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第335話

「……」 愁の頭を撫でながら、シート越しに吉岡を睨みつける。 ………よく、覚えてるよ。 樫井孝弘の被害者リストをネットで見たっていう変態が、僕の住むアパート近くの茂みに隠れて待ち伏せして、突然襲ってきた時の事だ。 あの時、すんでの所で若葉と警察官に助けられて、危険だから泊まりにおいでって若葉に言われて…… 「そのお陰で、若葉と姫が感動的な再会を果たし、僕が紹介したアパートに一緒に住む事になったんだよ」 「……」 「部屋を貸す前に、至る所に盗聴器を仕込んでおいたから、二人の会話は何処にいても良く聞こえたよ。 当然、あの事件の時もね──」 「………事件?」 「そう。黒アゲハの傷害事件」 動揺する五十嵐の反応を見ながら、吉岡が顔を歪めてくつくつと笑う。 「本当は何があったのか、教えてあげようか……」 車は次第に、次の繁華街へと差し掛かっていた。 それまでの廃れた街並みはすっかりと消え、洗礼された商業施設や様々な路面店が現れる。歩行者専用の信号から流れる障害者用の音楽。人工的な街路樹。排気ガスで薄汚れた空気を、降り続く雨が洗い流す。 「最初は、若葉らしくもない親子ごっこを演じていて、退屈したものだったよ。 姫のせいで普通の人間に成り下がっていく若葉の姿は、滑稽でしかなかったね。 ……だけど、遂に本性を現したんだ」 「……」 「珍しく夜に姫が出掛けた後……呼び出された黒アゲハがアパートを訪ねた。 二人は以前から、合意の上でセックスする仲だったんだよ。黒アゲハは、殺した最愛の兄によく似ていたようだからね。 そして二人が夢中になって馬鍬っている時に、何にも知らない姫が帰宅して。 ………ハハッ。本当、見事なシーンだったよ」 ニヤついた声で得意気に語る吉岡。 まるで、そこに居合わせていたかのように。 「ショックを隠せない姫を寝具へと導いて、若葉は『兄弟仲良く性交』するよう脅した。とても艶やかな声でね」 「………どうして、そんな……」 「さぁ。僕に聞かれても困るなぁ。 でも恐らく……最愛の兄とは出来なかったそれを、二人で実現させる事が若葉の望みであり、生きる糧だったのかもね」 「……」 生きる糧──そんな単純なものじゃない。 最愛のお兄さんを殺した後、僕の母である志津子の元に残すのは可哀想だからと──幼いアゲハや僕を、血を滴らせるナイフで殺そうとしたんだから。

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