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エピローグ

  「おはよ、正巳」 「ん……? ん? うわ、いま何時や!?」 「何焦ってんだよ、まだ六時だ」 「あぁ……びびった」  そして季節は一つ巡り、虎太郎が京都で過ごす、初めての夏。  和室に置かれた大きなベッドの上で、須能はもぞもぞと寝返りを打った。虎太郎はもう活動を始めていて、こざっぱりと顔を洗い、すでに着替えも済ませている。須能は乱れた髪をかき上げて、気だるげにため息をついた。 「今日は雑誌の取材だっけ? 何時から?」 「九時からやねん。はよう起きてシャワー浴びな……寝ぼけた顔じゃ行かれへんわ」 「眠そうな顔もエロいけどな」 「あのな、今日は真面目な文芸誌の撮影やねん。エロとかいらんねん」  須能が大欠伸をしながらそう言うと、虎太郎は軽やかな声で笑った。そして寝乱れた浴衣から覗く須能のふとももに手を這わせつつ、色っぽい声でこう言った。 「正巳のエロいとこなんて、誰にも見せたくねーけどな。でもこないだの公演で片袖脱いでたの、ちょっと……いや、かなりエロかったな。あれ、なんとかなんねーの」 「そぉか? 女のお客さんにはめっちゃ好評やったしなぁ……。『噛み痕見えてドキドキしました』とかって感想ももらったし」 「でも、正巳の舞を見にくるのは女ばっかじゃねーだろ」 「あれは『醍醐武士』の見せ場やねんで? 脱がへんわけにはいかへんの」 「……なんだよ」  醍醐武士というのは、須能が舞う中で一番雄々しい男舞である。日本刀による剣舞を行うという須能流にしては珍しい演目で、直線的で大胆な所作が特徴的な舞だ。  衣装も、渋みのある黒い着物と、濃灰色の袴をつける。化粧などは施さず、髪はただただ緩く結い上げるだけ。片袖を抜くので、女の舞踏家が舞う時は胸元に晒しを巻くのだが、須能はオメガとはいえ、一応男である。晒しは巻かず、裸の上半身を露わにする格好になるのだが、虎太郎はそれがとにかく気に入らないのだ。  ふてくされてしまった虎太郎を微笑ましく見つめつつ、須能は太ももに置かれた大きな手の上に、そっと掌を重ねた。 「怒ってんのか?」 「別に。怒ってるわけじゃねーけど」 「まったく……困った子ぉやなぁ」 「あ、また子って言ったな」 「あぁ……ごめんごめん。ついついな。ふててる虎太郎、めちゃ可愛(かあ)いらしいから」 「もう、可愛いとか言ってんじゃねーよ」  虎太郎はあっという間に須能を組み敷いてしまうと、乱れた浴衣をさらにはだけさせ、薄桃色に色づいている胸元を露わにした。そしてすぐさまそこに唇を寄せ、じゅうっときつく吸い上げてくるものだから、須能は仰天して脚をばたつかせる。 「ちょっ……こら、虎太郎! っ……やめぇって……」 「こんなに敏感でエロい乳首、大勢の客の前で見せるなんて……ありえねーだろ」 「ぁっ……ぁ、んっ……でも、しゃーないもんは、しゃーない……ンっ……」 「ほら見ろ。ちょっと舐められただけで、すぐこんな……」  ぐ、と虎太郎の膝が股座を押し上げる。昨晩の愛撫の残滓が残るそこをぐにぐにといじられて、須能は「ぁんっ……」と甘い悲鳴をあげた。 「こら! も、時間ない……っん、虎太郎、あかんて……っ……」 「一回だけ、しよっか。これじゃもう、収まりつかねーだろ」 「お、おさまりつかへんのは……そっちやんか、ぁっ……ぁんっ……」  下着をつけていなかったため、浴衣を捲り上げられてしまえばもう、淫らに濡れた性器がむき出しだ。虎太郎はあられもない格好をした須能をじっと見つめつつ、唇を釣り上げて色っぽく笑う。 「……まったく、ほんまにほとんど毎晩してんのに……」 「だって……番がこんなエロい格好で寝てんのに、我慢できるわけねーだろ」 「ァっ……ふぁ……」 「あぁ……マジで我慢できなくなってきた。……してもいい?」 「あっ……あかんて、ほんまに、時間……っ……」  と言いつつも、すっかり欲しくなってしまっていた須能は、自分から脚を開いて、婉然と虎太郎を見上げた。虎太郎はごくりと生唾を飲み、着替えたばかりであろうTシャツを潔く脱ぎ捨てようとした。しかし……。  ドンドンドンドン、と須能宅の玄関の引き戸をやかましく叩く音が、寝室にまで響いて来た。 「正巳ー! 正巳起きてるかー? 今日は早起きせなあかん日ぃやろ〜? いつまでもイチャコラしとったらあかんで〜!」 「っ……栄貴さん」  栄貴はたまにこうして須能宅を訪れては、二人と一緒に朝食を食べる。