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終
内紛は何の前触れもなく激しさを増した。
僕らは帝国が封鎖される寸前に関所を抜けて、隣国へ続く峠へ逃れることができた。僅かな家財を乗せた荷車を馬に引かせ、長男の季一 をおぶり、身重の妻、さえの手を引いた。
さえは僕が下男として長年仕えた商家、藤和屋の娘だった。さえは息子を失い、消沈していた僕を心配し、よく長屋を訪ねて来てくれた。屋敷の外で会うことが多くなり、自然と懇意になったが、まさか夫婦になれるとは思っていなかった。
藤和屋の旦那様、さえの父がこの世を去ったのは今から十年前のことだ。息を引き取る数日前に急に店を畳み、今まで反対していた僕とさえの仲を認めてくださった。
死期を悟り、娘の幸せを僕に託してくださったのだろう。僕は失ったあの子の分までさえを幸せにすると誓い、その通りに生きてきた。
だが、季一があの子と同じ年になった頃、急にその文が投げ込まれた。
雨の夜だった。
不審に思いながら開くと、それは急な書付を謝るところから始まり、内紛が悪化するだろうから国外へ逃げるようにと唐突に忠告を連ねて締めくくられていた。
信じやしなかっただろう。
文の最後に書かれた名を見なければ。
『――良夜 』。
それはあの月夜に出会った僕の息子の名だった。
文を読み終えてすぐ僕は長屋を飛び出した。
静かな雨の中、通りを見渡すと遠くに人が見えた。背の高い若者が線の細い連れ合いの腰を支えて歩いている。
二人は傘もさしていないのに、不自由さを感じさせることなく、ただひたすら仲睦まじく雨靄の中に消えた。
「あっ」
さえが濡れた石で足を滑らせる。
僕は慌ててそれを支えた。
「大丈夫かい? 長雨であちこち滑るから」
「ちょちゃ、みちぇ」
五つになったのに舌っ足らずな季一が、母の窮地などお構いなしに僕を呼ぶ。
「季一、今は……」
駄々をこねる季一を背から落とさないようにかばいながら、何とかさえを支えた。
ふう、とさえが息をつき、季一に謝り、どうしたのか尋ねる。
季一は興奮気味に「にじでちぇる!」と叫んだ。
冬なら雪崩が起きそうな大声だった。
虹くらいで騒ぐなんて子どもは呑気なものだと思って、一応空を見てやると雲が五色に輝いていた。
「五色雲……」
彩雲とも呼ばれる雲で、近くに龍がいることを知らせるものでもあった。
龍は天候を操る獣で、それを祀る国には恵みが訪れるという。転じて、五色雲を見ることができれば幸せになれると言われていた。
「りゅーしゃま」
季一が拝むように手を叩いた。
僕とさえも「龍様」と手を叩いて恩恵に預かれるよう祈った。
それにしても、龍とはどのような姿をしている生き物だろうか。
つののある蜥蜴のようだとも言われ、人間に寄り添うために人の姿をしているとも聞くが、実際に会った人はなく、噂はどれも定かではない。
「きれいねえ」
祈りを終えると、さえが腹の子を撫でながらしみじみとつぶやく。
「ああ」
僕はそうっと彼女の肩を抱いた。
今頃、良夜もどこかでこの雲を見ているだろうか。
……いや、きっと、見ているだろう。
そして僕と同じように、大切な人の肩を抱いている。
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