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【SS】小林くんだけが知っている

今夜はバイト先のメンバーで飲み会だ。繁忙期を乗り切ってのお疲れ様会、という名目らしい。 24時間365日営業のホテルという職場柄、全員が集まることはまず不可能で、今夜もシフトに入っていない十人強のメンツで居酒屋の座敷に集まっていた。 空いてれば社員も参加し、飲み代の半分ぐらいポンと払ってくれたりもする。 今夜はとても珍しいことに、副支配人が来ていた。副支配人は仕事は完璧だけど、その分周りに求めるレベルも高くて、指導も厳しいので、バイトからはけっこう恐れられている。まあ俺はきちんとしてるから、叱られたことは無いけど。 若い学生やフリーターがほとんどであるバイトスタッフが集まれば、だいたい話題は恋愛絡み。職場恋愛も少なくなく、あいつと付き合ってたあの子が今度はこいつと、なんてことも珍しくない。 「で、副支配人って今彼女いるんですか?」 空気を読まないことに定評のある高橋が急に話題を振った。明るく元気、それだけがウリのこいつは、人懐こく悪い人間ではないのだがしばしば地雷を踏む。お客様にもご迷惑をおかけすることがあり、そのたび副支配人から注意されているのに、なぜ話題を振るのか。その勇気にはある意味敬意を表する。 「うん、いるよ」 あの日以来、副支配人はこの手の質問に対して有耶無耶な答え方をしなくなった。そう、俺が副支配人の恋人と遭遇した、あの日以来。 ま、厳密には彼女はいないですけどね、副支配人さん。まあそこは流しておくのが賢明だとは思う。 「あれっ、ついこないだまでいないって言ってたのに!」 「最近できたんすか?」 すっかり話題をかっさらってしまったようだ。副支配人もちょっとしまったって顔してるな。 こうやって騒がれたくないから隠してた、実はもっと前から居た、と手短に説明して、ウーロン茶を飲み干した。 「彼女さんどこ住みなんすか!」 「関西だよ」 「マジっすか?長距離恋愛じゃないすか!副支配人やりますね!」 だから高橋、周りの寿命を縮めるのはやめてくれ。 事実をただ一人知る者として、俺はヒヤヒヤしながらもわけのわからない優越感を味わっていた。あの夜、急いで部屋を飛び出した時にドアにぶつけた手首の傷に触れる。すっかりかさぶたも取れてなくなってしまった。それだけ日が経っているというのに、昨日の事のように鮮明に覚えている。リョウさんの気さくでフレンドリーな人柄、副支配人の優しい口調。夢のような空間だった。男同士、だけど、全然気持ち悪いとか嫌な感じはしなくて、自然と受け入れられた。逆にそうじゃなきゃおかしいだろって空気だった。 「出会いなんかないっておっしゃってましたよね?どちらで知り合われたんですか」 インタビュアーが少しは物の言い方をわきまえてる子に代わったので、皆の寿命は持ち堪えることになった。だけど副支配人、その質問には秘密だと誤魔化した。 えー、とブーイングが起こる中、今度は俺が訊いてみた。 「恋人はどんな方なんですか」 彼女、とは言わない。俺は知ってるから。 副支配人はしばらく俺の目を見ていたが、やがてゆっくりと重く口を開いた。 「なんでも出来る器用な子なんだけど、割とドジでほっとけない」 へぇー、とかヒュー!とかの声が飛び交う中、話は続く。 「けっこうわがままでこっちへの要求も多い、構わないと拗ねる、ずっと喋ってるし浮き沈みも激しくて、機嫌をとるのもいちいちめんどくさい」 この辺になると乾いた笑いが聞こえてきた。 「遠恋でそんな事言ってちゃ、もうかなりヤバくね?」 高橋、黙れ。 隣の女の子が高橋の膝をベシッと叩いてくれた。GJ。 「で、そんな彼女のどこがいいんですか?」 おっと、高橋に制裁を食らわした女子からのジャブ。言い方がちょっと失礼じゃないか? 「全部だけど?」 何を言ってるんだ、とでも言いたいような表情で、食い気味に副支配人が即答した。 「答えるの面倒だから全部なんて言ってるんでしょ〜!」 その手は食わない、とばかりに女子も応戦する。 「そんなことないよ」 「だってさっきあんなに不満いっぱい…」 また副支配人がきょとんとした。 「不満?」 「だって、どんな人かきいた時、嫌なところばかり…」 「あれも含めて全部だけど?嫌だとか不満だなんて言ってない」 しーんと静まり返る座敷の中、俺は俯いて、ニヤけるのを必死で我慢した。俺だけが知る、副支配人の恋人の顔を思い出しながら。 「はい、ご馳走様でした!今夜は副支配人の奢りだそうでーす」 そう言って立ち上がる俺を、副支配人は一瞬驚いたように見上げたが、すぐに微笑んだ。 「お幸せに」 一言、副支配人にだけ聞こえるようそう言うと、俺は店員を呼んで会計の準備を始めた。 【おわり】

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