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番外編 彼女が欲しいのです。

「ささ、ハルさんもどーぞ!」 「あ、ありがと輝くん」  傾けられたグラスに、こぽこぽとビールを注いでいく。注ぎ終わると、ハルさんは俺の手からビール瓶を奪い、酌を返してくれた。 「ほら、輝くんも」 「ありがとうございますー」 「さーて、じゃあ…ここはチームリーダーだった本宮に乾杯の音頭を取ってもらおうか」  山科さんがそう言うと、乾杯前にすでにビールを飲んでいた本宮さんは「えー」と不満そうな声を上げる。 「俺ですか」 「お前だ。俺は最初の方ちょこっと手伝うくらいしかできなかったからな」  山科さんにつつかれて、本宮さんはゆっくりと腰を上げた。座敷なので、座っている俺たちは本宮さんを見上げる。 「んーとじゃ、まあ……最後ちょっとごたつきましたが…トータルでは、結構いい感じで進めたんじゃないでしょうか。工程的には六十点、製品的には満点かな。それから、ハルちゃんがまた一設に戻ってくるよう願いを込めましてー…お疲れ様でした!乾杯!」  乾杯、と声を上げてグラスを打ち鳴らす。  今日は、T社の案件の打ち上げだ。先日、ミスはあったものの結果的に無事納品が終わり、ハルさんは二設に戻ることになったため、ハルさんの追い出し会も兼ねている。出席者は、山科さんに浅見さん、本宮さんとハルさんに俺のフルメンバーだ。 「ハルさん、どうぞ、飲んでください!あ、サラダ食べますか。俺取りますよ。大根サラダ好きでしたよね」  俺の隣でビールを呷るハルさんに、俺は新しいビールを勧め、大皿に乗ったハリハリサラダを小皿にとった。 「ありがと。でも、俺はいいから、輝くんいっぱい食べて飲みな」  ハルさんは苦笑しながら小皿を受け取った。いいと言われても、俺は何かしら罪滅ぼしがしたかったため、何かないかと辺りを伺う。  最後の方に起きたミスというのは、なにを隠そう俺が原因だった。その尻拭いを、俺はハルさんと本宮さんにさせてしまったのだ。聞いた話によると、二日貫徹したらしい。俺はそのときホテルでぐーすか寝ていたというのに…。  ハルさんは一設に異動希望を出しているらしいが、まだしばらくは二設の人間だ。今日を逃せば会う時間はあまりないだろう。つまり、今日が恩返しするチャンスなのだ。…と言っても、こまごまとした世話を焼くことしかできないのだが。 「気にしなくていいんだよ」  急にハルさんが言った。どうやら、俺の考えていることはお見通しだったようだ。 「あれは俺が悪かったんだし、結果オーライだったし、反省会ももうちゃんとやったんだから。な?」 「ハルさん~…!」 「この話は終わり!それよりさ、本宮さんに聞いたんだけど、輝くん山登り好きなんだって?」 「え…あ、はい」  あっさり話題を変えたハルさんに、俺はじんわりと胸が熱くなった。  俺もハルさんみたいになりたいなぁと、最近しみじみ思っている。ハルさんは仕事もできて、思いやりもある。しかも顔もいい。まあ、顔の良さと仕事のできなら本宮さんが誰よりもずば抜けていいのだが、ハルさんの方が親近感があって俺はこっそり目標にしているのだ。  俺は携帯を取り出し山でとった写真をいくつか見せながら、しばらく登山の話に興じた。  飲み始めて二時間、こぢんまりした会場はできあがっていた。 「浅見さん、奥さん綺麗っスよねー。すげー優しいし、マジ羨ましいです」  丁度浅見さんに奥さんからメールが入ったので、話題は一気にそっちに変わった。  俺の羨望の声に、アルコールのせいで少し顔の赤らんだハルさんが楽しそうに乗ってきた。 「へぇ。浅見さん、俺も会ってみたいです」 「えー、輝はいいけど、本宮とハルちゃんは俺の奥さんに会うの禁止~。とられたら嫌だし」 「ちょっと、俺ならいいってどういう意味ですか!」  俺の突っ込みに、山科さんと本宮さんが爆笑する。この人たちは本当に笑い上戸だ。俺は笑わせるつもりではなくちょっと本気で怒っているのに。 「じゃあ、山科さんの奥さんはどういう人なんですか?」  ハルさんの問う声に応えたのは本宮さんだった。 「俺、会ったことあるよ。すげー恐妻」 「え、そうなんですか!?」  俺も山科さんの奥さんには会ったことがない。意外な事実に驚いていると、山科さんはどこか渋い顔をしていた。 