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ーchildren's storyー〈1〉

こちらのお話ではお久しぶりです、餡玉(あんたま)です。 久方ぶりに番外編を書きました。今回は結糸と葵の息子・紫苑目線のお話となっております。 12歳という微妙なお年頃を迎えた紫苑の、ほのかな恋の始まりのお話です。 よろしければ、読んでみてやってくださいませ〜! ˚✧₊⁎⁎⁺˳✧༚✩⑅⋆˚˚✧₊⁎⁎⁺˳✧༚✩⑅⋆˚  国城紫苑(しおん)は十二歳になった。  今朝もきちんと朝六時に起床し、ピシッと一分の隙もなく綺麗に制服を着用する。姿見の前に立つ己の全身を見つめながら、紫苑は人知れず小さなため息を漏らした。  短く整えられた淡い栗色の髪に、明るい空色を抱く大きな瞳。父・葵のそれと同じように、紫苑の瞳にはうっすらと金色味がかかっている。幼い頃から、紫苑は葵似だとよく言われた。実際、紫苑自身も、顔立ちばかりは父親によく似ているとしばしば思うが、どちらかというと結糸のほうに似たかった。  冷え冷えとした美しい顔立ちをした父は、いついかなる時でも冷静で、家にいる時でも隙がない。だからなんとなく、幼い頃から紫苑は葵に甘えることができなかった。怖い……というほどではないものの、なんとなく近寄り難い存在だ。  父が嫌いなわけではない。むしろ、尊敬しているし、相談ごとを持ち掛ければ、優しく穏やかに話を聞いてくれ、的確なアドバイスをくれるような素晴らしい父だと思う。そう、父は人間として、素晴らしい人物なのだ。 「国城財閥を率いる現当主」という父の肩書きは、どこへ行っても紫苑の背後につきまとうものだった。その葵の長子であるという自分自身の肩書きもまた、紫苑にとってはひどく重くて、周囲からのしかかってくる期待の大きさを感じるたび、泣きたくなるような気分になることもあった。  だが、国城の名に恥じない人間になるために、紫苑は努力を重ねてきた。  だって、自分は長男だから。今後、国城家を率いていくのは紫苑の役割になるはずだ。だからこそ、しっかりしておかなくては。五つ年下の妹はのんびり屋で、なんだかすごく将来が不安だ。兄は妹を守るもの。妹のためにも、しっかりした有能な男になっておかねばならない。  姿見に写った制服姿の自分を見つめていると、なんだか分身に睨まれているような気分になってくる。「国城家の男が情けない顔をするな」「もっとキリッとしろ!」と、自分自身の理想像が、本物の自分を責め立てる。  襟足は制服の襟にかからない程度の長さを保つこと。清潔感のある身だしなみを心がけるように……と、学校の教師たちはとにかくうるさい。  それもそのはずだ、フォートワース学園は国内きっての名門校であり、在籍する生徒たちは全国から集まった名士の子どもたちばかりで、中高等部は優秀なアルファたちがほとんどだ。学園の名に恥じぬよう、学外のどこにいても紳士な振る舞いを忘れることなく、常に誇りを持って行動するようにと、とにかくうるさい。  言われなくても分かっていることだ。学園の何恥じぬ生徒でいることは、当然の義務なのだ。  なぜなら、父・葵も叔父である蓮も、そして御門も、この学園の卒業生だ。そしてその三人は今まさに、この国の経済を先頭きって引っ張っている存在である。  その息子たる自分が、遅れを取るわけにはいかないのだ——……と、紫苑は物心ついた頃からずっと、そう自分を律して生きてきた。  幼い頃から課せられてきた英才教育のおかげで、フォートワース学園の幼稚舎、初等部への進級はスムーズだった。初等部の六年間は楽しくもあったが勉強はさすがに大変で、家庭教師がついていなければ、トップクラスの成績を保つことは難しかっただろう。    