他愛なく心が揺れる。余計な事は考えないで手を差し出してしまえば、颯介は、さっきよりも安住の胸に抱きとめてくれるのかもしれない。 一方で本当に踏み込んでいいのかという思いもある。病気を隠している後ろめたさも、いつか、話せる時が来たとして、ちゃんと颯介と離れる覚悟が出来るだろうかという不安も……。 「海晴。俺は須崎の想いに気付いていない訳じゃないんだ。まぁ、鈍いのは確かで引退して初めて、あの《十五年》の意味が解ったんだが……」 「え……?」 「バレーボール選手の平均寿命、つまり引退な?15年ぐらいなもんなんだよ。ゲイバレしたら遣り辛いだろうと気を回したんだろう。本気で選手を目指すなら、浮ついた事してんなっていうエールだったのだと思う。須崎は俺より、ずっと先を見越していた……」 「頭のデキが違うからな」 「そういう言い方するか~?」 イイ男の情けないツラってのは、何でこうも残念で愉快なんだろう。 「だってそーじゃん、あはははは……わ…っ!」 声を立てて笑った俺を足払いで転倒させた颯介は、両腕で畳の上に縫いとめ動きを封じ込んで来た。強かに腰を打って「…っぶねぇな」と呟く。 「お前、油断しすぎ」 「おふざけが過ぎるぜ」 颯介にとっては戯れ合い程度の不意討ちかもしれないが、体幹の出来ていない俺は咄嗟に踏ん張る反射神経も筋肉も乏しいのか、ただ、ビックリして心拍数を上げるばかりだ。 竦み上がって颯介の息遣いを感じると、何でそんなことを言ったのか、 「ここ、眼を瞑る場面かな?」 なんて、颯介の残像を闇に呑み込んだ。 「身勝手かも知れないが、今の俺は海晴が好きだ。それは、いけない事じゃないだろう?」 颯介の真摯な声が降って来る。体の内側から心音がドンドン突いてくる気がして、頭ん中から耳許から反響して何も考えられなくなる。 「だったら……、」 心臓がバクバクいって、酸素が足りなくて俺は大きく息を吸い込んだ。 「だったら、キスしてよ……」 何言ってんだ?俺……、 「あの時みたいな……キス、しろよ」 雨音が煩くて、心音が騒いでいて、 「いいよ」 聞いたこともないような優しい声音に俺は心臓を溶かされるんじゃないかと思うほど身体を熱くした。畳に投げ出した両腕で颯介を求める。触れた唇は部屋の湿気を含んでか柔らかく肉感的に潤っていて、緊張でカサカサした自分の唇が恥ずかしい。無意識に噛んでいたのか下唇の端がチリッと傷んで、気付いた颯介が舌でチロリと舐めた。 「なんで男にキスできんだよ?」 「しろって言ったのは海晴だろ?」 「言えば、何でもするのかよ?」 強引に唇を割って侵入してきた舌に歯列を舐られ、喉へ到達しそうなほど深い処まで蹂躙されて俺は慌てた。「うっ…、ぅ…」と、抗議の声を上げて喉を絞ったけれど、貪るような激しいキスは初めての比じゃなくて、何度か噎せて身を捩る。 「ムリ。少しだけ触らせて」 言われた意味の半分も解さない内にガウンの紐が解かれて、性急に脇腹を滑った肉厚な指に竦み上がった俺は完全に事態を把握した。ビックリして颯介の下でもがき、 「放せよ!」 と、力任せに腕を突っ張った瞬間、胸の突起を軽く潰されただけで腰の浮くほど全身が痺れ、抗う気力が一気に失せた。 「な、……にした?」 「お前、感度いいな」 背骨を這い上がるビリビリした緊張と腹を降下するモゾモゾした快感が身体中を引っ掻き回し、マグマ溜まりみたいに一処を滾らせる。触りたくて伸ばした手を遮られ、慌てた拍子にスウェットの中に侵入した颯介の手に布越しに局所を掴まれた。 「……ぅ……っはあ、ぁ、ぁ、ぁ……っ……!」 「へぇ、上等上等」 「……っ、触んな!これ、全然『少しだけ』じゃねーじゃん!」 「前言撤回、たっぷり触らせな」 「ちょっ……!ぁああっ……だ、ダメだってば……」 指の腹で強く撫で上げられ、逃げ腰になるほどギュッと握られては緩急自在に揉みしだかれる。息を止めるなと言われても自慰にすら慣れていない俺には刺激が強すぎて、本能的に逃れようと身体をジタバタさせるばかりだ。 