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「このままで、少し話してもいいか?」 と、颯介は俺を抱き枕のように抱え、ガキを寝かしつけるテンポで背を叩く。 「ホールドされたまま?」 「そう」 「どうして?」 「俺が、こうしていたいから」 嘘だね、という言葉を呑み込んだ。顔を見せたくない話でもするつもりか、それなら俺も颯介に見られたくない顔をしてしまうかもしれない。このままでいる方がいいだろう。 「……購買部の職員になった経緯?」 「それは偶然だ。校長がウチのお得意様でね。成り手がないと聞いた父が安請け合いして暇になった俺を遣ったんだが……、それは本当に知りたい事とは違うだろう?」 何で判るんだと息を呑むと颯介は容易く先回りしてしまった。 「どうして判るのかって言うとな?俺が海晴の立場で俺を見ようとしているからだ」 頬を打つ鼓動と合わさって身体に流れ込む声。味わったことのない妙な感覚だ。 「意味わかんない」 「海晴は俺のことなら何でも知りたいんじゃないか?」 「自意識過剰なんじゃねーの?」 「そうかな?」 そうだよと言ってやりたいのに言えないから、俺は抗議の拳で颯介の横っ腹を叩いた。 「可愛いな」 「また、それを言う。俺が可愛いんじゃなくて、アンタがオッサンなんだよ」 颯介は「傷つくなぁ」なんて微塵も思っていない調子で笑っていて、返す俺は「言ってろ」と悪態をつきながら窓を激しく揺さぶる風に、もう暫く一緒にいられる口実を得てホッとしていた。男の胸に縋りつく異様さもとっくに感じなくて、女の子の『帰りたくない』に共感しているなんて終わっている。もっとも、可愛らしく言えないぶん俺は損をしているし、損しているという発想自体、キモイんだけど……。 「……好きだったんだ」 颯介の突然の告白は咄嗟には誰に向けられたものか解らなかった。 次に俺でないことを祈った。 あの青いインクの感想文を書いている内に共感が好意に変わって、でもそれは錯覚で、今はもう、思い違いに気付いているというならあんまりだ。 けれど、颯介から聞いた言葉は、もっと酷だった。 「須崎のことが好きだった……」 すぐには呑み込めなかった。 颯介の悠々と柔らかな低音が俺ではなく須崎を想って発せられたことが、ただ恨めしかった。校内で須崎をポエトと呼んでいる親しみ以上に蕩けるように優しい声音だ。 全身で嫌だと思った。カッとして、大声をあげたくなって、ジタバタしたくて、そして……、 ホールドされているから、頭突きで異を唱えた。 「逆じゃねぇの?だって『紫紺の華』の一節は須崎から颯介へのラブレターじゃんか」 「デタラメだな。あれは俺への返答だ」 「返答?」 「俺は須崎にフラれたんだ……」 頭が混乱してきた。 颯介の話では『紫紺の華』の原案と挿絵は颯介で小説にしたのは須崎だと云う。 俺も朝井や雲谷と互いの作中人物を語ったり、展開をいじってワイワイするのが好きだけれど、そういう創作の過程を颯介たちも楽しんだのだろう。ペンネームの『詩兎』は須崎真詩の『詩』と白兎堂の息子の『兎』で、きっと、須崎にはもう一つ、文芸部で常用していた名前があったに違いない。だから、余計に作者が謎めいてしまったのだと推測して俺は舌を打った。 「ぜんっぜん、わかんねー」 「わからなくていい。昔の話だ」 「良くねーよ。どれだけの人間が、あの一節に踊らされてきたと思ってんだよ?」 「それは、俺には関係ないことだ」 そりゃ、そーだけど……。 「返答……、返答ってさ。仮に颯介が須崎を好きであれが返答だって言うなら、アイツ、颯介のことメチャクチャ好きじゃん。フラれてねーじゃんよ」 「『仮に』じゃないんだが、今にして思えば、そうらしいな」 「そうらしいって……、もう、何なんだよ!解るように言えよ」 腕を解けと拳で叩いても颯介は俺を逃してくれなくて、体幹を鍛えたアスリートってのは少々暴れたところでビクともしねぇんだな、なんて、こんな時ですら俺は感心していた。うつ伏せで声を荒げたから噎せて、颯介の大きな手に背を撫でられる感触にビクリと震える。 「あっれ、お前、感じやすい?」 「そんなんじゃねーよ。気色悪い触り方すんな」 「昔話に何をそんなにいきり立ってんの」 「本当に昔話?」 三つ数えるぐらい俺と颯介を取り巻く全てのものがフリーズした気がした。たぶん、呼吸さえ止まったぐらいの緊迫感に酸素を求めて、颯介が沈黙した意味に拒絶反応を示す。 「いい。答えなくていい」 「いーや、どうやら俺のために海晴を安心させる必要がありそうだ。ちゃんと話すよ」 「何だよ、その言い方……」 「海晴が俺を好きだとハッキリわかった」 「はぁ?俺、そんなこと言ってねーじゃん」 「じゃ、嫌いか?」 「……」 嫌いって言えなかった。何にも答えられなかった。だって、俺の頭ん中で『好き』って大きく響いたんだ。それを呑み込むので精一杯だった。こういうのを『恋』っていうんだろうか?それとも、ただの執着なんだろうか?だったら、どうして執着するんだろう?この、須崎に対する攻撃的な感情こそが嫉妬なんだろうか?……過去形の『好きだった』も許せないぐらい、もう颯介のことが好きなんだと自覚して、俺は初めての感情に動揺していた。 『君は未だ本物の恋を知らないね?』 颯介のメモが、また頭をよぎる。この苛立ちやモヤモヤを一枚一枚剥がしていった最後に残るのが本当に『恋』というものなら、初恋の相手が男で、しかも15も年上のオッサンだなんて我ながら滑稽だ。