そして、ほんの二か月後には、中等部へ進むための試験が控えている。成績が悪いものは容赦無く切り捨てるという噂を耳にしたことがあるため、紫苑は今から戦々恐々としているのだ。 「うう~……胃が痛い……」  紫苑は姿見から目を逸らすと、腹を押さえてため息をついた。そろそろ朝食を食べなければ、学校に遅刻してしまう。紫苑は鞄を持ってドアの前に立ち、深呼吸をした。  そして、ぐっと目に力を入れ、顔を作って部屋から出ていく。  + 「紫苑、おはよう」 「ああ……おはよう、(れい)(たすく)」  ダイニングへと向かう途中で、ばったり双子に出くわした。嶺と翼は父・葵の兄の子で、紫苑にとっては従兄弟である。だが、生まれたときから同じ屋敷で生活を共にしてきたこともあり、実の弟たちのような存在だ。 「弟」といはいえ……嶺と翼は、出来が良い。努力しなければトップの位置を維持できない紫苑とは違い、この双子は二人揃って頭脳明晰な上、容姿も素晴らしく美しい。  シルクのように美しいプラチナブロンドに、純度の高いエメラルドのように美しい瞳をした双子だ。ふたりが揃って並んでいる姿を目にした人々は、必ずと言っていいほどにうっとりとため息をつくのである。  一卵性双生児なので見分けがつきにくいが、ストレートのサラサラヘアが嶺で、パーマっぽい癖毛のほうが翼だ。  四つ年下の二人はまだたったの八歳だが、紫苑が戯れに出題した進級試験の過去問題を、ふたりで話し合いながらサラサラと解いてしまったことがあり——それ以降、紫苑はなんとなく、双子のことをライバル視している。……兄としては、恥ずかしいことなのだが。 「ねぇ紫苑。なんか顔色が悪いよ?」 「お腹でも痛いの?」  双子も紫苑と同じ制服に身を包んでいるが、低学年の児童たちのボトムは、膝丈のショートパンツだ。細っこい白い脚に、上品なアーガイル模様のソックスが、素晴らしくよく似合っている。  左右を歩く二人が揃って心配そうにこちらを見上げてくるものだから、紫苑は二人をライバル視してしまう自分の心の狭さに密かに呆れた。  そう、双子たちは優しいのだ。物心つく前から兄のように二人の世話を焼いていた紫苑に対して、並々ならぬ親愛の情を抱えてくれていることも分かっている。  紫苑は苦笑して、両手でそれぞれの頭をポンと撫でた。つい最近150センチを超えた紫苑の身長に対して、双子たちはまだ胸の高さほどの身長である。 「……ううん、平気だよ。試験勉強がさ、大変なんだ。もうすぐ試験だからね」 「紫苑は大丈夫だよ。いつも上位に名前があるじゃないか」 と、クールな口調なのは嶺だ。 「うん、きっと大丈夫。応援してる! 勉強の邪魔も、しないようにする!」 と、翼が満面の笑顔で言う。  サラサラヘアの嶺は落ち着いた性格で、どちらかというと蓮に似た雰囲気を漂わせている。癖毛の翼は、無邪気で明るく、父親である御門にそっくりだった。  赤ん坊の頃は挙動から何からそっくりシンクロしていたふたりだが、大きくなるにつれてそれぞれ異なる部分も増えてきた。だが、根っこの部分では繋がっているようで、息をするように同じ動きをすることも多い。見ていてとても面白い。  そして今も、二人は揃ってはっと何かを思い出したような顔をした。 「ねぇ紫苑、今日は須能さまがおいでになるね」 「あ……そういえばそうだっけね。お仕事があるとかでうちに泊まるって、母さんが言ってたっけ」 「楽しみだなぁ! 悠葉(ゆうは)に会うのも久しぶりだしさ~」 「悠葉か……」  日本舞踊の家元である須能家と国城家は、ずいぶんと昔からの付き合いだと聞いている。  中でも、オメガである二十六代目家元の須能正巳と、紫苑の母親である結糸は特に親しく、話題に登ることもしばしばだ。  そうなると、自然に子ども同士の付き合いも増えてゆくものだ。