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―蜜―

 女の子が、好きだ。  あ、間違った。  女の子たちが、好きだ。    教室の隅でひそひそと内緒話をしている二人の女子生徒を眺めながら、刈谷学(かりやがく)はほう、と息を零した。  女子二人は学のクラスメイトである。凛としたストレートのロングヘアが神崎遥(かんざきはるか)、背の低い童顔のボブヘアが新野芽衣(にいのめい)。二人は殊更仲が良く、よくつるんでいる。そして学はそんな二人をよく観察している。 (美しい…)  学は女の子たちがじゃれあっている姿を見るのが好きだった。そこにむさ苦しい男という生き物が混ざるのは断固として許せない。たとえ自分であっても。  一言で言えば、百合好きなのだ。  学の百合好きの歴史は子供のころ見た某アニメから始まり、今では三次元もおいしく頂ける程になっている。中でもこの神崎と新野は、最近のお気に入りカップリングだ。もちろんこっそりと心の中で楽しむだけにとどめてはいるが。 (やっぱりハルメイだ。あのお姉さんみたいな神崎がリードして、新野が甘えるのが王道だな…うん、すごく良い…)  そんなことを考えながら頬杖をついて眺めること三分。側を通りがかったクラスメイトの女子二人があーっと声を上げて学を指差した。 「またガッカリくんトリップしてるー!」 「やだー、また妄想?」  からかうような声音に、学は慌てて姿勢を正した。 「いえいえいえ、違います!」  ぶんぶんと首を振って否定する。しかし、クラスメイトはニヤニヤと笑う。 「いいや、目がうつろだったもん!」 「だから、違うってば…」 「もうすぐ授業だよー?しゃきっとしないと、また先生に怒られちゃうよ。ほら、教科書出して出して」  学の言葉を全く信じず、二人は笑いながら自分の席へと戻っていく。学はへこみながらも、忠告通りに次の授業の準備を始めた。  女の子たちを眺めてはぼーっとする学は、一度授業中に教師に注意されたことがある。  丁度外で他のクラスの体育の授業があり、なんとなく眺めてみれば体操着姿の女の子二人が組んでストレッチをしていた。それはもう目を奪われるというものだ。そこで教師に「何ぼーっとしてるんだ」と叱咤され、咄嗟のことに学は「妄想してました」と馬鹿正直な答えを返してしまったのである。さすがに内容までは口にしなかったが。  それ以来、クラスメイトたちからは名前をもじって『ガッカリくん』と呼ばれるようになってしまった。何とも酷いあだ名ではあるが、からかう調子はあっても蔑む様子はないので我慢している。  ただ、これ以上キモイ奴認定されて、眺めることすらできなくなってしまっては困る。だから否定しているのに、誰も信じてはくれない。まあ、実際妄想をしていたのだが。  最後に一目だけ、と、学は窓際にちらりと目を向けた。すると、神崎が新野の頬を両手で包みこんでむにむにと揉んでいる。 (ご、ごちそうさまです――!!いい!いい!そのままちゅーしたらいいのに!!!)  興奮して頬を赤らめる学に、周囲が生温かい目を向けていたことに、当の本人だけが気付いていなかった。      学は図書委員である。帰宅部で押し付けられたというのもあるが、最近の趣味は一般小説の中に潜む百合を見つけることなので、むしろ望んでやってもいいくらいだった。当番制で放課後の受付作業をしなければならないのだが、図書室を利用する人などめったにいない。一人でのびのびと本を読んでいられる優雅な時間である。  今日も当番だったので、放課後誰もいない図書室に着くや否や、学は読む本を見繕おうと小説の棚へと向かっていった。何冊かとってカウンターに持ち込むのだ。 「この前はさ行の作家だったから…今日はた行にしよう」  誰もいない静かな空間でぽそりと呟いて、学は入り口から死角になるた行の棚へと向かおうとして――脚を止めた。 