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第3話 罪と快楽
男の手はまるで壊れ物でも扱うかのように私の頬を撫で、首筋をなぞった。
その丁寧すぎる手付きに、私を抱くのはあの賤 しい好々爺ではないのだと思い知った。
あの爺は私を物のように扱い、己の濁った欲望を満たす為だけに幼い私に触れた。
髪を掴み、鼻をつまみ口を開かせた。そして脚を開かせ、どんなに痛いと泣き叫んでも
「主への忠誠を見せなければならないよ? 私の肉体は神様の容れ物なのだからね。私を拒否してはいけない。キミは特別なのだから、他言は無用だよ。解るね? 私の愛しい子」
などと今思えばただの変態の言い訳を耳元で繰り返し、腹の中にぶちまけるまで揺さぶられ続け、傷付けられて流れた血があいつの吐き出した白濁に混ざって腿を伝う――あぁ、イヤだ。こんな時に、自分の意思で身体を預けようとしている瞬間にあの腐れ神父との事を思い出すなんて。
「……私は、神の容れ物ではありません。貴方の望まない事はしたくありません。そして貴方にはもう力がある。拒むだけの力がある。だから、だから泣かないでください」
「え……?」
知っていた――いや、見ていたかのような物言いに私は思わず身体を硬直させた。はくはくと言葉もなく口が動く。
ひょっとしたら、この男もあの好々爺の犠牲者だったのかも知れない、と誠に勝手な答えに思い至った瞬間、男にしては細く長い指がそっと戦慄 く私の唇に押し当てられた。
「貴方は乗り越えた。まだだと言うなら、一緒に乗り越えましょう?」
頷けば良いのか、反論すれば良いのか判らぬまま目を閉じた私をそっと横たえるとあの時とは確実に違う優しい重みにベッドが可愛くキシリと鳴った。
首筋を這う柔らかな感触に肌を粟立てつつ、やはり違うと確信した。
耳に届く息遣いも衣服を剥いでいく手付きも、そして何より、私が自らこの男の肌に直に触れたいと焦れている。
違うのだ。だから聞いて欲しかった。聞いた上で、まだ私を好きだと言えるのか、抱けるのか知りたかった。
「こんな、時にっ……ですけど、待って、くださいっ! 話して良いですかっ?」
返事は少しだけ身体を這う手の動きが緩やかになった事だろうか。勝手にそう解釈して、私は目を閉じたまま出るに任せて言葉を紡ぐ。
「私は……私はチョコレートや飴が嫌いです。大嫌いです。あの行為の後、口止めなのか誤魔化しなのか解りませんけど、渡される袋いっぱいの飴が……それを味なんかごちゃ混ぜになってもう入らないってくらい口に詰め込んで、あいつの臭いと味を必死に消して……それでも不味くて吐いて、また口に詰め込んで……ねぇ? 私の価値って飴とチョコレート程度だったんでしょうか? 惨めで痛くて誰にも言えない……今なら解るんです、私は何も悪くない。たまたま変態の目に止まっただけだって。同じ目に遭った子が目の前に現れたら、もちろん嘘偽りなくそう言います。でもあの時感じた罪悪感や嫌悪感は消えやしない。ずっと澱 のように溜まって腐って膨らんで――」
「そして?」
「入学してすぐ……同じ部活の二つ上の先輩に、教会で何度か会った事あるよな? って声をかけられました。けれど、正直覚えていなくて。適当に返事していたら、お前は大丈夫だったか? って。あのクソジジイ、大人しそうな子供が好物だからなって。それを聞いて、笑ったんじゃないかな? まさか、僕なんてって。すると彼は、じゃあ生贄は誰だったんだろうな、犬に噛まれたと思えれば良いなって言ったんですよ……犬に噛まれたって! 犬に噛まれたら、腹の中まで汚れますか? 飴玉を見る度に吐きそうになりますか? 人を噛んだ犬は……殺処分ですよね? 知能のある駄犬なんて、被害者を増やすばかりでしょう? あいつは陽の光を浴びて、優しい神父の仮面を被って、神の言葉を説いて尊敬されて笑って――おかしいじゃないですか。だからね、殺したんです。殺すつもりはなかった、なんて言いません。おそらく私は心のどこかでそうなる事を覚悟して彼の執務室を訪れた。高校生になった私に、あいつは卑しい笑みを浮かべて、身体が疼くのかい? でも私はキミみたいに大きくなった子は趣味じゃないんだ。果たして君で勃つかどうか……まぁ、どうしてもっていうなら、オモチャを使ってあげるからね? って。萎びたペニスを取り出そうとするあいつのテーブルの上にたくさんの飴玉が入った瓶があって……飴玉が……」