紫苑より一つ年下の須能家長男・悠葉とは、幼い頃からずっと仲が良い。須能家の人々が仕事でこちらに出てくる日を、紫苑は今か今かと待ち侘びていたものである。    紫苑の目から見ても、須能は色っぽくて美しいが、悠葉はガサツでやんちゃで気が強く、ふとしたことで喧嘩になってしまうこともたくさんあった。  けれど、お互いに怒りが持続しにくいたちであるから、三十分もあれば仲直りだ。喧嘩していたことを忘れて、すぐにまた一緒に遊んだものだった。  互いに学校が始まってからは、長期休みくらいしか遊ぶ機会がなかったけれど、それでも、顔を合わせてしまえばこれまで通り。会えなかった時間を忘れるくらい、すぐに仲良く遊ぶことができた。  だが、半年ほど前に紫苑がアルファと判明した頃から、悠葉の様子が変わってきた。どことなく、紫苑に対してよそよそしくなり、なんだかいつもイライラしている。  昔から怒りっぽい悠葉だ、取り立てて気にすることでもないのかもしれないが……今年の夏休みは遊びに来てはくれなかったし、メールの回数も減っている。 「悠葉と、けんかでもしたの?」  口数が少なくなってしまった紫苑を見上げながら、嶺が気遣わしげにそう尋ねてきた。できる子は年上への気遣いまですでに上手いのかと感心しつつ、紫苑は笑顔で首を振る。 「ううん、そんなことないよ。俺も楽しみだし」 「紫苑はアルファだから、悠葉はうらやましいのかもね~」 と、翼が間延びした口調でそんなことを言った。すると嶺も「悠葉、アルファになりたいっていつも言ってたしね」と頷く。 「悠葉もきっとアルファだろ。喧嘩なんて俺より強いんだぞ? 頭もいいしさ」 「んー……どーだろ。悠葉より、香純(かすみ)のほうがアルファっぽい感じがするけどな」 と、嶺。幼いくせに訳知り顔で予想を語る姿がちょっと可笑しく、紫苑は微笑んだ。  香純というのは、悠葉の妹だ。紫苑の妹・菊乃(きくの)と同学年だが、おっとりしたのんびり屋の菊乃とは比べ物にならないくらいシャキシャキしたしっかり者で、須能家で最強といわれている女子である。  悠葉はつねづね、「俺はアルファになりたいなぁ」と口にしていた。早ければ、そろそろ悠葉の第二性も判明する頃である。  血液検査の精度が上がり、第二次性徴期よりも前に第二性を知ることができるようになったのだ。一部の研究機関では、赤ん坊のうちから第二性を明確にするという目的のもとで研究が行われている……と、綾世医師から聞いたことがある。 「まぁ、どっちでも一緒だよ。俺たちは友達なんだから」  ダイニングに到着したので、紫苑は無理矢理にこの話題を終わらせた。  双子の手前、「どっちでもいい」と言いはしたけれど……紫苑は自分がアルファだと判明した瞬間、ものすごくホッとしたのを覚えている。  国城家の長男として認めてもらうための一ピースを、ようやく手にすることができたような気がしたのだった。  オメガを下に見ているつもりはないけれど、やっぱり、自分はアルファがいい。他ならぬ蓮のカミングアウトにより、「アルファのほうがオメガよりも優れている」という定説はとっくに覆されてはいるものの、それは一部のオメガに限られたこと。一般的に見れば、やはりアルファは肉体的にも能力的にも秀でた存在だ。  これから大人になって、国城家を支え、守ってゆく存在になるためにも、自分はアルファであらねばならない。紫苑は幼い頃からずっとそういう考えの中で成長してきた。  そうすればもっと、遥か彼方を歩いているように感じられる父に、近づくことができると思う。  甘やかされるだけではなく、本当の意味で、もっと近くに。

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