「上手く、行くかなぁ…」  ぼそっと、女性の声が聞こえたからだ。聞いたことのある声に、もしや、と思いながら、学はそちらを覗き見た。 (やっぱり!)  そこには声の主、新野が立っていた。そして、その傍らには、神崎の姿もある。 (ハルメイキター!)  学は書架にがしっとしがみつき、二人の姿を眺めた。 (なななんでこんな人気のないとこに…!密会!?何それ美味しい!!うわー!うわー!)  新野は背中を向けていて表情は見えないが、先ほどの声は不安に震えている様子だった。神崎はその新野の肩を抱いている。学には気付いていない様子だ。 「大丈夫、芽衣は可愛いよ」  神崎が優しい声で告げる。その内容に、学は鼻血を堪えるのに必死だった。 (可愛いって!可愛いくて大好きよ全部を私に捧げてって事ですね分かります!!)  大興奮で打ち震える学だったが、その後に続いた言葉に一瞬思考を停止した。 「こんなに可愛い芽衣に告白されて落ちない男はいないよ!」 「でも、常田(ときた)くんの好きなタイプって年上って聞いたし…」 「たまたま今まで年上としか付き合ってなかっただけじゃん。本人が年上が好きって言ったわけじゃないし。ずっと常田のこと想ってたんじゃん。今、常田フリーなんだよ、チャンスだよ!」 「ん、うん……私、頑張ってみる…!気持ち伝えるだけでも、やってみるよ!」 「頑張れ、芽衣!」 「ありがとう、遥」  固く意思を決めた様子の新野に、神崎が激励を送る。麗しい友情である。が、学は絶望で倒れそうだった。  フラフラと書架の間に膝をついて座り込み、呆然とすること数分。気付けば二人は出ていったようで、もう誰の気配もなかった。  ――常田光紀(みつき)。  クラスメイトの一人である男を思い出し、学はぎゅっと拳を握った。  常田は非常に目立つ男である。基本、一人で過ごす学は常田と話した事もないが、その存在はよくよく知っている。  背が高く整った顔をしていて、それだけで人気者になる十分なスペックなのに、頭の回転が速く大人びていて、他の高校生男子とは一線を画した魅力を湛えている男だ。学年問わず女子には人気があり、先ほどの神崎の言葉通り、常に年上の女性と付き合っているとの噂だった。 (まさか、新野が常田に惚れていたなんて…)  新野と神崎は別にレズビアンと公言しているわけでなく、ただ学が勝手に妄想をしていただけなのだが。学はショックを隠せない。  あのマイベストカップルに常田が割り込むことを想像すると、悔しさに吐き気すら覚える。 「ダメだ、ダメ、絶対にダメだ!!」  新野が常田に惚れてしまったのはもうしょうがない。となれば、学の打つ手は一つ。 「新野には悪いが…ハルメイの未来のためだ!」  学はばっと立ち上がり、先ほどの新野以上の決意が滲んだ声で拳を突き上げた。      翌朝、学校へ来た学は女の子観察は休んで、教室の扉をじっと見つめていた。見つめるというよりは睨むと言った方が正しいくらいの厳しい顔だったので、流石にトリップしているとからかってくるものもいなかった。  次々と生徒たちが教室に入ってきては、学の眼光を浴びて驚いてはそそくさと自分の席へ着いていく。  おかげで今日はとてつもなく静かだった。皆、何事かと学の動向を伺っている。  そして、もうすぐホームルームも始まろうかという時間、ガラッと開いた扉から常田が入ってきた瞬間、学は勢いよく立ち上がった。  えっと驚く周りは気にせずに、学は走り寄り、常田の腕を掴んで引いた。 「常田、ちょっと」  相手の反応を待たないまま、廊下に出てぐいぐいと進んでいく。常田はほとんど抵抗なく着いてきた。  できるだけ人のいない場所、と考え、図書室へと常田を押しこんだ。自分も入ってから扉を閉め、改めて常田に向きあう。  学は平均よりも身長が高い。それなのに、常田を見上げる形になってしまう。そして見上げた先の顔はびっくりするほど整っている。この顔で新野を誑しこんだのか、と思えば、苛立ちが湧く。 