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1 今夜は帰りたくない!

「んー……オトぉ、そろそろ電車なくなりそーだぞー?」  程よく火照ったおれの頬を、気怠げにつんつん、とつついてくる太い人差し指。  お笑い芸人のコントから視線を左隣にズラすと、桂馬(けいま)が気怠げに目を細めてこっちを向いていた。  いつも豪快に笑う桂馬にしては珍しく色っぽい微笑みだけど、どうせアルコールが回って眠くなってるだけだ。  そう分かっているはずなのに、おれの心臓は時限爆弾のような切羽詰まった音を鳴らし始める。そればかりか、『もしかして』の五文字が脳裏をよぎってしまう始末。 「駅まで送るぞ〜? 歩けねーってんなら、チャリ出すし」  ふにふに、とおれの頬をつつき続けながら、ふわぁ、と大きな欠伸をする桂馬。  ムードの欠片もないおれの恋人。  通常運転のおれのアホ彼氏。  向こうから『何か』してくれると期待して待っても、コイツは何もしない。  そんなことは、今までの経験上、痛い程分かっている。  でも、だからっておれは何もしないまま、大人しく帰る訳にはいかない。 「桂馬」 「ん?」  頬をつついていた桂馬の大きな右手を掴み、おれはずっと喉の奥で引っ掛かっていた言葉を絞り出した。 「おれ、今日は帰りたくない、から……」 「え」  締まりのない暢気な声を出していた桂馬の声色が変わった。  その途端、おれは慌ててそっぽを向く。  でも、今の言葉は冗談じゃなく、マジだから。  その気持ちを込めて、掴んだままの桂馬の右手をぎゅう、と握りしめる。  高校の卒業式。玉砕覚悟で告白し、あっさりと恋人同士になってから、初めて迎える夏。  春は大学や新しく始めたアルバイトに慣れるのに必死すぎて、桂馬とのこれからをじっくり考える余裕がなくて。  で、いざ余裕ができても、『恋人』という距離感にやっぱり慣れなくて、したいことは山ほどあったけど、我慢した。  そうしている内に、季節は夏に移り変わってしまった。  『恋人』になって、五ヶ月になる。  そろそろ、おれは進展がしたい。ぶっちゃけて言えば、キス以上のことがしたいんだ。  そのための準備は、一ヶ月前からやってきた。  おれより身長もあって体格もがっちりしていて、そのたくましい体に見合うようにちんこもデカい桂馬。その桂馬に満足してもらうために、知識だけじゃなくて実践もしてきた。  毎晩欠かさず指やら道具やらで黙々と開発を続けた結果、何とかアナルでイケる体になった。相変わらず羞恥心は拭えないけど、達成感はあったし自信もついた。  あとは本番あるのみ。折角訪れたいいムードなんだ、ものにしなきゃここまでの努力が報われない。  さすがの桂馬も、今の『帰りたくない』発言で、色々察したはず……だよな。  だって、おれが発言した途端に声色が変わったし、さっきからずっと黙ったままだし。おれのこと意識して、そういう目で見てくれてるって信じても……いいんだよな。  桂馬の手を握るおれの手が、ぷるぷると微かに震え始めた。このままそっぽを向き続けるのも限界を感じ、おれが恐る恐る桂馬の方を振り返った時。 「……そうだな。折角オトと二人きりになれたんだ。ここでおしまいなんて、もったいない」  桂馬がにかっと笑っておれをまっすぐに見つめている。見慣れた笑顔のはずなのに、心臓が高鳴りっぱなしだ。  ああ、ついに。桂馬がおれのことを。  胸の奥から込み上げてくる歓喜を噛み締めるおれの前で、桂馬が勢い良く立ち上がった。 「よぉし! 今から花火しよーぜ、花火!」 「はっ、な、び……?」 「やっぱ夜と言えば花火だよな! 今年の花火大会行けなかったし、二人だけの花火大会しよーぜっ! んで、ついでにアイスも食う! くーっ、最高の贅沢じゃん!」  えっと財布はどこだっけ、とビール缶やおつまみで散らかったテーブルを漁り始める恋人。そのたくましい背中を見つめながら、おれは胸の奥で盛んに打ち上げられていた花火が跡形もなく消え去るのを感じていた。  違う、桂馬。おれが求めてるのは、そういうことじゃない。

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