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第2話
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「準備オーケーだよ」
水を張ったバケツを運び終えた男が袋から着火ライターを取り出し振り返る。
準備オーケーも何もバケツはコンビニの備品だし、店頭備え付けの掃除用ホースを使いバケツに水を張ったのは侑斗だ。
自分の手柄のようにされたのはちょっと心外ではあるが、袋から出した手持ち花火を鼻歌混じりに眺める姿を見ているとそういうつもりの発言でないことはわかる。侑斗の溜飲は自然と下がった。
――どれがいいかな。
台紙の上に並んだ花火をざっと見渡して一瞬悩みかけるが、どうせ最後は二人でこのたくさんの花火を消費しきることになるのだ。
適当に手を伸ばして指先に触れた種類のものを二本取り、そのうちの一本を男に手渡す。
「そっちの何にもない方に向けて?」
男の指示に素直に従って、燃えやすいものが何もないことを確認した方向へと花火を手向ける。男はご褒美だと言うように侑斗の持つ花火にライターで火を点けてくれた。
「……わ、」
着火して瞬きもせぬうちに、手にした棒の先から火花が噴き出し始める。噴出した火花はこうこうと音を立てながら暗闇を黄金色に染めて、辺りを照らした。
――きれい。
コンビニの脇道から入った広めの路地裏。見慣れた何の変哲もない場所が、花火の光であっという間に幻想的な空間に早変わり、だ。
花火に見惚れる侑斗を横目にしてしばらく黙っていた男は、自分が手にしている花火に点火しないまま着火ライターを残りの花火の傍に置き、侑斗の隣に立ち並んだ。
「火、もらうね」
言うが先か、侑斗の二の腕に男の肩が触れる。
――あ……。
Tシャツ越しの、自分のものとは違う体温。自分よりやや低めの熱を感じるほど、自分は他人との距離を詰め、触れ合っている。
そのことを自覚した途端、侑斗のからだはたちまち強張った。言葉は喉奥で引っかかり、どうしても発することができない。
やっとのことで男の問いに頷きで返すが、男はそんな侑斗の心情はお構いなしだ。侑斗の花火を持つ方の手首を掴んで自分の持つ花火の先に寄せた。
火花の根元に点火する花火の先を寄せ、炎を移す。ジリッという穂先が燃える音がしたかと思うと、男の持つ花火はすぐに新たな火花を噴き出し始めた。
一本でも辺りを十分に照らしてくれる花火は、二本集まるとまぶしくて目が眩みそうになる。けれど、どこかあたたかでやさしい。細めた目で眩しい光を見つめていると緊張がほどけて、徐々にきもちが落ち着いてくる。
ふう、と一息をついたところで、勢いを増す男の花火と入れ替わるように侑斗の花火が終わりを迎えた。
遅れて、消えた光の残り香と言わんばかりに焦げたにおいが鼻をつき、侑斗は顔をしかめる。特別嫌なにおいではないのだが、いいにおいというわけでもない。花火がらをバケツに差し入れたのとは反対の手で拭うように鼻をこすった。
「なんか、フルーツのにおいする花火が入ってるんだって」
くすくすとからかうような笑い声が聞こえてはっとして男を見やると、目だけで振り返った男と視線がかち合う。
「……」
見てたんだ、とは聞かない。熱心に花火を眺めていると見せかけて侑斗のこともしっかり観察していたらしいことは、ここのところの男とのやりとりでわかりきっている。気の抜けた姿を見られて恥ずかしいやら悔しいやら、とにかく侮れない男だ。
特に返事はしないで残りの花火から次の花火を選んでいると、小袋に入ったままの花火が目に入る。小袋には『イチゴの香り』の文字。男が言っていた花火はこれらしい。
「やってみたら?」
「ん。そうする」
ろくに見てもいない男に行動をずばり当てられるのは相変わらず悔しい心持ちがするけれど、どんなものか気になっているのも事実。小袋から取り出したピンク色の花火にライターで火を点けた。
持ち手のデザインからして色とりどりで目にも鮮やかな花火は、火を点けてもやはり美しい。
最初から勢いよく火花を散らすもの。長い時間をかけて燃える間に色を変えるもの。散る火花が星のような形をしているもの。柳のようなきれいな流線を描くもの。爆ぜる音がぱちぱちと軽快なもの。
久しぶりにするからどれも新鮮に映るのか、技術が進化していてそう思うのかはわからない。最後に花火をしたのがもう何年も前のことになるかはっきり覚えていないから、どちらもなのかもしれない。
「――で。さっきの最後ってどういう意味?」
お互いに残しておいた花火の最後の一本に点火すると、突然、男が問いをぶつけてきた。
脈絡もなく蒸し返したわりにはコンビニ店内で聞いてすぐの自分の感情までもを思い出したのか、男の口調はやや怒り気味だ。
――さっきも思ったけど、なんでこのひとは怒るんだろう。
花火をたのしみながらいろいろと探ってみてもさっぱりわからず、見当すらつかなかった。侑斗は戸惑いながら自身のことを明かす。
「言葉のとおりですよ。今日で夏休みが終わりなんです」
「もう学校始まるんだ」
「新学期はまだですけど、大学受験生用の補講があるから明日帰らないと」
「帰る?」
「寮に住んでるので」
山奥に建てられた私立男子校の高等部に通う侑斗は、普段は併設の寮で生活している。
夏休みなどの長期休暇には必ず実家に帰省するようにしているが、特別やりたいことがあるわけでも何か深い意味があるわけでもない。
それこそ、侑斗が中学生のときに先祖代々続く八百屋だった建物を改装しコンビニにしてからは、その手伝いをするために帰っているようなものだった。オーナーである祖父曰く、侑斗がするのと同じように常勤のアルバイトの者たちにも里帰りの夏休みを与えたいのだそうだ。
