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第三話

   週末はとんでもない目にあった。  ちょっとした親切心が仇となり、社内一のイケメンに危うく食われそうになったとか、マジで洒落にならない。 「ねぇ、今日、あんまヨくなかった……? なんか、賢さん。集中してない感じだったから」 「いや。そんなことない。相変わらずコウは可愛いし、凄く良かったよ」  繁華街の安いホテルの一室での逢瀬。  SNSの掲示板で知り合ったまだ幼さの残るハタチそこそこの可愛らしい男と身体を重ねるのが、ここ最近の週末の日課。  お互い本名の一部である“コウ”、“賢さん”と呼び合い、半年ほどの付き合いが続いている。  恋人ではない。トモダチでもない。つまり身体だけの関係。 「飯でも食いに行くか?」 「うん! 俺、ラーメン食いたい」 「はは。安上がりだな、コウは」  初めての相手は、中学の時付き合っていた同級生の女子だった。  周りの友達がいうほど、女とのセックスがイイと思えたこともなく、柔らかそうなおっぱいがついた身体より、引き締まった筋肉のついた身体に性的興奮を覚えることに気づいたのは高校に入った頃。  漠然と、自分はソッチ側の人間なんだということに気づき、それを気取られないために“普通の男”の皮を借り、普通のフリをしていまも社会に溶け込んでいる。 「コウはさ。その──友達とか親とか、コウがそういうんだって知ってんの?」  ふらりと入ったラーメン屋で、目の前の餃子を突きながら訊ねると、コウがニッと小さく笑った。 「いや? 知らないよ。──つか、言うワケないじゃん。いろいろやりにくいし」 「……だよなぁ」 「何で? 賢さんは?」 「俺も誰にも言ってないな。知ってんのは、ネット系で知り合ったそれこそソッチの奴らだけだし」 「俺、一人だけ知ってるやついるんだ。女の子だけど仲良くて。男友達には言えないなー。“キモ”とか思われたら友達終わっちゃう気がすんじゃん? この先社会に出ても、後ろ指さされることはあっても歓迎はされないだろうし、普通のふりして生きてくほうが生きやすいかなーってさ」 「正論だな」  筧自身そうして今まで生きて来た。  職業によってはそれが弊害にもならないこともあるだろうが、大半の職業ではそうもいかない。  “普通”であるべきとは思わないが“普通”であるほうが生きやすい世の中なのは事実だ。 「どうしたの、急にそんな話?」  コウがラーメンを啜りながら訊ねた。筧は、そんなコウに小さく微笑んでから餃子を頬張ると「旨っ!」と小さく感嘆の声を上げた。 「いやなー。うちの会社に入ってきた新人が、この間歓迎会の席で自らゲイだってカミングアウトしたんだよ」 「へぇー? 勇気あるね、そいつ」 「だろ? イケメンだから引かれこそしなかったものの、妙な空気になってな? 普通、そんなことしないだろ?」 「俺だったらしない。変に距離置かれたり、仕事しづらくなったりするの嫌だし」 「……だよなぁ」  いま、冷静に考えてみてもあの時の君島の行動が全く以て理解できない。 「ただ。ちょっと羨ましいかなー、とも思うよね」 「あ?」 「自分は自分だ──って。ありのままの自分で生きて幸せになれるんだったら、誰だってそのほうがいいだろうしさ」  それも正論。同性愛者に限らず、この世に偏見や差別がなかったら、みんながみんな己を無理に偽ることなく自分らしく生きられるだろうに。  それから何日か経ったある日の事。  筧が普段通りの時間に出社すると、部内の雰囲気がいつもと少し違っていた。それもそのはず、新入社員の配属が決まり、今日から正式にそれぞれの部署に配属されることになっていたことを思い出した。  朝礼前、課長が新人たちを引き連れてやって来た。そこには見覚えのある顔があった。 「君島、まさかウチに配属とはねー」  背後の席の三井が眉をひそめ小声で言った。  正直、あの男に興味はないが。苦手な人種であることには変わりない。  ふいに筧はあの夜のマンションでの出来事を思い出し、ブルッと頭を振った。出来事と言っても実際に何かあったわけではないが、酔っていたとはいえ、さすがにアレはいただけない。 「三井! それから筧もちょっと来てくれ!」  課長に呼ばれ、三井と顔を見合わせて席を立った。  ああ、嫌な予感がする。このタイミングで課長に呼ばれるということは、何かしら新人絡みの厄介事を押し付けられそうな気が──渋々返事をして立ち上がると、課長が妙にわざとらしい笑顔でこちらに向かって手招きをした。 「今年も新人の教育係頼むな」  筧は三井と顔を見合わせ、やっぱりかと苦笑いをした。 「そんな顔すんなよー。おまえらだって、補佐いりゃ助かんだろー?」  去年入った新人も筧と三井が面倒をみる羽目になった。入社六年目の二十七歳。そういう年まわりだというのは重々承知しているつもりだが、またか…と溜息のひとつもつきたくなる。 「とりあえず──君島は筧。森田は三井に付け」 「──は?」  思わず声に出た。 「なんだ、筧。何が不満か?」 「いや、何でもありません」  よりによって、相手が君島とは。