「まあ、俺はあいつに一生勝てる気はしない」  ううん、恐妻かぁ…結婚願望はあるが、怖い奥さんはちょっとなぁ…まだしばらくは一人身でいいや、うん。  一人胸中でごちていると、浅見さんが「ところでさぁ」と俺の方を見てニヤリと笑った。なんだ、ちょっと嫌な予感。 「輝くんはどうなのよー。彼女は?この前の合コンはー?」  ああ、嫌な予感当たり。俺は思い切り顔をしかめた。この表情ですべてを察しているだろうに、浅見さんはにやけ顔のまま「んー?」と首を傾げて見せる。 「駄目でしたよっ!散々でしたよっ!本宮さん帰っちゃた後、女の子みんな帰って…連絡先すら聞き出せなかったし…!」  じとっとした目を本宮さんに送る。 「なんだよ輝、その顔」 「いえべつに…」  そう、別に途中で帰ってしまった本宮さんが悪いわけではない。もし二次会まで本宮さんがいたとしても、俺にチャンスはなかったのかもしれない。だけど、だけど…!モテない男の苦労を少しは分かって欲しい!! 「そうかそうか、まぁ、またチャンスはあるだろうよ」  山科さんの適当な慰めの言葉に、俺は口を尖らせながらも「はぁ」と頷いた。でも、別にいいのだ。悲しいし悔しいが、俺にはまだ仲間がいるのだから。 「…いいんですよ……本宮さん、寂しい者同士…遊びに行きましょうよ」  そう、本宮さんだって今は一人身だ!確か、ハルさんもだ。そうだ、ハルさんも一緒に…。 「あー…だめ」  本宮さんの声に、俺の思考は遮られた。 「え?」  本宮さんを見ると、にっと笑っている。片頬を上げたその顔はシニカルだが、なまじ顔が整っているため嫌みはない。 「輝と二人で出かけたら恋人が妬くからダメ。ごめんなー」 「ぶっ…」 「えええええっ!!」  相当驚いたのだろう、ハルさんは飲んでいたハイボールを噴き出してゴホゴホと噎せている。俺は飲んでる途中でなくてよかった……ハルさんと同じくらい驚いているのだ。 「い、いつの間に!相手は…もしかしてこの前の合コンの時の…!?」 「いや、違う」 「くぅぅ…そんな…!」  いや、本宮さんほどの男ならば、恋人がいない時期がある方がおかしいのだろう。そう思うと悔しさは薄れていく。そう、本宮さんは俺とは違う世界の人間なのだ。  そうなれば、後に残るのは純粋な好奇心だ。 「いつからですか!?どういった人ですか!?」 「へぇぇ…本宮レベルとなるとモデル並みに美人だったりするわけ?それとも逆にブサカワとか?」 「写真見せろよ、写真」  テーブルに身を乗り出した俺に続き、浅見さんと山科さんも驚いた様子で質問を重ねていく。  本宮さんはいつも通りの飄々とした顔でグラスを傾けながら、口を開く。 「えーと、どうだろ。数週間前くらいから、かなぁ。すっごい綺麗で可愛い子ですよ。写真はみせられません」 「うわー、いいな、いいなぁ!子ってことは…年下ですか!」 「うん。二個下」 「ふーん、なら社会人か」 「仕事もできて、しっかりしてますよ」 「で、その彼女が嫉妬深いのかよ」 「まぁ…俺のことものすごーく好きなんですよ」 「うわ、のろけた!!いやぁ~本宮くんのハレンチぃ~!エロオヤジぃ~!」 「なんですかハレンチって。羨ましいんですか、浅見さん。奥さんいるくせに」 「そりゃあ羨ましいさ!」  うわー、そうか。そうなのかぁ。本宮さんの彼女さんは年下のカワイ子ちゃんか…俺よりは年上だけど…。  ぎゃいぎゃいと盛り上がる中、ふと気付いた。そう言えば、俺の隣に座るハルさんはさっきから押し黙ったままだ。おかしいな。本宮さん大好きなハルさんは、本宮さんの話題になるといつも真っ先に食いついてくるのに… 「ハルさん、どうしたんですか?」  俯いてるハルさんの顔を覗き込むと、その肩が大きく揺れた。 「えっ、あ、その…っ」  真っ赤だ。ハルさんは耳まで赤くして、目を潤ませている。  そう言えば、ハルさんはそんなにお酒に強くないんだった。 「酔っちゃいましたか?いま、お冷やもらいますね」  わたわたとしているハルさんの手から酒の入ったグラスを奪い、俺は店員に水を持ってきてもらうよう頼んだ。直ぐに来た良く冷えた水を渡すと、ハルさんは「ありがとう」と微笑んだ。  顔の赤みが幾らか引いて落ち着いてきたようなので、俺は先ほどの本宮さん情報を教えてあげることにした。 「聞きましたか、さっきの話。本宮さんの彼女さんってずいぶん本宮さんにベタ惚れみたいですよ」  そういった瞬間、落ち着いてきたはずのハルさんの顔が再び真っ赤に染まりあがった。 