「なに」  常田は驚いた風でもなく、学を見つめ返し淡々と訊ねてきた。 「お願いがあるんだけど」 「お願い?」  学は常田の肩に下がるバッグを引き、ぐっと顔を近づけた。 「新野が告って来たら、振ってほしいんだ!」  そう、これしかない。常田が新野を振れば、あの二人の間に男というおぞましい生き物が入りこむこともない。しかも、可哀想ではあるが新野が振られれば、きっとそれを慰めるのは神崎だ。なんと美味しいシチュエーションだろう。 『泣かないで、芽衣。可愛い顔が台無しだよ?芽衣にはもっと相応しい人がいるって!』 『ううん、もう、いいの。私もう、哀しくない。気付いたんだ…私の一番側で、一番私のこと考えてくれる、大切な存在に…』 『芽衣?』 『私、遥がいればいい!遥が好き!』 『芽衣…!私も、本当は…!』 (抱き合う二人、そしてちゅー!いいね、麗しいね!) 「刈谷?」  訝る声に、学ははっと我に返った。目の前で、常田が方眉を上げている。 「あ、と、というわけで、お願いします!」  常田のバッグから手を離し、一歩下がって学は頭を下げた。 「いや、意味がわかんねーんだけど」  常田は長めの髪を掻き上げながら、首を傾げる。 「新野って、新野芽衣?あいつが何、俺に告白してくるわけ?」 「そう!だから、振ってください!」 「………」  沈黙が落ちた。常田は無表情で、学には感情が読みとれない。ややあって、常田が口を開いた。 「新野ってタイプじゃないけど、可愛い顔してるし告られたら付き合ってもいいけどな…」 「えっ、ちょっと、タイプじゃないならやめようよ!」  学は食ってかかったが、常田は飄々としている。 「でも俺、今彼女いないし…」 「なら他の子にすればいいじゃん!常田モテモテだろ!」 「んー…ならさぁ」  常田の手が、流れるように動いて学の右手を掴んだ。見上げれば、気だるげな常田と目が合った。 「代わりに刈谷が俺と付き合ってくれるなら、いいよ」 「え?僕?」  学は目も口も真ん丸に開いたまま、まじまじと常田を見返した。 「常田、両刀なの?」 「まあ」 「僕なんかでいいの?」 「んー、ま、いいんじゃないの?」  言葉こそ軽いが、常田はふざけている様子もなく、学は混乱した。  しかし、今ここで学が断れば、常田は新野の告白を受け入れてしまう。それだけは絶対に阻止しなければならない。  そして、ふと気付いた。どの道、女の子に自分を含め男が近付くことが許せない学だ。別にホモではないが、今後女性と付き合うつもりもない。しかもこの交際を受け入れれば、常田を世の女性から遠ざけられるというもので。 (なんだ、すごく好条件な申し入れじゃないか) 「わかった、付き合う」  こく、と学が頷けば、常田はにっと口角を上げた。 「なら、とりあえず」  ぐいっと手を引っ張られ、学はバランスを崩した。しかし、倒れるより先に常田の体が抱きしめるようにそれを支えた。  そして、何が起きたのか理解するより前に、唇を奪われていた。  知識はあっても経験はまったくない学だ。初めてのキスにびっくりしていると、ぬるりと舌が唇を割ってきた。 「ん、んーっ、んぁっ」  常田の舌技にただ翻弄されるしかなくて、解放された頃には学はくったりと力を失い、はぁはぁと肩で息をしていた。 「刈谷、言っとくけど俺、束縛激しいし、ちょっとでも他の奴に目を向けようものならどんな理由であっても許さないから。トラウマになるくらい辱めてお仕置きするから」 「え、うん……?」  酸欠で少し朦朧とした意識に、常田の言葉はよく理解できなかった。 「よろしくな」 「えっと…はい、よろしく…」 (やった……ハルメイは…守られた…)  このときはそんな気持ちでいっぱいだった学だが、後日、常田の言葉の意味を思い知らされる羽目になるのだった。

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