338 / 558
第335話
「……」
愁の頭を撫でながら、シート越しに吉岡を睨みつける。
………よく、覚えてるよ。
樫井孝弘の被害者リストをネットで見たっていう変態が、僕の住むアパート近くの茂みに隠れて待ち伏せして、突然襲ってきた時の事だ。
あの時、すんでの所で若葉と警察官に助けられて、危険だから泊まりにおいでって若葉に言われて……
「そのお陰で、若葉と姫が感動的な再会を果たし、僕が紹介したアパートに一緒に住む事になったんだよ」
「……」
「部屋を貸す前に、至る所に盗聴器を仕込んでおいたから、二人の会話は何処にいても良く聞こえたよ。
当然、あの事件の時もね──」
「………事件?」
「そう。黒アゲハの傷害事件」
動揺する五十嵐の反応を見ながら、吉岡が顔を歪めてくつくつと笑う。
「本当は何があったのか、教えてあげようか……」
車は次第に、次の繁華街へと差し掛かっていた。
それまでの廃れた街並みはすっかりと消え、洗礼された商業施設や様々な路面店が現れる。歩行者専用の信号から流れる障害者用の音楽。人工的な街路樹。排気ガスで薄汚れた空気を、降り続く雨が洗い流す。
「最初は、若葉らしくもない親子ごっこを演じていて、退屈したものだったよ。
姫のせいで普通の人間に成り下がっていく若葉の姿は、滑稽でしかなかったね。
……だけど、遂に本性を現したんだ」
「……」
「珍しく夜に姫が出掛けた後……呼び出された黒アゲハがアパートを訪ねた。
二人は以前から、合意の上でセックスする仲だったんだよ。黒アゲハは、殺した最愛の兄によく似ていたようだからね。
そして二人が夢中になって馬鍬っている時に、何にも知らない姫が帰宅して。
………ハハッ。本当、見事なシーンだったよ」
ニヤついた声で得意気に語る吉岡。
まるで、そこに居合わせていたかのように。
「ショックを隠せない姫を寝具へと導いて、若葉は『兄弟仲良く性交』するよう脅した。とても艶やかな声でね」
「………どうして、そんな……」
「さぁ。僕に聞かれても困るなぁ。
でも恐らく……最愛の兄とは出来なかったそれを、二人で実現させる事が若葉の望みであり、生きる糧だったのかもね」
「……」
生きる糧──そんな単純なものじゃない。
最愛のお兄さんを殺した後、僕の母である志津子の元に残すのは可哀想だからと──幼いアゲハや僕を、血を滴らせるナイフで殺そうとしたんだから。
ともだちにシェアしよう!