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エピローグ
「へぇ、魂の番が見つかったんですか」
その数日後、蓮は綾世律医師の診察室を訪れていた。
いつもならば、抑制剤を処方してもらうために訪れていた場所だが、御門という番を得た今、その必要は無くなった。今後は、徐々に筋肉増強剤のほうも絶っていく方向で話を進めているところなのである。
蓮の報告を聞き、律はにっこりと微笑んだ。そして、すっと蓮の方へと手を差し伸べ、膝に置かれた蓮の手をぎゅっと握りしめる。
「……よかった……! 本当に、よかったです」
「あ、ありがとう。……何も泣かなくてもいいだろ」
「いえいえ、僕は、これまでの君の努力を、一番間近で見てきた人間なんですよ? これが泣かずにいられましょうか」
「……そうだな」
律は白い指先でそっと目元を拭いつつ、心底安堵したような微笑みで蓮を見つめた。そんなふうに見つめられると、これまで経験してきた様々な経験が胸の中を巡り、蓮の目頭もついつい熱くなってしまう。しかし、蓮は涙を流すことはせず、これまで自分を支え続けてきてくれた律の手をぎゅっと握り返した。
「……僕を支えてくれて、本当にありがとう。先輩」
「おやおや、懐かしい呼ばれ方ですね」
「清一先生にも、先輩にも、本当に世話をかけた。二人がいなかったらと思うと、ぞっとするよ」
「ですねぇ。……あぁ、また父の診療所のほうにも遊びに来てくださいね。父も喜びますから」
「あぁ、近いうちに必ず伺うよ」
律は感慨深そうなため息をつきながら、ゆったりとした動作で椅子から立ち上がった。そして、陽の光がさんさんと入る窓から中庭を眺めつつ、こう言った。
「これで、僕の肩の荷も、一つ降りたというものです」
「すまないな、苦労をかけて」
「いえいえ。あなたがアルファとしての顔を貫いてくれていたおかげで、この病院は大きくなった。『国城蓮』が後ろ盾にあるというだけでも、ぐっと箔がつきますしね」
「……そうかな」
「そうですよ。今後は、どうされるおつもりで?」
律は窓にもたれかかりながら、蓮にそう尋ねた。蓮はちょっと目を伏せて、こう言った。
「もう二、三年のうちには、CEOの椅子を葵に譲るつもりだ。あいつは優秀だから、十分に務まるだろう」
「ほう、さすがは蓮さまの弟君だ」
「……その後、僕は世間にカミングアウトしようと思ってる」
「へぇ、やはりそうされるんですね」
「ああ」
カミングアウトをすることによって、社会にどのような影響が出るだろう——と、蓮はずっと考えていた。蓮がこれまで世間を欺いていたという事実は残るだろうが、それ以上に、オメガであってもアルファの中で十分に戦えたという実績は、世間のオメガたちにとって希望となりうるのではないか……と、蓮は考えたのである。
もちろん、『ならば安易に抑制剤や筋肉増強剤を使えばいい』という意見を助長させることのないように、配慮もしなくてはならない。そうならなくても良いように、社会の枠組みや意識を変えていくこと。また同時に、副作用の少ない安価な抑制剤を流通させることなど、やるべきことはたくさんある。
「そのためにも、先輩にはもっと研究を頑張ってもらわないとな。金ならいくらでも出す」
「おお、さすが太っ腹なお言葉で。そりゃもちろん、あなたの理想は僕の悲願でもありますから、どこまでもお供いたしますよ」
「ありがとう」
律は頷き、ふうとため息をついた。
そういえば、律のプライベートは最近どうなのだろう……と、蓮の中に野暮な疑問が湧き上がる。
「先輩は……パートナーとか、作らないのか?」
「んー。僕は純粋に発情期中のセックスが好きなので、今は存分に春を楽しんでいますよ。ここ最近お気に入りの部下と看護師がいるので、彼らを順番に楽しんでいる、という感じです」
「……そうなんだ」
「で、どうなんです? 魂の番とのセックスは」
「……」
興味津々といった表情で目を輝かせる律の質問に、蓮はゆるゆると首を振った。律はそれを拒否ととったらしく「あぁ、そうですね。不躾な質問をすみません」と言った。が、蓮は軽く目を伏せたまま、こう言った。
「……すごく、いい……というか」
「えっ?」
「……とにかく……今の僕は、満たされてる。自分でも驚くほど、いろんなことがうまく回り始めていて、すごく……幸せだよ」
「……蓮さま」
蓮の返答に、律がうるうると目を潤ませ始めた。そして、目頭をぎゅっと押さえつつ、こんなことを言った。
「僕の下ネタに付き合ってくださる余裕が出てこられたとは……っ……! 素晴らしい成長です……!」