自分もほとほと運が悪い。 「じゃ、森田くん。こっち」  三井が小さく息を吐くと、早速新人を自分の席のほうへと連れていく。人当たりも良く面倒見がいい三井を上司も良く分かっているからだ。 「君島です。改めてよろしくお願いします、筧さん」 「……よろしく」  この見た目だけは無駄に爽やかで、実のところ何を考えているか分からない得体の知れない新人をどう扱えばいいのだろう。  筧は小さく息を吐き「こっちだ」と君島を促した。  苦手だろうが、得体が知れなかろうが、教育係は逃れられない。自分たちも先輩社員に就いて仕事を覚えて来た手前、文句を言える筋合いもなかった。   「──では、また改めて契約にお伺いします」  取引先への営業を終え、君島の運転する営業車の助手席で筧は大きく息を吐いた。  数カ月前から足蹴く通っていた取引先でようやく契約了承の返事を貰えたところだった。 まだ辺りはずいぶんと明るいが、時計を見るとすでに夕方五時をまわっていた。 「今日、このまま戻るか」 「はい」  君島と一緒に仕事をするようになって一カ月。  極めて客観的にこの男を分析するとすれば、頭の回転が早く理解力も抜群。柔軟なコミュニケーション能力も持ち合わせており、取引先からの受けも悪くない。部下としてならば限りなく優秀といえる。 「筧さん。このあと飲みに行きませんか」  営業車に乗り込みハンドルを握った君島が言った。 「あー? 何で」 「何でって。せっかく契約も取りましたし。お祝いですよ」 「……おまえと、二人で祝ってもなぁ」 「ケチくさ! 森田なんて、三井さんにもう何度も飲みに連れてってもらってるそうですけど」 「……」  そう。この後輩にあるまじき図々しさと口の悪さを除けば。 「筧さんには後輩を労おうとか、そういう気持ちはないんですか」 「それを言うなら、おまえがお世話になってる先輩(おれ)を労え」 「じゃ。俺が奢ります」 「それはそれで、余計気が進まんわ」  なぜかこのイケメンは俺を構いたがる。 「いいじゃないすか。たまにはー」 「あのなぁ。俺じゃなくても他に誘ってくれるやついるだろ? 何だっけ……受付の女の子たちとか、企画部の男共とか」  あんなカミングアウトのあとも、それはそれ、と割り切る女の子たちの誘いは耐えないらしい。所詮、ゲイだろうが、ちょっとばかりおかしなところがあろうが、イケメンならば許されるというやつ。  最近じゃ、ゲイだと公言したことが功を奏して、サクラ的な意味で男性社員たちから合コンの誘いも絶えないらしい。 「だから。そーいうのは面倒なんすよ。イイ顔するのも疲れるし」 「俺の前でもイイ顔しろよ」 「仕事中はしてるじゃないっすか。筧さんには最初からいろいろ見られてるし、今更……っていうか」  どうだろう、この言い草。最初に変な関わりを持ってしまったために、妙に“素”で絡んでくるあたり面倒くさいことこの上ない。 「おまえ、酔うとタチ悪いからヤダ」 「何がです?」 「覚えてないならいいよ」 「“お礼”させてって言ったやつすか?」 「──っ」  覚えてんじゃねーかよ! 「おい。君島、信号変わった」  筧が前を見たまま言うと、君島が静かにアクセルを踏む。 「アレ、あながち冗談でもないんですけど」  冗談じゃないなら、尚の事タチが悪いというものだ。 「おまえ、なんだって俺に構うんだ?」 「──だって、筧さんも俺側の人間だから」  君島がチラとこちらを見、左にハンドルを切りながら答えた。 「……は?」  君島が隣で小さくと笑うのと同時に、自分の顔が引き攣るのを感じた。 「図星、でしょ? 筧さんは俺と同類だ」 「……何言ってんだ」  今まで、自分がゲイだということは誰にもバレたことはなかった。学生時代から今まで──親はもちろん、近しき友達にも。  自分がそうであると自覚して、それを冷静に受け入れた。この先どう生きるべきか選んだのは自分自身だ。  べつに“普通”になりたいとは思わない。けれど、“普通”でいるほうがラクに生きられる。 世間の偏見や差別をかわす術を他に思いつかないからだ。 「俺、分かっちゃうんですよ。あ、筧さんはそういうのないですか?」 「……俺は」  訊ねられて筧は言葉に詰まった。言われてみれば確かにそうだ。どんなにその“普通”を隠れ蓑にしていても、同族の人間のそれは勘で嗅ぎ分けられることが多い。 「最初見たとき、すぐ分かりましたよ」  余程表情が硬かったのだろう。君島がすぐに言葉を続けた。 「そんな怖い顔しないでくださいよ。あなたが、そうしてる気持ちもわからない訳じゃない。むしろ、分かり過ぎるくらい分かるっていうか」 「──じゃあ、何が目的だよ」 「べつに。ただ、楽しくやれたらなってだけですよ。……というわけで、せっかくの週末なんで飲みにでも行きません?」  結局、そこに戻るのか。しかも半ば脅しみたいなもんじゃねぇか。 「それ、脅迫って言うんじゃねーの?」 「人聞き悪いな。駆け引きですよ」  そう言って余裕の笑みを浮かべたコイツに、関わらなければ良かったと本気で思うのはもう少し先の話。

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