「まだ続いていたんですね? あの頃の貴方のように苦しむ子供が存在した。だから貴方は」
ゆったりと頬を上下する男の指の感触に閉じていた目を開けた。そして私は真っ直ぐに男を見つめ、ほんの一瞬呼吸を止めた。
「どんなに気持ち悪かったか。どんなに自分を蔑 んだか。どれほど真実を見抜けない親を恨んだか。そんな事を一つ一つ教えてやりながら、カラフルな飴玉のたくさん詰まった瓶で頭をカチ割ってやったんです。殺処分、したんです。この手で。弱々しく助けを乞うあいつの頭を潰しながら、私は過去の罪が浄化されるのを感じたんです。やめて、と床に転がり身体を丸める姿に子供の頃の自分が重なったのかも知れません。とても気分が良かった……あいつの頭がグチャグチャになったのか、瓶が割れたのか……どっちが先だったかな? とにかく、私の手は血塗れで、身体も既に汚れていて、人殺しです。それなのに貴方に好きだと言われて、本当に毎日来てくれて、嬉しかった。嬉しかったんです、罪人のくせに……貴方はそれでも」
「貴方が好きです」
「神など、とうの昔に信じていなくても?」
「愛しています」
「善良な神父の仮面を被った殺人鬼を、貴方はその綺麗な腕に抱けますか?」
愚問ですね、と微笑んだ男はちらりと私の様子を伺うと再び手を動かし始めた。
あくまで優しく。慈しむように、反応を示す場所を探るように。
不意に重なる唇はいつしか互いの唾液でテカり、たまに糸を引いた。咥内を蠢く舌すら緩やかで、一方的な欲を押し付けてはこなかった。
「っん、はぁっ、あな、たは変わり者、ですね」
「……はみ出し者、もしくは……落伍者、ですかね」
「そうなんっ……あぁっ、な、にっ!?」
ピリッと走った微弱電流のような衝撃に思わず飛び起きようとした私を男がチロチロといやらしく立ち上がった乳首を舌で弾きながら制した。
「嫌なら、やめます、よ?」
平坦な胸の突起を舐められ、それによって快感に似た何かが生まれるなんて知りもしなかった私は男の髪に通した指をどうしたものかと迷いながらゆっくりと梳くように動かした。それが行為の続きを促すものだとは思いもしなかったのだが、どこか安心したように細められた男の目に胸の奥がほわりと温かくなった。
「ちゃんと、言って。二人でする事だから、ちゃんと教えて。私はもう、貴方の事を全て理解できるほどの力がないんです」
「え? 何を言って……? え?」
二人でする事だという至極当たり前の事に衝撃を受けつつも、男の言葉が気になったが、その疑問を口にする前に、私は緩く勃ち上がりかけた半身を男の手に包まれ、新たな刺激に呻き声を発する事しかできなくなった。
「良かった、勃ってる……嫌じゃないですね?」
「んっ、や、じゃ、ないっから、いちいち、聞かないでくださいよっ!」
人の気も知らないで――そんな思いで髪を引くと、マヌケな声で男が呻いた。
「いった……ちょっと髪を放してください? そんなに根元を掴まれてたら、できない」
「え? 何を、あっうそ……」
素直に放した自分を呪いたくなった。
下腹部に男の呼吸を感じる。熱くヌメッた咥内にかっぽりと私のはしたない半身は飲み込まれ、なおかつ舌で丹念な愛撫を受けていた。
「い、いやだ。やめて、くださ……汚い、汚いからっ」
喉の奥まで突っ込まれる息苦しさ、鼻腔を駆け抜ける生臭さ。そして吐き出される粘った液体の苦さ。
何一つ良い思い出などない。その苦行を何故この男は進んで行うのだろう?