栄貴はすぐそばに居を構えているのだ。  また、栄貴は須能のスケジュールはほぼほぼ理解していることもあり、こうして目覚ましがわりに二人を急かしにやって来るというわけだ。 「こら、こたー!! 聞いてるかこた〜! あかんで、君も部活あんねんろ〜? 一年生が遅刻しとったらあかんで〜!」 「……うう」  栄貴は虎太郎を『こた』と呼び、年の離れた弟を相手にするかのように、いじくりまわして愛でているのだ。虎太郎はどういうわけか栄貴には強く出にくいようで、ブツブツと不平を言いつつも、栄貴の好きなようにさせている。そんな二人を見ているのが楽しくて、須能はいつも笑いっぱなしだった。 「まーたうるさいのが来たな。……続きはまた、今夜やな」 「……しょーがねぇな。俺も確かに朝練あるしな……」 「ほな、起きよか。……その、大丈夫か?」 「大丈夫だよ! 栄貴さんの声聞いたら、一気に萎えた」 「ふふっ、さよか」  ぽりぽりと頭を掻きつつ起き上がる虎太郎の頬に、須能は軽くキスをした。虎太郎は照れ臭そうな表情で須能を見上げ、そして、気が抜けたような笑みを浮かべる。  虎太郎が栄貴を出迎えに行ってしまうと、須能はシャワーを浴びようと起き上がり、伸びをした。そして軽く髪を結わえようとした須能は、ふとこんなことに気がついた。  ――ん? ほとんど毎晩セックスしとったから忘れとったけど……。最近、ヒート起きてへんな……。  須能のヒートはだいたい二ヶ月に一度、一週間程度。虎太郎が引っ越してきてから二度、ヒートが訪れたことは覚えている。なので本当ならば、この一月のうちにヒートが起きていてもいいようなものなのだが……。 「……え、まさか。そうなん? 僕……」  須能は微かに震える手を持ち上げて、自分の下腹に触れてみた。いつもと何ら変化のない真っ平らな腹だが、そういえば、最近下腹にしくしくとした違和感を感じることもあったような気がする。そしていつもより熱っぽいなと感じることが多かったのだが、それはこの夏の暑さのせいだと思っていて……。 「で、できてるんやろか……?」  ――虎太郎との、子どもが……。  結糸の出産予定日が近いため、虎太郎は色々と刺激を受けていたらしく、時折「俺らも、早くできたらいいな」とか、「どっちに似るかなぁ。正巳に似てくれるとうれしーんだけどなぁ」と口にしていたことを思い出し、須能はぽっと頬を熱くした。 「正巳ー、栄貴さんが早く来いって……ん? どうしたんだ?」 「虎太郎……あんな、実は……」 「?」  ひょいと寝室を覗き込んで来た虎太郎を見つめ、たった今気づいた幸福な予感を、震える声で虎太郎に伝えた。 「え……ま、マジで?」 「うん……それっぽいねん」 「う、うわ……マジか……!! すげぇ!! 正巳、すげぇよ……!!」  虎太郎の歓喜の声が、家中に響き渡る。それは、台所で朝食の支度をしていた栄貴が飛び上がって驚くほどであった。 「ちょ、おろして、おろしてって! あはっ……虎太郎、落ち着きぃな」 「だって、すげぇ……すげぇ嬉しい……! 正巳……ありがとう……!!」 「気ぃはやいって! ははっ、嘘みたいや……信じられへん」  虎太郎は、須能をひょいと抱え上げ、ぎゅうぎゅうと抱きしめて離さない。間近に目を見合わせてみると、虎太郎の瞳はしっとりと潤み、きらきらと明るい光を湛えていた。虎太郎が心底幸せそうな笑顔を浮かべている様子を見て、須能の胸にさらなる喜びが溢れてくる。 「そうだ、すぐ病院行こうぜ! 今から行けば一番に診てもらえんだろ!」 「ちょ、ちょお待ちぃな。仕事あんねん僕は」 「あっ、そっか。じゃあ、それ終わったらすぐ行こうな! 俺、正巳送って行って、そこで待ってるからさ!」 「うん、そうしよか。うん、そうしよ」  見つめあって頷き合ううち、吸い寄せられるように唇が重なった。二人はキスをしながら笑い合い、しばらくの間ぎゅっと抱きしめ合っていた。 「なんやまたイチャイチャしてんのかぁ? 朝飯冷めてまうでー!」  栄貴ののんびりとした声が、遠くから聞こえてくる。  その声に耳を傾けつつ、ふたりはしっかりと視線を結んだ。そして額をくっつけて、明るい笑顔を交わし合う。  眩い太陽が深い青空を鮮やかに彩る、とある夏の日の出来事である。 『Blindness another story ー須能ー』 ・  終

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