「え?ハルさん?」 「あ、あ、うん…そう、みたい…だね」 「すごく可愛いって…羨ましいですよねー。会ってみたいなぁ」 「あ、あははははは…」  ハルさんはグラスの水を一気に飲み干し、乾いた笑い声を上げる。顔はどんどん赤くなるばかりだ。もしかして、水じゃなくて酒だった?……いや、そんなはずはない。 「大丈夫ですか?」 「あ…うん…大丈夫…」 「ハルさん…」  ハルさんの背中をさすり、顔を覗き込む。俺と目が合ったハルさんは恥ずかしそうにこくこくと頷いた。  その仕草が………なんか、ちょっと、可愛い。顔は真っ赤だし、見上げてくる目はうるうると涙の膜を張って光り、少し困ったように寄せられた眉と水にぬれた唇が少し、ほんの少し…その…色っぽい。  いやいやいや。おかしいおかしい。  俺は慌てて首をぶんぶん振った。俺も酒に思考回路をやられてしまったのか!いくらずっと彼女ができなくて寂しいからって、そんな… 「輝くん…?」  不安そうに名前を呼ばれ、どきーっと心臓が鳴った。そのままドクドクと心臓は早鐘を打つ。 「は、ハルさん…」  ああ、どうしよう。ハルさんの顔がなまじ整っているのが悪いのだ。じっと見つめられて、緊張の糸がピンと張り詰める。すごく、可愛い、というか、艶っぽい。どうしよう、触れたい。その真っ赤に熟れた唇に目が吸い寄せられてしまう。少し、少しだけ… 「―――――輝、駄目だよ」  突如割って入った低い声に、俺はびくっと体を跳ねさせ、伸ばしかけていた手を慌てて引っ込めた。  声の方を向けば、本宮さんがにっこり笑っている。  別に声に出してもいないし、まだ触れたりもしていない。それなのになんだか自分の疾しい気持ちを見抜かれた気がして、さーっと血の気が引いていった。  しかし、本宮さんはそれ以上何も言わなかった。何が駄目なのかは分からない。 「そろそろお開きにしますかー」  俺の方から視線を逸らし、そうやって山科さんたちに声をかけた。 「そうだな、そろそろ…」と同意の声が上がる。 「ハルちゃんも潰れちゃった?大丈夫?」  チェックを終わらせると、本宮さんは俺たちの方までやってきた。声を掛けられたハルさんは手を振った。 「いや、俺、大丈夫です!今日はそんな飲んでないし!」 「でも顔真っ赤」 「これは、本宮さんが…」 「俺が?」  ん?と聞き返されたハルさんは、しゅーっと音がしそうなほど赤い顔で俯く。本宮さんはそんなハルさんをニコニコと見つめていた。  その後、店の前で一本締めて、それぞれ解散になった。奥さんが家で待つ山科さんと浅見さんはそそくさと帰っていく。  どこか覚束ないハルさんは少し危なっかしくて、俺は家まで送ると申し出てみた。もう少し、ハルさんといたいような気がしたというのもある。 「だぁめ。ハルちゃんは俺が送っていくから輝はまっすぐ帰んなさい」  しかし、なぜか本宮さんにそう遮られてしまった。まあ、ハルさんは本宮さんフリークだから、本宮さんの方が嬉しいのかも…と思うと少し哀しい。 「でも…」と、少し不満げに唇を尖らせていると、本宮さんが苦笑した。 「輝、さっき恋人は俺のことすごい好きって言ってたけどな」 「へ?」  なぜ先ほどの話を今持ちだすのだろうか。俺は首を傾げる。 「俺の方もなかなかベタ惚れなんだよ」  そう言った本宮さんの笑顔はすごく幸せそうで、絵に描いたように綺麗だった。その隣で、ハルさんが声にならない悲鳴を上げた。 「え?ハルさん、どうしたんです?」  両手で顔を覆い蹲るハルさんに、俺は目を丸くする。しかし本宮さんは平然としていて、ハルさんの肩をポンと叩いた。 「さ、帰ろっか。ハルちゃん」 「~~~~~っ」  コクコクと何度も何度も頷くハルさんに、俺は完璧お役御免だということを悟った。  タクシーに乗り込んで帰る二人を見送って、俺は深く溜め息を吐いた。  やっぱり、送れなくて良かったのかもしれない。あのままのハルさんとずっといたら、危ない嗜好に走っていたかもしれない。  それもこれも、一人身だからだろう。先ほどの幸せそうな本宮さんを思い出し、羨望の気持ちが胸に湧き溢れる。 「あー!!俺も彼女欲しいっ!!」  心からの願望は、騒がしい夜空に消えていった。 おしまい

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