「大丈夫。汚くない。私は貴方が感じたような苦痛は感じていないから!」
だから安心しろとでも? そんな、無理だろう! イヤだ。ダメだ。軽くパニックになった頭で男の髪を再び引いた。
「っん? 落ち着いて……焦りすぎたかな、でも、痛くしたくないんです。たくさん気持ち悦 くなって欲しいし、それは悪い事じゃないんですよ? もし悪だと言うなら、私は貴方と一緒に染まりたい」
「いや、じゃ、ない? うそ、だ」
「決め付けないで。比べないで。私は強制されたわけじゃない。貴方が好きで愛しくて、自分で望んでしている事。少しも気持ち悦くないですか? 気持ち悪いですか? 怖いですか?」
呂律すら怪しい私に理路整然とした説明などできなかった。
嬉しいと思ってしまった事も、気持ち悪くない、怖くないと伝える事もできず、ただしゃくりあげながら首を振った。
「目を閉じたら思い出してしまうのなら、私の旋毛 でも見ていてください」
ひどく愛おしげに亀頭に唇を寄せると、男は再びソレを咥内に招き、先ほどと変わらず優しく時に激しく刺激を与え続けた。その快感は胸を弄られた時とは格段に明確で、ずくんずくんと腰に熱がたまって渦を巻く。自分のものとは思いたくもない嬌声を発しながら、霞んだ頭の片隅で男の顔がちゃんと見えない事をとても残念に思っている自分がいた。
男の舌が陰嚢をなぞり、更にその奥へと向かう。大きく開かされた脚の間で揺れる髪に太腿をくすぐられ、恥ずかしさとあの場所に触れられる恐怖を思い出し、乱れた呼吸が一瞬止まった。それに呼応するように、男の動きもピタリと止まった。
ふっと吐き出された息があらぬ場所にかかり、再び身を硬くした私に男が穏やかに声をかけた。
「……逆でも良いんですよ?」
「ぎゃ、く?」
「怖いんでしょう? 幼少期に植え付けられた記憶は消えません。貴方が構わなければ、私が抱かれる方でも……私は貴方と愛し合いたい。溶け合いたい。ただそれだけだから」
人の脚の間で言うには真摯なセリフに意図せず吹き出してしまった。
おかげで、過去の恐怖から今現在の現実に目を向ける事ができた私は、手招きして男を呼んだ。男は叱られるのを覚悟した犬のような情けない表情をはりつけて、私の脚の間からぐっと身体を伸ばすと両肘を私の顔の左右に置いた。
「私は、あれ以来、性的な意味では誰とも触れ合ってこなかった。だからいきなり抱けと言われても正直困るし、何より……」
こんな風に誰かの首に両腕をかけて抱き寄せる日が来るなんて――しかもベッドの上で。
「貴方に、上書き、して欲しい、です」
殺人鬼の私でも愛していると言ってくれるこの男となら、意味を見出せる気がする。
ああ、と男の洩らした吐息がやたらと熱かった。
そして再開された男の行為に、やはり私は戸惑い、時に素っ頓狂な声を上げて男の手を止めさせてしまう。
舐められるのはどうしても嫌だと駄々をこねた私に折れて、何度も唾液で湿らせた指で不浄の孔をぐちぐちと弄る男に半泣きで、さっさと突っ込めば良いだろう! と言うと、呆れたような溜め息と共に、あの神父のように強姦したいわけじゃない。これは必要な事なのだと諭すように言われてしまえば、大した知識を持ち合わせていない私はそんなものかと納得すると同時に
「愛してる。綺麗だ」
という何度も繰り返される男のセリフがなんともむず痒く胸の奥に響き、さりとてまともな返事すらできぬままに男の肩に爪を立てた。
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