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 綾世の診察を終え国城邸に到着した悠葉を真っ先に見つけたのは、庭でサッカーをしていた双子だった。  蓮と御門の血のなせるわざか、この双子もまた成績優秀な上に運動能力も優れている。  だが、サッカーだけがどうしても上達しない。いわく、「足でボールをどうこうしようなんていう発想がそもそもよくわからない」とのことだ。  だが二人とも根が負けず嫌いなので、「苦手なことがある」という状態でいることが悔しいらしく、行けば必ずコーチ役を頼まれる。  先に結糸への挨拶と着替えを済ませようと思っていたのにすぐに腕を引っ張られ、着物のままサッカーの練習に付き合うことになってしまった。    日本舞踊の家元の息子とはいえ、もともとはこういう遊びの方が好ましい悠葉だ。思い切り動けはしないものの、着物の裾が乱れない程度にボールを操り、双子の相手をしてやった。 「ねぇ、悠葉と紫苑ってつきあってんの?」  国城 嶺(れい)が高めに蹴ったボールを器用に胸で受けた瞬間、おまけのようにそんな言葉が飛んできた。  ものの見事に動揺してしまったせいで、足の甲でリフトしようとしたボールが変な方向へ転がっていく。  てん、てん……と転がるボールのほうへ「もー! なにしてんだよっ!」と、翼(たすく)が一直線に駆けていく。  ひきつった表情でボールと翼を見守っている悠葉の横顔に向かって、嶺が小さく噴き出す声が聞こえてきた。 「あーあ、動揺丸出しじゃん」 「嶺、お前なぁ……」 「? なに? 僕、へんなこと聞いた?」 「……やれやれ、マセたガキんちょに育ったもんやな……。お前らまだ十二歳やろ」 「なに言ってるの、悠葉。僕たちはもう十二歳、だよ」  蓮そっくりの美しい顔立ちからは、十二歳にしてすでに高貴さを強く感じるわけだが、興味の程は年齢相応というべきかなんというべきか。  ほどなくボールを抱えて戻ってきた翼が嶺の隣に立ち、双子が揃って悠葉をじっと見上げた。 「で? どうなの?」 「うっ……翼まで」  三つ年下の双子たちは、今年で十二歳だ。今はまだ150センチ台だが、双子はぐんぐん背が伸びはじめている。悠葉はここ最近身長も伸び悩んでいるため、160センチを少し超えた程度だ。近い将来、あっという間に背丈まで追い抜かれてしまいそうで悔しい。  そしてもっと悔しいのは、この二人が揃ってアルファだということ。……とはいえ、なんとなくそうなのではないかと予想はついていた。  蓮もさぞかし安堵していることだろう——と、両親が話しているのを小耳に挟んだことがある。  四つの美しい瞳にじぃっと見つめられながら、「で、どうなの? どこまでいってんの?」と迫られる圧に負け、悠葉はもう一度ため息をついた。 「わかったわかった。わかったからちょい離れって、顔近いねん」  ひょいとボールを蹴り上げて手に持つと、悠葉は嶺と翼を順番に軽く睨んだ。  ふたりとも、クールな台詞や表情のわりに、この手の話題にかなり興味があるらしい。ワクワク感が目の輝きから伝わってくる。  いかにも『他人の色恋沙汰になんて全く関心ありません』とでもいいたげな、俗世離れした外見をしているくせに……。 「……てか、そんなん紫苑に聞けばいいやん。あいつはなんて言うてんの?」 「それがさぁ、教えてくれないんだよ! ニコニコしながら僕らの頭撫でて『お前らもそういう話題に関心が湧いてきたんだな〜』なんて言っちゃってさ、まるで子ども扱いなんだ。お父さんかよっていう!」 と、翼。 「そうそう。でもね、僕らはなんとなく察してるんだ。なんか最近の紫苑ってちょっと落ち着きが出てきたっていうか、余裕が出てきたよね。守るべきものができた男の覚悟っていうの? それってつまり恋の力だよね」 と、したり顔で嶺が言う。  軽く地団駄を踏んでいる翼と、クールに腕組みをしながら「恋の力」なんて小っ恥ずかしいことを言ってのける嶺である。  世界に名だたる名門家に生まれ育ち、最高峰の教育を受けているはずなのに、悠葉の目にはこの双子、どうしてかアホっぽく見える。  ——どこまでいうても……何もしてへんわけやから紫苑も答えようがないんやろなぁ……  そう思うと、興味津々の双子の相手をひとりでしなくてはならない紫苑が若干不憫だ。 「それに紫苑のやつ、もう十六歳なのにお見合いのひとつもしないんだよ? それってさ、すでに心に決めてる相手がいるってことじゃん?」 と、翼。 「そうそう、それって悠葉くらいしか思いつかないだろ? 国城家時期当主候補のアルファだぞ? 喉から手が出るほど欲しがってる権力者は山ほどいるって、父さまも綾世先生も言ってたし」 と、嶺。 「……なるほど、御門さまと綾世先生ね」  妙な言葉遣いや世間に流布しているゴシップっぽい話を口にするのは、どうやら双子の父親・御門陽仁と、国城家お抱え医師・綾世律の入れ知恵らしい。  蓮と葵が聞いたらめちゃくちゃ怒りそうだな……と悠葉は思った。 「そこんとこどうなってんのかなーって。で、どうなの?」 「そうそう。こういうことは本人の口から聞くのが一番だしね。で、どうなの?」  