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第1話
2020年、突如太陽が消え世界は夜に包まれた。
混乱と絶望が押し寄せる中、人々はこの現象を“災厄”ではなく“神秘”と位置付けることで、せめてもの秩序を守ろうとした。
どう足掻いても、この星で生きていくしか道は無いのだから。
かつてガリレオ・ガリレイは言った。
「私はあまりに深く星を愛しているが故に、夜を怖いと思ったことがない」
其れに準え、恐怖を払拭したい誰かが明けない夜に名前を付けた。
『ガリレオの夜』と。
その名は瞬く間に皆が口にするようになった。
それは祈りのように。
或いは諦めのように。
2021年、じっとりと蒸し暑い夏の夜。
リュウは時計を確認し「そろそろかな……」と呟くと、自宅のマンションのベランダに出た。
双眼鏡をスタンドにセットし下方を覗くと、小さなビルの屋上に、恋人の寺田一輝が立っているのが見える。
暗くて顔までは見えないが、逞しく男らしいシルエットはまさしく彼だ。
一輝が手にする懐中電灯の明滅を、リュウは食い入るように見つめる。
この明滅は意味を持つ信号……モールス信号だ。
I have got a crush on you.(お前にベタ惚れさ)I was born to love you.(俺はお前を愛するために生まれてきたんだ)I’ll do anything for you.(お前の為ならなんでもしてあげる)
一輝からリュウへ、歯の浮くような熱烈な愛のメッセージ。
日本人らしからぬ大層な言葉に頬が熱くなる。
前衛的とは言えないこの遊びは1年前、ガリレオの夜が始まった頃から続いている。
一輝が「火星の地表にはモールス符号のような砂丘があるんだってさ……さすがのリュウも、モールス信号なんて送れないだろう?」と挑発的に言ったのがきっかけだ。
一輝から教わったモールス信号はとっくに習得していたが、羞恥心が邪魔をしてなかなか返事を返すことが出来ない。
意を決して、汗ばむ手で発信する。
長い波長の光を1回、更に3回、そしてまた3回。
英語で3文字『too』の信号。
You too.(僕もだよ)を簡略化させた、たった3文字。
これがリュウの精一杯だ。
双眼鏡を覗くと、手を振って喜ぶ一輝の影が見えた。
2018年夏、リュウが高校1年生の時、一輝と出会った。
両親が「星なんか見ていないで勉強しろ」と小言を言うので、趣味である天体観測すら気後れしてままならない。
だけれどその日は皆既月食が起こる日で、我慢できず望遠鏡を担いで外へ飛び出した。
フラフラと歩いてたどり着いたのは、僅かな土地に無理矢理ねじ込んだような細いグレーの雑居ビルで、鍵は掛かっておらず屋上まで上がることができた。
天体観測には向かない4階建ての低いビルだが、周りの建物の間に丁度月が観測できた。
赤黒く輝く月に心が震える。
月が建物の陰に隠れきるまで、ずっとずっと見詰めていた。
ふう、と一息ついてレンズから目を放すと一人の男が立っていて、悲鳴を上げるほど驚いた。
それが今の恋人、一輝だった。
リュウは昔から勉強が得意だったが、一輝はさらに博識で、エントロピー増大の法則もチュイ語も、何故かマンボウの捌き方まで知っていて、傲慢なリュウのプライドを粉々にした。
どんなに難解な質問にも淀みなく答える一輝に「逆に知らないことってあるの?」と問うと「地球上の事は大体知っているけど、地球外の事はあまり知らないなぁ」と平然と言った。
その頃には既に、聡明で寛大な大人の男である一輝に心を奪われていたが、素直になれないリュウはツンとした態度しかとれなかった。
「じゃあ、僕が地球の外の事を調べてきてあげるよ。教えられっぱなしじゃ悔しいから」
「本当か?それは楽しみだ。約束だからな」
一輝はそれはそれは嬉しそうに笑った。
彼に対し悔しいとか勝ちたいとか、そんな感情はもちろん無い。
ただ、大好きな彼を驚かせたい、喜ばせたい……それだけだ。
そんな可愛い台詞も言えないまま、リュウは宇宙飛行士を志すようになった。
医者である両親はリュウを医者にさせたがったが、それを突っぱね大学は理学部に進学した。
「リュウの頭なら、MITだって行けたかも知れないのに……」と一輝は残念そうに言ったが“一輝と一緒に居たいから国内の大学にした”とは口が裂けても言えなかった。
それなのに、翳る表情から言えない思いを汲み取った一輝は、大きな手でリュウの頭を撫でた。
一輝は山のように逞しく、海のように優しい。
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