そんなの俺の人生設計には無かったし、とんだハプニングといってもいい事態だ。けれど俺は今、この滑稽な事態をとても嬉しく思っている。また一つ、新しい感情を覚えたからかもしれない……。 「俺……、颯介が好きだよ」 するりと、本心が口をついて出た。颯介の胸がピクリと常の鼓動より大きく跳ねて、けれど、ウンともスンとも返ってこない。聞こえなかったのか、照れたぶん俺の言い方が軽く聞こえたのかもしれない。 「その……、たぶん『本物の恋』を知ったと思うんだけど、だから、俺を安心させてくれよ」 「……」 無言でギュッてされて、もう一段階、深いギュッに胸いっぱいシナモンのような颯介の香りを吸い込んだ。俺は俺のために颯介に須崎との顛末を吐き出させる必要がありそうに思えた。 「ちゃんと、聞きたい」 颯介はフッーと息を吐いて、俺の背でポンポンとリズムを刻みながら話し始めた。 「15年前、丁度、今の海晴と同い年の頃に俺は須崎のことが好きで、あー……好きって言うのは、俺はその……」 「言わなくていい。知ってる」 「……そうか」 「うん」 颯介がゲイだと聞いた時は驚きはしたけれど、俺の価値観の中で嫌悪するも何もない。同級生に告られたこともあるし、今の時代に特別視する方が時代錯誤ってもんだろう。けれど、颯介が高校生だった頃は生き辛かったんじゃないかと少しだけ思いを馳せてみる。 「告白したんだよね?」 「したが……、順番を間違えた」 「俺の時みたいに、いきなりキスをして嫌われた?」 背中のポンポンが一旦止まって、 「いや……《一の微笑を戴き、ともに竜胆の咲うのを愛でとう存じます》と書いた」 という返答があった。例の一節と文章が違うけれど、発端は颯介だったようだ。 「えっーと……」 「その年の須崎の誕生日が月齢1の土曜日でね、数日後に迫っていた。図書室で『紫紺の華』のラストシーンを考えあぐねていたらしい……」 この男は、どうにも話が飛ぶ。初対面の頃は大人の分別で会話をはぐらかしたり、揺さぶったりするのだと思っていたが、思考の高速回転に俺がついて行けないか、電池切れ寸前の時計みたいにチッチッチッ、……チ?なんて不具合を起こすか両極端にどちらかだろう。脳みそフル稼働で咀嚼してみれば執筆中の須崎の横から颯介が書き込んだという意味で、その内容はキスどころでない大胆さに思えた。 「須崎に通じたの?その謎かけみたいなSexのお誘い」 「げ。海晴には解るのか」 「竜胆は晴天に咲くんだろ?植物図鑑で調べた。《一の微笑》から月齢1が想像できれば日付も特定できるし、夜に会って共に朝を迎えたいって言うんだから、それしかねーじゃん?」 「……」 「つまり、須崎には通じなかったのか」 「いや、黙り込んで、その場で《十五年》と書かれた。体よくフラれたと思ったよ」 「確かめなかったの?」 「俺を見もせず席を立ってしまったからな。それきり、口も訊いてくれず疎遠になった」 「今は仲いいじゃん」 「そうでもない、普通だ。お互い無かった事にするには適当な年月が経ったし、大人だからな」 「『大人』って便利な言葉だね」 颯介は笑ったらしい。触れる肌が弛緩して、フッーと息を吐いた颯介の無言を俺は断ちたかった。その無言の中に須崎を想う高校時代の颯介が甦らないように……、そのくせ尽きない下世話な興味を俺は止められなかった。 「疎遠の理由、訊かなかったの?」 「蒸し返す必要もなかったしな」 「ほんとうに?」 「もう、いいだろ?しつこいと怒るぞ」 「だって……、」 「今も未練に思うなら『ポエト』なんて軽口叩かないさ」 口ぶりからして、颯介の中では終わっている話のようだった。けれど、この男は須崎が好きだったと言いながら、その深意に寄り添いきれてはいなかったと俺は思う。颯介が書いたメッセージを須崎はどうして『紫紺の華』の最後の一文に用いたのか。《十五年》の書き添えは本当に拒絶の意を示しただけのものだったのか。竜胆を『瘧草』の異名で用いた意味を鑑みても、須崎が颯介を嫌いだったとは思えない。むしろ、颯介を想って身を引いたと考える方が自然だった。 「須崎は、いつも自分のことは後回しなんだよ」 するりと口をついてから、そうだよと自分の中で頷いた。須崎先生は俺が悪態ついたり嫌味を言っても、いつも最後には『廊下を走らないように』なんて身体を気遣ってくれるお人好しじゃないか。そういえば、雨宮は颯介が名セッターだったと言った。実業団のレギュラーとして何年も活躍してきた実績を思えば、高校生の頃から将来有望な選手として期待されていたとしても不思議はない。その所為か?……もしかして、須崎は颯介の将来を邪魔したくなかったんじゃないか? 「敵わねぇ……わ」 「ん?」 颯介が俺の両肩を掴んで引き離し、眼と眼が合って俺は泣きそうになった。 「海晴?」 考えすぎかもしれないけれど、俺の仮定は、きっと当たっている……。 颯介が万が一にも醜聞に潰されることなくバレーボールに打ち込めるように、その為に須崎は颯介を突き放して、そっと想いを『紫紺の華』に託したのだろう。 「15年後、まだ想ってくれるなら、また口説いてよ……」 「何?」 「ううん、何でもない……」 馬鹿だなぁと思う。 須崎は颯介を愛している……、今も、これからも……。
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