「……え?」
「だって、これまでの蓮さまときたら、僕がちょっと性的なことを口にしようものなら、ゴミを見るような目で僕を睨んでおられたのに。……はぁ、素晴らしい。愛って素晴らしいですね……」
「……」
「蓮さまが愛に乱れる姿……さぞかし麗しいことでしょうね。はぁ……素晴らしい……」
うっとりした表情で自らの腕を抱き、はぁ……と熱っぽいため息をつく律についていくことができず、蓮はすっと椅子から立ち上がった。
「えっ、もうおかえりで!? もっと詳しく話を聞かせてくださいよ!!」
「もういい黙れ。僕は帰る」
「そんな! 僕は純粋に興味があるんです! 魂の番とのセックスが普通のアルファとのセックスとどう違うのかという、」
ぴしゃんとドアを閉め、蓮は早足に診察室を後にした。
+
診察室を出て廊下を歩き、広々とした中庭を歩く。
今日は穏やかな気候で風が気持ちよく、とても過ごしやすい午後である。中庭を散歩する患者たちも多く、いつになくのんびりとした空気が流れている。
すると、木陰に置かれた木のベンチに、御門が腰掛けているのを見つけた。隣に座るのは幼い少年で、にこにことふたりで笑みを浮かべながら、何やら会話を交わしているようだ。
なんとなく邪魔をしてはいけないような気がして、蓮はきれいに舗装された小道の上に佇んで、御門を眺めていた。すると少年は立ち上がり、軽い足取りで中庭から走り去って行った。
蓮が小首を傾げつつ歩み寄ると、すぐに御門がこっちを向いた。
「あぁ、おかえりなさい、蓮さま」
「こんなところで何してるんだ。先に帰れと言ったろ」
御門は蓮を見上げて、眩しげに微笑んだ。
そうして笑顔を向けられるだけで高鳴ってしまう自分の胸にも、もうそろそろ慣れてきた。蓮は御門の隣に腰を下ろし、脚を組む。
「さっきの子は?」
「弟が脚を折って入院してるらしいですよ。しょっちゅうお見舞いに来て世話をしてやらなきゃいけないから大変だ〜って、笑ってました」
「へぇ……そうなんだ」
「言葉では文句を言っていても、顔ではニコニコしてて。なんだかんだ言いながら、弟の世話を焼くのが楽しいみたいですね」
「……なるほどね、その気持ちはよく分かるよ」
蓮がしみじみそう言うと、御門は「そうでしょうね」と言って微笑んだ。
「可愛いもんですね、子どもって。……って、あっ、別にそういうことを急かしているわけじゃないですよ!?」
「分かってるよ。でもまぁ……子どもがいる空間ってのも、悪くはないな」
「えっ」
少し離れた場所で、さっきの少年が車椅子に座った弟の世話を焼いている。傍にいる白衣を来た若い看護師に色々と指示をされながら、まだまだおぼつかない手つきで車椅子を押しているのである。
少年の熱心な表情と、怪我をしているのにどこか嬉しそうな幼い弟の表情を見ていると、なんだか妙に懐かしい気持ちになってくる。
あの兄弟の性別がこの先どう分岐するのかは分からないが、幼い彼らが、生きやすい未来を作ってやりたい。
小さな身体にたくさんの可能性を詰め込んだ子どもたちが、生まれや性別によって、生き方を制限されることのないように。それが、蓮の願いである。
「蓮さまは、子どもが好きなんですね」
「……どうだろう。これまでは関わる機会もなかったし」
「そうですか。あの兄弟を見つめる蓮さまの目つき、聖母のようでしたよ」
「は? 聖母? なんだそれ、薄気味悪いことを言うな」
蓮が渋い顔を見せるも、御門はなぜだか嬉しそうな顔をして笑っている。
こうして笑顔の絶えない御門と過ごしていると、なんとなく、自分の未来はもう大丈夫だという気持ちになる。これまでずっと不安の中で人生を過ごしてきた蓮にとって、それは不思議な感覚だった。
「子どもは可愛いもんですよね。生意気なことを言う子もいるけど、まだまだ純粋で、まっすぐっていうか」
「そうだな」
「蓮さまも、そういうところありますよね。口では俺を邪険にするけど、表情や身体は素直っていうか……」
「……何だと?」
「そういうところがすごく可愛いんですけど……って、あっ、待ってください!! 申し訳ありません!!」
無言で立ち上がり、すたすたとその場を立ち去ろうとする蓮のあとを、御門が慌てて追いかけてくる。
爽やかな風と鳥のさえずり、そして子どもたちの笑い声が明るく響く、うららかな午後のひとときである。
『Blindness another story ー蓮ー』 終
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