ずいずいと迫ってくる双子に小姑みを感じずにはいられない。悠葉は苦笑して、きれいに整えられた芝生の庭にストンと腰を下ろした。すると、サッと同じ動作で双子も座る。シンクロがすごい。  ——ま、別にこのふたりには隠しておくことでもないか…… 「まぁ……付き合ってる、んちゃうかな……」 「「や、やっぱりそうなんだ!!」」  照れのせいで小さくなった声が、双子の大声でかき消される。    そのあと双子は「やっぱそうだと思ってたんだよね」「じゃあゆくゆくは悠葉も僕らの家族か」「でも悠葉はまだどっちかわかんないし……。香純はアルファだったのにね」「あっ、それいっちゃダメなやつ……!!」というやり取りがものの数秒でくり広げられたかと思うと……ちら、と気遣わしげな眼差しが同時に向けられた。  あまりのテンポの良さに、悠葉はついつい笑ってしまう。 「いや、そこ別に気にせんでいいけど」 「け、けど……なんかごめん。妹に先越されちゃうなんて、前代未聞の大事件だしなぁ……」 「香純はまだ十一歳で、悠葉はもう十五歳なのに……恥ずかしいよね、ごめん」 「今のお前らのセリフで傷ついたわ」  そう言って悠葉がジト目をすると、双子が揃って首を縮めた。  気にしなくていいとは言ったものの……妹がアルファだと判明した日は、そこそこにショックを受けたものだった。ちなみに、嶺も翼も当然のごとくアルファである。  紫苑の妹、菊乃も十一歳だが、第二性は未判定。けれど、十歳で未判定であるというのはそう珍しいことでもない。だが、十五歳で第二性が未確定というのは、よほど奇妙なことなのだ。  学校でも、クラスメイトたちはほぼ全員第二性が確定している。そんな中、悠葉だけがどっちつかずのまま。それはそれでいいと思ってはいるけれど、妹に先を越されているせいで若干肩身が狭いと言うのもまた事実だ。  しっかりものの香純は頭脳も明晰、日舞の腕前も格段に悠葉より上だ。兄である悠葉に対しても、細々としたことに口うるさくて、毎日毎日喧嘩が絶えない。  普段そこそこ穏やかな正巳でさえ、「だぁもうーーー!!! うっさいねんええ加減にせぇよ!!」とブチギレてしまうほど落ち着きのない兄妹関係だった。  顔立ちもすっかり正巳に……というよりも、正己を家元に育て上げた曾祖母によく似ている。稽古場に飾られた曾祖母、須能華州の面差しは、悠葉から見ても香純とそっくりで——  家族のことを思い出した瞬間、悠葉の表情は重くなる。すると双子はめざとく悠葉の変化に気づいたのか、好奇心丸出しだった翡翠色の瞳を何度か瞬き、静かになった。  とそこへ、「あっ、悠葉! 着いてたんなら声かけてよ」と、紫苑の声が遠くから聞こえてくる。はっとして顔を上げると、門のほうから軽快な足取りでこちらに走ってくる紫苑がいた。  ——う、うわ……紫苑や……  まばゆいほどの笑顔を浮かべながら駆けてくる紫苑の姿が、スローモーションのように見える。  結糸とお揃いのような栗色の髪が風を含んで弾むように揺れ、キラキラと光を纏っている。    なんだかまたぐんと背が伸びたらしく、これまでひょろりと見えていた手脚にもしなやかな筋肉がつき、精悍さが増して男らしく見えた。鼻筋の通った涼しげな面差しは葵の顔立ちに似て、文句なしの美形へと成長している。  つい数年前までは『国城家』という家柄を背負うことに重圧を感じて、能力のわりに自信なさげな空気を漂わせていた紫苑だ。けれど今は、立派な『国城家の男』にしか見えない。 「し、紫苑……久しぶりやな。どっかいってたん?」 「ううん、家庭教師の先生を車まで案内してきただけだよ」 「そ、そか……家庭教師……」 「? どうしたの悠葉。疲れた?」 「ひえっ」  す……と流れるように手を取られ、じっと顔を覗き込まれた。  やはり以前より身長差がある。紫苑は悠葉と視線を合わせるために小首を傾げていた。  天高くまで澄み渡る夏空のような、または遠い南国の海のように鮮やかなスカイブルーの瞳が、心配そうに目の前で揺れている。  その瞳のなかでゆらりととろめくのは、美しい金色の光。国城家の血族の証だ。  ——めっちゃ綺麗……。紫苑の瞳、青空の中に星が光ってるみたいで……  ついついうっとり見惚れていると、ちょっと下のほうから醒めた声が聞こえてくる。 「……悠葉、顔真っ赤」 「……ほんとだね、つきあってんのに照れてんだ」  双子の声で我に返った悠葉は、シュッと紫苑の手の中から自分の手を引き抜いた。そして、行く当てのない両手を何となく懐手にし、視線をあさってに泳がせる。 「え、えと……まぁ、ちょい疲れたかな。京都から来た足で綾世先生んとこ行ってきたから」 「そっか、そうだよね。とりあえず入んなよ、軽く何か食べたら? 母さん、悠葉に会えるのすごく楽しみにしてたし」 「あ……うん。そうさしてもらおっかな」  にっこり柔らかく微笑む紫苑の表情は、結糸の優しい笑顔にそっくりだ。  成長と共にますます魅力を増す紫苑にやや気圧されつつも、胸の奥はもぞもぞとくすぐったいばかり。  面と向かって紫苑に会えた喜びのあまり、まっすぐ顔を見ることも難しかった。

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