「なんかそれって矛盾してる気がするんだけど」
「まあ、俺自身が保護者の了承を得た上でお小遣いが稼げてラッキーくらいにしか思ってないですし」
「ふーん」
話のキリのいいところで揃ってお互いの花火が消える。違う種類の花火に別々に火を点けたはずなのに不思議だ。
侑斗が花火がらを水張りバケツに差し入れようとすると、男は侑斗の分も併せて捨ててくれた。焦げたにおいがする替わりに甘い香りが鼻腔をくすぐって、これは男の香水なのだろうかなどと考える。
――さっきの説明で納得してくれたかな。
最後とはどういう意味だと問うたときのような刺々しさはもう感じないものの、納得のいかないような声色の相槌だったことが引っ掛かる。
ただ、疑わしげな相槌を打たれたのは今日これで三度目だ。もしかしたら男にとっては何てことはない癖のようなものなのかもしれない。
「あのさ」
事実、くるりと振り返った男は不機嫌そうなどころか、ご機嫌にしか見えなかった。
「せっかくだし、長く点いてた方が質問できるって賭けをしよう。十本しかないから五回勝負な」
有無を言わさず男が侑斗の手に握らせたのは、数本のこよりのようなもの――線香花火だった。
長く玉を落とさないでいるといいことがあるという話は聞いたことがあるが、それで賭けをするというのは初耳だ。どうも胡散臭い。
とはいえ、断ろうにも釣り銭の件を持ち出されるのは目に見えているので侑斗に拒否権はない。男の合図に合わせて、男が点火しているライターで一斉にこよりの先を炙る。
若干うねりながら丸まって玉となったこよりは、次第にパチパチと音を立てて爆ぜ始めた。小枝を折るような小気味のいい音が耳に心地よい。
しばらくして、臙脂色の玉が一つ地面に消えた。落としたのは男の方だ。
「それでは質問どーぞ。ちなみに質疑応答中に並行して次の勝負を行うってことで。んで、玉が落ちたら前の質疑応答は時間切れね」
「わかりました」
始まってからルールを説明するのはどうなんだろうと思いつつも、乗り気ではないからいいかと思い直して二本目のこよりに火を点ける。
あらかじめ男への質問を用意してはいないので、侑斗は加えて質問を考えた。
「……じゃあ、今日のお昼ごはん何食べたか教えてください」
「えっ、そんな質問でいいの? 聞けば普通に何でも答えるよ?」
「いいじゃないですか別に」
「でもさあ」
「今は俺が質問する側なんですけど」
時間がないので逆質問は禁止だと暗に示すと、男は渋々と「素麺」と口にする。その拍子にまた男の方の玉が落ちた。
その次の勝負も侑斗が勝利し、素麺、総菜パン、野菜炒め弁当という、男の一日の献立を聞き出した。
きっと素麺以外はコンビニの商品に違いない。男が初対面以来、コンビニに足繁く通ってくれていたことを改めて実感する。
続く四戦目も侑斗の勝利に終わったが、さすがに何を食べたかという質問を何度もくり返すわけにはいかない。それまでとは違いすぐに質問したりはせず、侑斗は考える。
「ねえ、質問する前に終わっちゃいそうだよ」
正真正銘最後の花火に火を点けて、こよりが作った玉が火花を散らし始めても、侑斗は考えていた。
悩んでいるのは質問する内容じゃない。もっと根本的なことだ。
「本当に何でもいいんだよ、普通に答えるし」
「そうですね。決まりました」
何なに。玉を落とさないように注意をはらいながら、男が器用に身を乗り出す。
「あなたが賭けに勝ったら、あなたは得しますか?」
「――え?」
瞬間、男の切れ長の目は丸くなり、ぽかりと開いた薄い唇が言葉を失う。
美人のきれいな顔はびっくりしたかおもきれいなのだ。場違いな感心をしながら頷くと、侑斗の持つこよりからぽとりと火の玉が落ちた。
「あ、落としちゃいました。時間切れなので答えなくていいですよ」
「……」
よくよく考えれば、最終戦だけは次回戦をする必要がない分、質疑応答に時間制限がなくなるから――つまり、時間をかけて質問を考えることも、相手を追及して必ず答えをもらうこともできるから、勝者はお得だ。
もしかして、男は最初から最終戦だけを勝つつもりでいたのだろうか。怪しまれないためにそれまでの勝負に全部負けて、侑斗を油断させたのだろうか。
その真相はわからないけれど、あれだけ動揺して玉を落とさないでいられたのだから、どちらにせよ実力はありそうだ。でも、日常生活にはまるで役立たないだろうな。
そんなどうでもいいようなことをつらつらと考えて男の質問を待っているが、男は先ほどフリーズしたままだ。顔の前で手を振り、反応をたしかめる。
「おにーさん?」
きれいな顔を覗き込みながら呼びかけると、不意に手首を掴まれ、強く引かれた。
男の力に抗うことなく身を任せていたら、気づいたときにはすでに侑斗は男の腕の中にいた。肩口に頬がひたりとつくように頭を抱え込まれる。
「――連絡先、教えてよ」
耳に落ちる甘く掠れたささやきがくすぐったくて身を捩ると、抱き寄せる男の腕にぎゅっと力がこもった。
いつも冷たく感じていたはずの男の体温が、今は自分よりも熱く感じる。肌から伝わる鼓動は早打ち、自分にまで感染ってしまいそうだ。
――何でも答えるんだからそんな質問じゃなくて、もっと違うことを聞けばいいのに。
男の胸元に鼻先をうずめると、甘い香りに火薬のにおいが染みている。そのちぐはぐな感じが自分たちの関係性を表しているようだと侑斗は思った。
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