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第九話

 それから数カ月。煙草休憩を終えてフロアに戻ると、君島が筧を見つけるなり立ち上がった。 「筧さん! キタノコーポレーションさんから今お電話ありまして。例の契約、オッケーだそうです。明後日改めて来てほしいと──」 「お。マジか」  先方の担当者が外国人で、流暢な英語を話せる君島が主に話をつけてくれていた。新人のころから優秀な部類ではあったが、最近ではめきめきと頭角を表している。 「つーわけで、はい」  君島がニヤと笑って、掌を俺に差し出した。これは自分に対する褒美の催促。 「わーってるよ。ニヤついてないで仕事戻れ、バカ」  褒美と言っても高級なものを催促される訳ではなく、君島の望む些細な願いを聞きいれてやればいいだけの話。  どこから見ても優秀なこの後輩は、なぜか真面目なだけで他に取り柄もない俺にご執心。  未だにその事実が信じ難く、世の中どうなってんだと筧は首を捻るばかりだ。 「とりあえず、お祝いに飯っすね」 「おまえの奢りな」 「何言ってんすか、ここは先輩が奢るとこでしょ」 「じゃあ、さっさと仕事片付けろ」  苦手だったはずのこの後輩のなんとも強引で真っ直ぐな想いにほだされ、絶賛順調にお付き合い中。これこそ自分の人生史上最大のミラクルだ。 「筧! すげーじゃん! キタノの契約取れたって!?」  夕方、営業からもどって来た三井が筧の姿を見るなり嬉しそうに言った。 「おー、サンキュ……っっても、今回はほぼこいつの手柄だけどな」  隣に座る君島の肩を叩いて言うと、三井が「おー、優秀優秀!!」とグシャグシャと君島の髪をかき混ぜた。 「つーわけで。お祝いに飲みにでも行く? 俺奢っちゃるし」  三井の誘いに、君島がグシャグシャにされた髪を直しながらあからさまに嫌な顔をする。 「え。なによ君島、その顔」 「……べつに」  最近、少し気になっていることと言えば君島のキャラが崩壊中な事だ。  以前は、筧に対してふてぶてしいものの、その他大勢にはそれなりの愛想を振りまいていたのだが、ここ最近は男に対しても警戒心が半端ナイ。  入社したばかりの頃のクールさは、どこ行った? と呆れるやら何やら。 「ダメですよ、三井さん邪魔しちゃ! 君島くんは筧さんにお祝して貰いたいんですから」  横で話を聞いていた森田が、ニヤニヤと笑いながら言った。 「は。何ソレ。せっかく──」 「はいはい。三井さん。飲みなら俺が付き合いますから、そこの夫婦邪魔しないでやって」  森田の言葉に今度は筧がハッとした。 「──おい、森田。今の何だ?」 「え? だって──二人、付き合ってるんですもんね!?」  森田がさも当たり前のように自分と君島を見比べて言った。 「……はぁっ!?」  ガタン!! と思わず立ち上がると、フロア中の視線がこちらに集中。 「あ──いや。悪い、大声出して」  ずれた眼鏡を直し慌てて声を落とすと、森田がさらに言葉を続けた。 「筧さん。みんな知ってますからね」 「は?」  若干パニックになって君島を見ると、当の本人は明後日の方向を見て素知らぬふりを決め込んでいる。 「はぁっ!? ちょい、待て! どういうことだ?」  恐る恐るフロアを見渡すと、皆が生温かい笑顔でこちらを見ている。 「……おい、君島?」 「何すか」 「どーいうこったよ、これ」  君島と付き合うようになってからも、筧自身は今まで培ってきた人間関係を壊さない為のスタンスは変えてはいない。  むしろ以前にも増して気をつけているつもりだ。それは、もちろん仕事においてもプライベートにおいても。 「君島、ちょ、顔かせや」 「嫌ですけど」 「おまえ、何した?」  つーん、と知らぬ存ぜぬな態度の君島に大きく息を吐き出すと、森田がおずおずと小さく手を上げた。 「あのですね、筧さん。社内中に筧さんに対する君島バリアが張り巡らされてましてー。“筧さんに手ぇ出すな”ってそりゃもう、あの手この手で筧さんに近づく輩を排除してまわってましたから」 「はぁあ!?」  涼しい顔で今までどおり適度な距離感保って出来のいい後輩装って、自分の目が届かない所でそんな裏工作がなされてたとは。 「君島ぁ! コラァ!! どーゆーことだよ」 「俺が“一方的に好き”で狙ってたってことしか言ってないですけど」 「──だからってな!」 「言ったでしょ。筧さんが他のやつにモテるの嫌なんすよ。……仕方ないっしょ、それだけ必死なんだから」  と、横暴なイケメンが開き直った。 「──だから、なんでそうなんだっ!!」  思わず声を上げると、フロア内に皆のクスクス笑いが広がる。  あちこちから「痴話喧嘩はほどほどに!」なんて声が上がり、自分たちのことが皆の周知の事実だということを悟った筧は思いきり脱力した。 「……クソっ! またからかわれた」  数ヶ月前に起こったまさかのゲイバレ事件。  君島のせいで、自分がこれまでの人生必死になって隠していたことを、皆がすでに知っていたという事実にもの凄い羞恥に襲われたものの、知っていたのに皆の態度が変わらなかったということに職場の同僚たちの温かな人間性を垣間見たような。  社内ではすでに公認となってしまった二人の関係だが、蓋を開けてみればそれが思ったほど生きにくくはないということに気づいた。 「本当、おまえには参る、マジで……」 「飽きないでしょ、俺といると」 「腹立つほどにな!」 「それ、褒め言葉と思っても?」 「いや、褒めてねぇし」  こんな言い合いも、随分と慣れたものだ。 「さて、賢太郎さん! 明日休みなことですし、今日のご褒美は朝までコースでいいですか?」  今日も新しい契約に扱ぎつけた君島に褒美の催促をされている。 「は? 朝まで飲み歩けって?」 「違いますよ。言葉で聞きたいすか?」  ニヤと笑った君島の笑顔に嫌な予感。 「つまり──朝まで俺のマグナムをアンタのケツに咥えこませてエッロイ声で喘がせてやりますから」  相変わらずのゲス発言。 「……本当、お前の頭何でできてんの?」 「アンタへの愛と執着……それから、止まらない欲望?」  その言葉に筧は思わずブルっと身震いした。  ほんと、怖ぇえ。怖すぎる、このイケメン。 「──だから、なんでそうなんだよ、おまえはっ!」  けど、案外悪くない。愛し愛され今を生きる。  愛のカタチは人それぞれ。  思うままに生きてみよう。  一人じゃ辛いかもしれない事も、二人ならきっと思ったより幸せだ。 -end-    

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