「海晴……、海晴、」 甘やかに繰り返される譫言めいた自分の名前も、呼ばれたぶん快楽を注がれている気がして、気持ちよくて堪らない。体温の上昇に浮かされた頭は理性なんてとっくにスルーしていて、颯介が根元から先端へ絞り上げる手つきに小刻みに震える身体を止めようもなく身を捩る。「……これが、颯介のシたいこと?」 「これも、だな……。イッていいよ」 そう言われても、張りつめて硬くした先端から、とっくにジクジクと湿ったものがだらしなく垂れていて汗だか精液だか判らなくなっている。困惑気味に見上げると、颯介は汗に濡れた俺の髪を払って優しいキスをくれた。 「やべぇな……、俺の理性、試されてる?」 「ふふっ……」 余裕なんて微塵もないのに、こんなイイ男が組み敷いているのが男の俺だと思うと、滑稽でもあり、優越感に笑みが零れた。それを何と思ったか、颯介の手が性急に俺を追いつめて、 「っあ、ぁああああっ!ま、待って待って、待って……っ!……」 鼓動が弾け飛びそうにバクバク高まり、畳を掻き毟る爪に痛みを覚え、俺は息を詰めた。 誰を呼んでいるんだと耳を塞ぎたくなるような甘ったるい「海晴、海晴」に煽られ、握り直す手の一瞬、離れるのにも「触って」「放さないで」と、涙目で訴えてしまう。自慰では、いつも此処を超えきれないんだ。もう少しでイクッてところで力んで息を止めてしまって、心臓の圧迫感も怖くて手を緩めてしまう。あとはもう、不完全燃焼を悶々と蹲って耐えるんだ……。 「あのさっ……、人生ここまで経験する必…要……っ!……あるかな?」 「……は?もっと先までいってみる?」 「そーいうことじゃなくて……ぁ、ああああっ、ちょ、……強い、強いって……!」 「可愛いな、海晴……。いっそ、男の迎え方も教えてやりたいぐらいだ」 「何言ってんのか、わかんないーっ!」 喉がヒリヒリと裂けそうなほど渇き切って、自分の声とも思えない嗄れ声で抗っている。抗いながら、颯介が手を緩め手加減しようとするのを上から「放すな」と押さえつけている。自分の手で触る何倍、何十倍と気持ちよくて、颯介の「出しちまえ」「息をしろ」を聞きながら、俺は今までに味わった事のない強烈な射精感と、ギリギリと嫌な悲鳴を上げる心臓の強い痛みを同時に感じながら吐精した。 「……っ!……ぐ……」 さっきから、警鐘が鳴っている事には気付いていた。 異変に気付いた颯介の俺を呼ぶ声が逼迫してひっくり返っている。激しい痛みに、こんなにも早く病気がバレるなんて神もへったくれもねぇなと喉を反らした。気道を確保をして落ち着けと思うが、容赦ない発作に胸を押さえる手からも力が抜けていく。……も、無理……苦しい……、遠退きそうな意識で、いま倒れたら颯介は何て言い逃れすればいいんだ?と思った。この部屋を直ぐにも出ないと颯介に迷惑が掛かるのに、畳にのたうつばかりで動けない。 「く、……くすり……、……」 隣の部屋の鞄の中……。必死に手を伸ばして訴えると、弾かれるように飛んで行った颯介の広い背中が薄れゆく意識に揺れ、圧し潰されそうな恐怖が込み上げてきた。呼吸困難で手足も冷たい。このままサヨナラなんてことになったら、颯介は寝覚めが悪いだろう。いつまでも俺は悔いの対象として記憶に残るんだろう……。そんなのは嫌だ、絶対に嫌だ! 「海晴!救急っ…呼……前、何なん……、しっか……」 大人のくせに取り乱してさ、何言ってんのか全然わかんないよ。あーあ、鞄、そんなに引っ繰り返して教科書までバラ撒いてさ、サイドポケットに入っているはずなのに余計に探し辛くしちゃったじゃん……。 「……介、そ……」 もう良いから、傍にいて……。 「颯……、……」 意識を手放す直前に見たのは、振り返った颯介の悲壮な横顔……。ごめん、 ごめんなさい、俺は颯介が好きです。 だけど、やっぱり、俺じゃダメでした。 どうか、須崎に振り向いてあげてください……。 たぶん、ほんの少し嘘をついているけれど……。

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